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リスを撮影する3 - プレーリードッグ

『けものフレンズ』で、フレンズ化して登場したプレーリードッグを見て、また愛でたくなってきたので、行ってきました江戸川区自然動物園。これで3回目(1回目2回目)。

棒立ちで佇むプレーリードッグ。アニメではやたら動き回っていたけれど、結構こんな感じで突っ立ってたりする。

ちょこんと座りこむと、ますます愛らしい。

『けものフレンズ』だと、1匹 (1人?) しか登場しなかったけれど、プレーリードッグは群れで生活する。ここにも何匹もいて、そのやりとりを眺めていると飽きなくて危ない(止め時を見失う)。

写真には撮れなかったけれど、1匹が鳴き声を上げたら、それを真似する子が出てくるのなんか、たまらない。警告の鳴き声だから、プレーリードッグにしてみたら、懸命なんだろうけれど[1]

キス魔と化していたのは、こういう習性があるからか。1匹、遠目に見ているのが、何だか切ない。

さらに左にもう1匹、1枚目の写真のように立ち上がっているのいたら完璧だった。いや、完璧じゃないからこそのかわいらしさがあるからこれはこれで。むしろこれこそが。

次は暖かくなって、スマートになった姿を見に行きたいなぁ。

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