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10月, 2018の投稿を表示しています

興しお越し - 謎の独立国家ソマリランド

『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』を読んだ。 『新・現代アフリカ入門』 、 『アフリカ学入門』 と、サハラ以南のアフリカ大陸全体を扱った本を読んだところで、次はノンフィクション作家によるルポルタージュ。訪問先は、アフリカ北東部のある一国――ソマリア連邦共和国。あるいは独立を宣言した二国――ソマリランド、プントランドを含めた三国。 ◆ 国ってなんだろうか? 改めて考えてしまう。 ソマリランドは独立を宣言している。しかし国際的には(少なくとも公には)認められていない。 日本の外務省のWebサイト でも「ソマリア基礎データ」として、略史に「1991年5月 北部が「ソマリランド」と自称し独立宣言」とあるだけだ。 それにも関わらず、他地域よりも治安がよく、独自通貨ソマリランド・シリングの発行までしている。ソマリア連歩共和国の通貨ソマリア・シリングより信用されているくらいだそうだ。自分には、国としての体を十分になしているように見える。 ◆ だからといって、認められたがっている人ばかりかというと、そうでもないようなのだけれど。 「でも、いったん国際社会に認められたらどうなる? 援助のカネが来て汚職だらけになる。外の世界からわけのわからないマフィアやアンダーグラウンドのビジネスマンがどっと押し寄せる。そのうちカネや権力をめぐって南部と同じことになるよ…」 ◆ 本書が発売されたのが2014年。その後どうなったのか、 共和国(過去のトピックス) | 外務省 を眺めてみた。昨年2月に平和裏に大統領選挙が行われていた。ただ、これに対する反発かどうか判断する術を持たないけれど、そのあと首都モガディショで複数回のテロ事件が発生している。 ホーン・ケーブルTV の支局員の人達は大丈夫だったのだろうか。剛腕姫と称されていたハムディ支局長のことを思い出す。 なんだか暗くなってしまったけれど、本書の雰囲気は明るい。おもしろくて一気に読まされるので、興味が湧いたのならぜひ。踏ん切りがつかない人も、 現代ビジネス で1章を読めるよ?

不器用な距離 - フェルメール展@上野の森美術館 - フェルメール展@上野の森美術館

上野の森美術館で『フェルメール展』を見てきた。フェルメール作品はもちろん他作賓も素敵だった。混雑情報にめげずに行ってよかった。 『怖い絵展』 もなかなかの混雑だったけれど、こちらも相当。入場時間指定制で17:00-19:00枠を選んだのだけれど、16:50頃に行ったら1時間待ちの行列ができていた。列がはけるのが18:00頃で、20:30まで開いているという話を聞いて、早めに夕飯を済ませて、18:10くらいにようやく入館。閉館直前までのんびり見させてもらった。19:00からの枠だと、混み具合によっては見る時間ないのでは?と老婆心が湧く。 フェルメールの作品 フェルメールの、〈リュートを調弦する女〉、〈真珠の首飾りの女〉、〈手紙を書く女〉がこの順に並んでいるのがとてもよかった。少しずつモデルとの距離が縮まっていって、3枚目のこちらに向けた微笑みで幸せな気分にひたれる。恋愛ゲームで好感度が上がったみたい。制作順もこの順だし、研究家ではないし、妄想を膨らませて楽しむのも悪くなかろう。リボンの色が黄色から赤になっているところとか、ちょっとした違いの発見に嬉しくなる。 目玉として紹介されている〈牛乳を注ぐ女〉は、想像より色が濃かった。写真だと鮮やかめに色調整されていることがよくあって、これもそんなところだろうと思っていたので、ちょっと意外。あと、レイアウトが左側に寄っていて右側が少し寂しい。 このときのためではなかったけれど、 『フェルメールのカメラ』 を読んでいたので、パースの正確さとかピンぼけとかカメラ・オブスキュラを使って描いたがゆえの特徴を押さえられたのもラッキーだった。縮小写真ではわかりにくかった、手前に配置されている置物やカーテンのボケ具合がハッキリと見て取れた。おかげで、他の画家の作品までパースの正確さをチェックしてしまったのは、良し悪し。 本展示には含まれない〈真珠の耳飾りの少女〉を、いつか見に行きたい。 フェルメールに限らないオランダ絵画 生々しい静物画の元生物――――狩猟の成果=野ウサギの死骸とか、漁の成果=魚介類の山とか。それから、心底うざったい顔をした酔っ払いを描いた風俗画とか。自分のオランダ画に対する印象の中心には、こういう猥雑さもあったりする。 もちろん猥雑なだけではない。 〈糸を紡ぐ女〉 の穏やかな雰囲気にも惹かれるもの

国/境 - アフリカ学入門―ポップカルチャーから政治経済まで―

『アフリカ学入門―ポップカルチャーから政治経済まで―』を読んだ。 『新・現代アフリカ入門』 を読んだあとに、他の専門家がどんな見方をしているか知りたいと思い、多数の著者が名を連ねている本書をチョイス。 研究者、JICA(日本のODA実行機関)の職員、NGOの方、日本在住のアフリカ(スーダン、コンゴ民主共和国)の方。いろいろな立場の方の言葉が載っていて、十分な読み応えだった。最初に断りがあるものの、ポップカルチャー色が薄めだったことだけが少し残念。 ◆ 印象に残り続けているのは、日本在住のアフリカの方々が「アフリカ」という括りの粗さを指摘していたこと。世界には約200の国があってアフリカには約50の国があるというのにステレオタイプな「アフリカ」としてしか知られていないというのは、各国の方にとって、やりきれないことなのかもしれない。 アフリカには多様な人々が居住しており、それを全部1つの言葉、「アフリカ」で語ることはあまりにも「豪快すぎる」気がします。 ●コラム3 日本に暮らすアフリカ出身者に聞いてみました① アブディン・モハメド・オマル (Abdin Mohamed Omar) スーダン障害者教育支援の会(NGO)代表 一般的に日本人が持つアフリカのイメージは悪いように感じます。そもそも「アフリカ」という国はありません。アフリカにもさまざまな文化や人びと、暮らしがあります。そこに暮らす人びとは感情を持つ、あなたと同じ人間です。人とであり、理解し合うことで偏見をなくして欲しいです。 ●コラム4 日本に暮らすアフリカ出身者に聞いてみました② J. P. ムケンゲシャイ・マタタ (J. P. Mukengeshayi Matata) オリエンス宗教研究所所長 どこもかしこも詳しく知ることはできないけれど、自然に入ってくる情報が少ないから収集コストが高くなりがちなのが辛いところ。 ◆ もうひとつ強く残っているのが、この1文。 NGO関係者を見ていると、かれらは社会に対するある種の「怒り」を共有しているように感じる。 もちろん他の理由もあるのだろうけれど、理由の一つが「社会に対するある種の怒り」なら少しだけわかる気がする。NGO関係者の方が、相当の負担に耐えつつ活動しているのを読んで、何がそこまでさせるのだろうと思っていた。念の

月の住処 - アルテミス (上)・(下)

『アルテミス (上)』、『〃 (下)』を読んだ。 『火星の人』 でデビューした、アンディ・ウィアーの長篇第二作。火星の次の舞台は月面都市。その都市の名前がタイトルになっているアルテミス。ギリシャ神話における月の女神の名だ。 今作もユーモアに溢れていて、存分に楽しませて貰った。絶望的な状態でも悪態混じりのジョークを飛ばす主人公ジャズがかっこいい。悲観的な自分にはないメンタリティなので憧れる。 前作とは大きく違う感じたのは、ジャズに関わる登場人物の多さ。『火星の人』はマークの孤軍奮闘サバイバル生活がメインだったけれど、ジャズは人との関わりの中で火種に首を突っ込んで、都市をゆるがす事件に巻き込まれていき、立ちはだかる気密壁に向かっていく。 もう大きな一つ違いを感じた点がある。それは幕の引き方。『火星の人』は、達成感に満たされて終わった感じがするけれど、『アルテミス』ではこのあとも月面都市で生活を送り続けていくので、事件こそしっかりケリが着いたもののあまり終わった感じがしない。 そんなことを思っていたら、解説によると、アルテミスを舞台にした作品の構想があるとのこと。楽しみ。

進化の徒 - 常設展@東京国立近代美術館 本館

東京国立近代美術館の工芸館 に行ったら、そのチケットで本館にも入れてしまった。十分な時間は取れなかったけれど、せっかくなので拝見。 坂上チユキという方の作品が印象的だった。細い線。淡い色。高い密度。顕微鏡で見た原生生物のよう。それでいて、生命の始まりよりも終わりを思わせる儚さ、脆さ、か細さ。 他にどんな作品があるか調べようとしたら、 作家自身による略歴 がまた強烈だった。約5億9000万年前から始まっている。 どことなく、 『皆勤の徒』 や 『エヴォリューションがーるず』 を連想する。

3 bird, 2 insect, 1 reptile photos

This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 .

黄色い岐路 - 世界を変えた書物展

上野の森美術館で9月24日まで開催されていた、 『世界を変えた書物展』 に行ってきた。 様々な分野の巨人の手による書物の数々が並んでいる。有名所だと、ニュートン、アインシュタイン、ダーウィン、レントゲン。名前を挙げ出すとキリがない。彼ら/彼女らの肩の上に乗って、現代の技術まで積み重ねられてきたことに、改めて思いを馳せる。黄ばんだこれらの本のどれかが欠けていたら、技術史は今とはまったく異なるものになっていたのだろうか。とか、これらの本だけではなくて、知らないだけで膨大な積み重ねがあるのだろうなあ、とか。 同時に、目の前の書物の来歴にも、及ぶところではないだろうけれど、想像を巡らせる。数百年のオーダーの時を経て、今も保存され続けている確率はどれほどのものなんだろうか。現在、出版されている本の中で、たとえば30世紀まで残り続けるのは、どれくらいの割合なんだろうか。 それはそれとして、本好きとしては触ページをめくって読んでみたくなるところ。貴重な本だから当然なのだけれど、1冊1冊ケースに入れて展示されていた。仮に手に取れたとしても、そもそも読めないし、単語を認識できたとしても、理解できないだろうけれど。いや、そもそも恐くて触らない気もする。 写真は「アポロ11号任務記録(月着陸更新記録)、月面への第一歩」。

Learning Dokusyo - ディスレクシア 親と研究者のためのLD

『ディスレクシア 親と研究者のためのLD』を読んだ。 本書によると、読字の学習を困難にしている原因は、音韻処理過程上にあるらしい(ただし、別の原因で困難が生じることもある)。素人目には、聞いたり話したりと、読んだり書いたりとがそれぞれペアのような印象だけれど、そうでもないみたい。 抽象的に言うと、認知特性と言語の相性の問題だそうだ。極端な話、無文字社会ではディスレクシアは起こり得ない。想像しやすい例を借りると、発音と綴りの規則性が弱い英語圏で多く、規則性の強いドイツ語では少ない。ただし、発音と綴りの規則性だけが影響するのではなく、意味の単位に対する文字の単位も影響するとのこと。意味の単位に対して文字の単位が小さい(英語はこれにも該当)と、困難が生じやすいというのも、想像しやすい。 日本語はディスレクシアが起こりにくい言語とされていた。音と一対一対応のかな・カナと表意文字(意味の単位も文字の単位も大きい)の漢字で構成されている。かな・カナの次に漢字を学習するという順序も、ディスレクシアを起こりにくくしているとのこと。そう言えば、どこかで漢字仮名交じりの日本語が世界で一番難しい言語だいうような主張を見かけたが、学習過程には触れていた記憶がない。 いずれの言語にせよ、常用する言語の音韻処理に問題を抱えているときは、代替戦略で処理すると考えられている。それは個人差が大きいようなのだけれど、その中の一つに自分も使っていそうな戦略があった。音韻ではなく文字を頼りにする戦略がそれ。実験で、"room" と "house" を間違えるような、音の近い語ではなく意味の近い語を選ぶ誤りが観察されるそうだ。 ディスレクシアではないのだけれど、文字があるとつい追ってしまうくらいの活字中毒なので、聞いたり話したりする言葉より圧倒的に読んだり書いたりする言葉の方が多い。だから、文字の方を頼りにしているのかもしれない。文章を書いていると、よくそういう間違え方をする。

海・石・仏 - 海の道 ジャランジャラン@東京国立博物館 東洋館

東京国立博物館に行って、企画展『海の道 ジャランジャラン』を見てきた。テーマは今年2018年で国交樹立から60年となるインドネシア。 伝統的な人形芝居ワヤンで使われる(と展示で知った)人形が、各種広告で印象的だったので、実物を見てみたいと思い。 目の当たりにすると、予想だにしなかったサイズに驚いた。展示台のうえとは言え、視線の高さが同じくらい。薄いとは言えそれなりの重さはあるはずで、芝居を演じているうちに、腕っぷしが鍛えられそう。 黒い肌に赤や金の装飾という配色、独特の表情、長い手足が特徴的だった。ところで、こういう雰囲気のグラフィックのアクションゲームがあった記憶がかすかにあるのだけれど、どうにもこうにも思い出せない。 おもしろかったのは、演じられるのがインドの叙事詩『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』という点。「Java」と「JavaScript」は「インド」と「インドネシア」くらい違うという比喩を思い出す。ヒンドゥー教寺院で祭などのときに演じられたというから、ヒンドゥー教の一部として伝わってきたのだろうなあ。 『Fate/Grand Order』をプレイしているので、カルマ、アルジュナ、ラーマ(ロモ表記)の人形に反応してしまう。 ところで、インドネシアってそんなにヒンドゥー教徒が多い国だったっけ? と思って、とりあえずWikipediaをざっと眺めてみたら、人口2億人以上で世界第4位、ムスリム(イスラム教徒)人口は世界最大と、大きなイスラム国家だった。 でも偏りを見ると、観光地として有名なバリ島は90%以上がバリ・ヒンドゥー(仏教とヒンドゥー教が習合した土着の宗教)教徒とのこと。アジア地域の歴史を調べるのもおもしろそう。 と思ったのも、東洋館の常設展示で、インドと中国の仏像を見たため。今ではヒンドゥー教徒が最多だが、仏教が発祥したのはインド。そこで作られた仏像は、インド映画の主役のように巻き毛で彫りが深く、ときには髭をたくわえている。それが中国に広まってから、彫りの浅い東アジア系の顔になっていく。 展示されていた仏像は主に石仏で、中でも目に焼き付いているのは武則天が宝宅寺に建立させた像がいくつも並んでいる様。中国史において、唯一の女帝である彼女が権力を強化するための手段の一つだった模様。 展示からは外れるが、武則天は

回って揺れて / インゲヤード・ローマン展@国立近代美術館 工芸館

東京国立近代美術館 の工芸館で、 『インゲヤード・ローマン展』 を見てきた。国立公文書館で 『躍動する明治』 を見たあと、時間に余裕があったので、そこから歩いて10~20分。 薄くシンプルなガラス製品が美しい。2年前の2016年にIKEAでお手頃な値段で発売された製品もあるらしい。限定品だったので、今は買えない。残念。 こういうシンプルな製品の方が、飽きずに長く使えて愛着が湧くと、頭ではわかっている。でも、癖のある製品と並んでいると、後者を選んでしまうことが少なくない。自分の背中を押してくれるハッキリとした何かがないと、迷いが生じてしまうのかもしれない。 衝動的だったり、変わり者気取りだったり。なんて原因の方がもっともらしい気もする。 写真はよい。とくにデジタル写真は。衝動的に撮っても後腐れが少ないし、変わった視点を探すのも楽しい。視点について考えていると、製品そのものではなくて、それが自分の暮らす部屋に置かれたときの、バランスを考えてしまう。あるいは、アンバランスが嫌でも気になる。 遠心力で整形したという製品(撮影不許可)のわずかなゆらぎが印象的だった。手仕事ではないのに、ゆらいでいるのがおもしろい。

3 monochrome photos

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輪郭と中心 - とんがり帽子のアトリエ (4)

『とんがり帽子のアトリエ (4)』を読んだ。第2の試験の始まり始まりい。 今回、スポットライトがあたるのはリチェ。これまでセリフが多い方ではなかったけれど、たくさん喋ってくれている。 彼女のようにマイペースでつかみどころがないように見える人こそ、固い芯あるいは核があるものだよなあ、と感慨にふける。 輪郭が固い人もいれば、中心部が固い人もいる。

いまーーーじーーーーーーん!! / ゴールデンカムイ 15

『ゴールデン・カムイ15』を読んだ。物語が急加速して、目を離せない。あと、白石が脱獄王の本領を発揮しているのも見所。 三度杉元が表紙を飾っている。彼とアシㇼパさんの再会のときが待ち遠しい。それにしても死なないことしなないこと。「不死身の」と形容されるのもむべなるかな。 しかし、それにしたって主人公があそこまでの重傷を負うとは。と展開はシリアスながら、内容紹介のテンションはだいぶんおかしい。 不死身の杉元の生存戦略が始まるッ!? 出典: ゴールデンカムイ 15 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) | 野田サトル | 青年マンガ | Kindleストア | Amazon 「生存戦略」の4文字を見ると、いまだにあの映像が脳裏に浮かぶ。 「いまーーーじーーーーーーん!!」 わかる人にあらかじめ言っておく。間違っても杉元があの衣装を着ているところを想像しないように(注意喚起に見せかけたトラップ)。 そう言えば、続編の噂はどうなったんだろう? とティーザーサイトがあったURLにアクセスしてみたら維持されていなかった。立ち消えになってしまったのだろうか?

Salt and Cigarette - 常設展@たばこと塩の博物館

企画展 『MOLA』 を見終えたあと、少し時間があったので合わせて常設展ものぞいてきた。 たばこと塩という組合せは専売公社由来。つまり恣意的。 というわけで、それぞれ独立に感想を。 ●たばこ 吸わないので味は知らない。喫煙者にもらって吸ったことはあって、主流煙はそんなに嫌いではなかったけれど、いろいろと割に合わないなという感想。値段とか風当たりとか。 そのため、キセルやパイプなどの細工や各国のパッケージ・ポスターなど、装飾・デザインに目がいく。 キセルもパイプもという武器になっていたのが、傘やホウキでチャンバラをしている子供のようで微笑ましい――というには物騒か。キセルはケンカギセル、パイプはトマホークパイプという名称で展示されていた。 世界中から集められたパッケージはバラエティ豊かだったし、年代順に展示された日本のタバコのポスターはメッセージやデザインのスタイルの変遷が見てとれたのだけれど、ゆっくり眺めている時間は取れなかったのが残念。次に何かおもしろそうな企画展があるときは、こちらをゆっくり見る時間も予定に組み込もう。 喫煙率が下がりつつある( 成人喫煙率(厚生労働省国民健康栄養調査) )ので、博物館でしか見られなくなる日もそう遠くないのかもしれない。最後に配置されていた、街角のタバコ屋さんを見て思う。ああいうスタイルのが近所に何件かあったのを思い出して、時間の流れを意識させられる。 ●塩 こちらは食べたことがある(なかったら生きていけない)。 歴史的な側面、工業的な側面、科学的な側面からも光が当てられていて、1フロアでの展示にも関わらず、結構な情報量だった。 アニメでおなじみ(なんだろうか? 実際に調べた結果をブログで読んだ記憶はあるのだけれど、結果の方を思い出せないし、その記事を再発見できない)ウユニ塩湖の塩もある。お土産として買うこともできる(買った)。 歴史的な話だとポーランドのベリチカ岩塩坑の話が、途方もないスケールの話だった。海水から作るイメージが強くて、大規模な岩塩坑をイメージできないから、驚きもひとしお。 こちらはたばこの展示以上に足早に駆け抜けたので、これくらいで。 ところで、子供のころに、父が3人の娘に自分をどれほど大事に思うか尋ねたところ、長女・次女の答えには満足したけれど、塩に喩えた

パナマ、パないのう! / MOLA@たばこと塩の博物館

たばこと塩の博物館 に行って、企画展 『MOLA パナマの先住民クナ族の衣装と意匠』 を見てきた。 フライヤーの色鮮やかさに惹かれてフラッと。モラというのは、元来はパナマに住むクナ族の民族衣装(ブラウス)のこと。今はその特徴的なアップリケのことも指すようになっているとのこと。 とてもカラフル。フライヤーの背景は赤一色だけれど、実際のモラはみっちりと刺繍されている。繰り返される形と鮮やかな色の対比にパターンがありそうでない。手仕事だからか計算され尽くされておらず揺らいでいる。見ていて飽きない。 出典: 現在の特別展|特別展|たばこと塩の博物館 写真だと見て取れないけれど、複数の布地が作るレイヤーもおもしろかった。展示品の中には柄付きの布を使ったモラもあり、それもありなのか、と思う。作り方も展示されていた。地と図とで布を入れ替えて対のモラを一緒に作るやり方なんか、とても器用。手を出してみたいという気持ちが湧きつつあり、危ない。 モラを眺めていたらふと 『草間彌生「わが永遠の魂」』展 のことを思い出した。鮮やかな色彩と揺らぎのある繰り返しのせいか。でも、あれほど迫ってくる感じがしない。モチーフが横を向いているから?(そう言えば、 草間彌生美術館 が開館した時、混雑が落ち着いたら行こうと思っていたのをすっかり忘れていた)。 話が逸れた。開催は10月21日 (日) まで。入館はわずか100円。充実の図録も1500円とリーズナブル。迷わず買って帰ったけれど、図録は Webサイト から通販もできるみたい。行けないけれど気になる方というも安心。

蟹分家 - ヴィジランテ 5

『ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS- 5』を読んだ。 師匠の「俺がいる」が重い。そしてコーイチ達の前からいなくなる。 一方、コーイチの「俺が来たッ!!」。それ自体はともかくそのあとの口上が、ポップさえイラッとさせる始末。彼らしい。 シーズン2開始のモノローグでは、あんなに大人びて見えるのに。

決着、復活、墜落 - 僕のヒーローアカデミア 20

『僕のヒーローアカデミア 20』を読んだ。 ジェントル&ラブラバの話が決着して学園祭へ。この2人はぜひ復活して欲しいところ。 敵 ( ヴィラン ) からヒーローになるキャラクタがいてもいいじゃない? 環のセリフで、ミリオ復活のフラグが立ったのもうれしい。彼にもぜひ復活してもらいたい。 最後にエンデヴァー。オールマイトが力を失いつつあるなか、このままだと「オールマイトがいれば」という待望論が巻き起こりかねないし、先生たちの他にも強い大人を描いて欲しいので終わって欲しくない(少年マンガだから、ガッツリ描くわけにはいかないだろうけれど)。

Archive Eve - 躍動する明治@国立公文書館

国立公文書館 で明治150年記念特別展 『躍動する明治 - 近代日本の幕開け -』 を見てきた。 1868年に明治時代が始まって150年 = 1.5世紀。長いような短いような。どちらかという短いような。近代化が「始まって」から、まだそんなものか、という気がする。 社会の授業を思い出しつつざっと調べてみる(主にWikipediaだのみ)。 名誉革命が1688-89年、独立戦争が1775-1783年、18世紀末〜19世紀にかけて南北アメリカの脱植民地化、フランス革命が1789-1799年、南北戦争が1861-1865年。その3年後に明治時代が始まって、「躍動」どころか「激動」と言いたくなる維新(最近でも使う言葉で言い換えるとか「改革」あたり)が始まる。 元号が明治に変わったからといって、自動的に近代化されるわけもない。廃藩置県は明治4年(1871年)7月に始まって、当初は藩をそのまま置換したため3府302県。そこからわずか数ヶ月後の11月までに3府72県にまで統合される。どれだけの混乱があったことか。 廃藩置県の詔を収録した文書 が展示されているのを見て、そんなことを思う。 藩ヲ廃シ県ヲ置ク 出典: 明治4年(1871)7月|廃藩置県が断行される:日本のあゆみ 今も安定しているわけでもないか。 沖縄返還 があって今の47都道府県の形になるのは約100年後の1972年。基地移設問題はじめ「沖縄問題」がたびたびニュースになる。昨日も(この文章は9月30日朝に書いている)も、沖縄県知事選挙の投開票日だった。 年表/HTML:日本のあゆみ をざっと眺めるだけでも、江戸末期から昭和にかけての急激な変化が見て取れておもしろい。 ここには最近のものはないけれど、流れては消えていくように見えるニュースのうち、いくつがいつまでアーカイブ(保管)されるのだろうか。ニュースの中には、公文書(アーカイブ)の破棄・改竄・隠蔽・欠落もあったが、それらはどうなったのだろうか。 病んでしまって、悪堕ちたりしていないだろうか? いつか書庫(アーカイブ)を開いたら証拠は見つかるだろうか?悪が飛び出したりはしないだろうか? 希望は残っているだろうか? こんな調子に 『アーカイヴの病』 のことをまたぞろ思い出す。