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2月, 2013の投稿を表示しています

Get Wild and Tiger

「今更ながら、S.H.フィギュアーツ ワイルドタイガーを買ってきたよ」 「本当に今更ながらですね」 「欲しいと思っていた時は売り切れていて、そのまま機を逸していたんだけれど、先日たまたま見かけて。 そうそう、タイバニと言えば劇場版のDVD観たい。映画館には行けなかったので」 「買って下さい」 「しかし、格好良いオッサンっていいよね。そう言えば、『エクスペンダブルズ2』もまだ観てねぇ!!」 「ブルース・ウィリスさん繋がりで『ダイ・ハード / ラスト・デイ』も公開されましたね」 「 ツイッター公式アカウント を眺めて我慢する日々だよ。あぁ、観たい映画がどんどん貯まっていく……」 「秋には 『劇場版 TIGER & BUNNY -The Rising-』 も公開されますよ」 「アニメ映画と言えば『魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』も今年公開の予定なんだよね。これも楽しみ」

ケセラセラがせせら笑う

「『COURRiER Japon 2013年 04月号』を読んだよ。特集『世界の一流ビジネススクールでは「人生に必要なこと」をこう教える』が面白かったので、まとめてみよう」 「どうぞ」 「この特集を構成しているのは、次の5本の記事」 『「やればできる」という精神では、夢を実現するのは難しいのです』 『「正直」でなくてもいいですが、他人には「誠実」でありなさい』 『"甘い誘惑"に打ち克つために、あなたの筋肉は存在するのです』 『難しい選択を迫られたとき、直観や本能は頼りになりません』 『あなたが優秀だとしても、幸せになれるとは限りません』 「最初と最後は何となく似ていることを言っているように見えますね」 「最初の『「やればできる」という精神では、夢を実現するのは難しいのです』は、『戦略は直観に従う』の著者の記事。〈やればできる〉というモットーに端的に表れるステレオタイプな成功哲学を否定して、著者が〈戦略的直観〉と呼ぶ、現実に即しながら目標を達成していく態度の方が実用的だと言っている。『イノベーションの神話』や"Planned Happenstance"に通じるものがあるね」 ①夢と努力を信じるのはやめよう ②具体的なチャンスを追いかけよう ③自己啓発にのめりこむのはやめよう 「ちょっと距離を置いて見ると、自己啓発は、〈やればできる〉と信じているけれど〈やれない〉〈できない〉人がお客さんですからね……」 「次の『「正直」でなくてもいいですが、他人には「誠実」でありなさい』は、『ウォートン流人生のすべてにおいてもっとトクをする新しい交渉術』の著者の記事。著書のタイトル(原題は"Getting More")から受ける印象と、主張から受ける印象が逆なのが面白い。最初の記事で否定されていは自己啓発の一貫ではあるけれど、もう少しうまく交渉できるようになりたいと思っているところなので、真面目に読んでしまった」 ①交渉とは他人の立場を慮ること ②交渉は練習することで上達する ③交渉に「勝ち負け」はない 「交渉については 竜頭荼毘 や ソラとウミ とか 都市伝説の伝染 、 羊が草を食むように で触れていますね」 「『"甘い誘惑"に打ち克つために、あなたの筋肉は存在するのです』は、

偽メイン二面性

「『ビブリア古書堂の事件手帖4―栞子さんと二つの顔』を読んだよ。先に言っておくけれど、ドラマは全く観ていない」 「言われなくても、双司君はアニメとサッカーと映画くらいしか観ないことくらい、ツイート見ていれば分かります」 「目次に同じ作家の作品が並んでいたので『もしや』と思ったら、やっぱり長篇だったよ」 「長篇は初ですね」 「うん、一人の作家についてのエピソードが盛り沢山で、楽しめたよ。好きな作家なだけになおさらに興味津々」 「目次を見てピンと来る程度には読んでいた、ということですね」 「ところで、サブタイトルは『栞子さん〈と〉二つの顔』なんだよね。『栞子さん〈の〉』じゃなくて」 「これまでの3冊も、ずっとそうでしたよ」 「なぜか読み終わるまで〈の〉と勘違いしていて、栞子さんの裏の顔を想像してしまっていたよ」 「どんな想像していたんですか?」 「実は大英図書館特殊工作部のエージェント」 「それは『R.O.D』です」 「ですよねー。というわけで、二つの顔を持っているのは誰だったのか? 何てことを振り返っている。ダブルミーニングなのかな、と」

無い袖を有ると言い張る

「『連射王〈上〉』を読んだよ」 「〈境界線上のホライゾン〉シリーズの川上稔さんの作品ですね」 「うん。5年くらい前にハードカバーで発売された作品。未読だったので、文庫版が出たのを機に読んでみた」 「シューティングゲームの話なんですよね?」 「うん。縦スクロールタイプの話。自分は遊んだことはあるけれど、ハマったことはない程度。でも、だからこそ、かな? シューティングゲームを触り始めた主人公・高村の気持ちがよく分かる」 「双司君は格闘ゲームの方が好きですよね。ゲームセンターにあるジャンルだと」 「うん。シューティングゲームはもっぱら家庭用で遊んでいた。縦スクロールだと、『ツインビー』、横スクロールだと『グラディウス』や『パロディウス』。ゲーセンで一番遊んだのは、『ティンクルスタースプライツ』のような気がする」 「最後のは、シューティングゲームの皮を被った対戦型パズルゲームのような」 「そう言えば、『東方花映塚』も面白かったなぁ。Windows 7でも動くんだろうか?」 「もしもーし」 「あ、話が逸れてきた。ともあれ、ゲームにしろ何にしろ〈本気〉とは何なのか? というのが、この本のテーマだと思う」 「先日読んだ 『勝ち続ける意志力』 は、格闘ゲームに本気であり続ける人の本ですよね」 「うん。何であれ、躊躇いなく全力で本気になれる、って結構すごいことだと思うんだよね」 「双司君は、だいたいいつもやる気なさげですからねぇ……」 「見えないだけで、内からは溢れ出んばかりだよ? 溢れてないから見えないけれど」 「悪魔の証明に持ち込もうとしていませんか?」 「ま、実際、あるのかないのか分からない。あったとしても出るのか出ないのか分からない。そんな力なんて、実力に含まれないよね」 「そうですね」 「やればできると思うだけだと、個人の意識の中で完結してしまう。ここから、『やった』、『できた』には大きな隔たりがあるよなぁ。それこそ、本気を出さないと超えられないような隔たりがあることも」

気をつけても気がつけない

『考えの整頓』を読んだ。 この本は、『差分』の著者が『暮らしの手帖』に連載していたエッセイの単行本版。『差分』より肩の力を抜いて楽しめる。 通して読むと、人間は周囲をそのままに見るんじゃなく、予測を通して見ているんだと実感する。注意を払っていないと、見えるだろうと思っているものしか見えない。他のものに集中していると、ゴリラさえ見落としてしまう。 じゃあ、その予測とは何か。自分なりに考えていたら、 『ノンデザイナーズ・デザインブック』 が紹介しているデザインに関する4つの基本原則を思い出した。 近接 整列 コントラスト 反復 この中の、1. 近接、2. 整列、4. 反復が予測に関わっていると思う。知覚にあるものは同じものだろう、空間上に何かが続いていたらそのまま続いているだろう、繰り返されているものはこの先も繰り返されるだろう、というのが予測の原形じゃないかな。 余ったコントラストは、意図された予測からの逸脱による強調だと考えると、これだけはここぞという時にしか使ってはいけないことがよく分かる。予測通りの展開が続いている中に配置されるからコントラストであって、コントラストだらけにしようとするとただの無秩序になってしまう。 コントラストは、予測からの差分とも言い換えられそう。『差分』で紹介されている動きを生む差分ではないけれど、注意を払っていなかったものが注意を引くのは、差分があるからかもしれない。 色んな例がある。この本でも『「差」という情報』というタイトルで、著者が絶対値ではなくて相対値で知覚していることを実感したエピソードが紹介されている。それから、確か 『となりの車線はなぜスイスイ進むのか?』 だったと思うのだけれど、見通しが良過ぎると風景に変化がなくなって車に気がつきにくいから、街路樹を植えて車がチラチラ見え隠れするようにしたら事故が減ったらしい。 気がつきやすくするには、工夫が必要なんだろうな。気をつけるだけじゃ、気がつけない。

差分の機関

『差分』を読んだ。 下の図を上から1行ずつ見ていくと、何となく□と■がすれ違ったように見えない? あまり見えなかったら、この配置がまずいんだろうな。でも巧妙にやると面白いことになる。それがこの本。 □      ■   □  ■    ■□  ■    □ 静止画が同じページに配置されているだけでも連続性を読み取ってしまう。 不思議な感覚。 ところで、ピタゴラスイッチの「こんなことできません」はこれを応用させたものなんだろうな。著者はこの番組の監修だ。『差分』と違って「こんなことできません」はストップモーションアニメだけれど、根っこは同じだと思う。 その「こんなことできません」も不思議な感覚を味わえる。見たことがあれば感じたことがあると思うのだけれど、物理的にできないはずなのに「できましたできました」って気分になってしまう。 きっと実現性と現実感とは違うのだな、と感じられる。だから、実行不可能なアイディアにリソースを突っ込んでしまったり、手間暇かけて正確に作ったのに何か違う気分になったりするんだろうな。 もう少し感覚を信じてモノに反映させて、それから、言葉だけでなくモノを見せてアピールするアプローチも使えるようになりたいな。

木々の音、ピコ

「『コギトピノキオの遠隔思考』を読んだよ」 「ソウルドロップシリーズももうこれで7作目ですね」 「本作は過去編だったよ。伊佐が調査員に、千条がロボット探偵になったときの話」 「じゃあ大きな進展はなかったわけですね」 「うん。それは過去編の制約だよね。未来が分かっているから、意外な人物が死亡したり、物語の根幹に関わる謎が明かされたりはしない。だからというわけじゃないけれど、あとがきがいつになく面白かった」 「何の話だったんですか?」 「調子が悪いときの話。ここ最近は調子がいまいちだったから、あぁ、そんなもんだよなぁって納得してしまった」 「どんなもんだったんですか?」 「こんなもん」 おそらく、残念ながら――というしかないのだろう。悪くなってしまった調子は戻らない。戻ったとしても手遅れなのだからどうせ意味も無い。 「酷くネガティブですね」 「こんなもんだよ、少なくとも俺は。戻すことはあまり考えない」 「じゃあ、何を考えているんですか?」 「〈良かった昔〉を過大評価しているだけで、端から見たらすっかり戻っているんだけれど、調子が悪いと思っているの自分だけじゃないか、とか」 「何だか自分を誤魔化しているような」 「調子が悪いんじゃなくて、調子が変わっただけであって、これはこれで悪くないんじゃないか、とか」 「ますます誤魔化しが強くなっていませんか?」 「まー、ダメなときは何やってもダメだよねー。さて、この状況を撤退戦と考えると、どうやって被害を最小化しようか、とか」 「今度はさっぱりと割り切りましたね」 「主観的に調子が悪くて悩んでいるくらいなら、そんなもんでいいよ。それに、調子が良いからって良いことばかりじゃないよ? もう絶好調、これは完璧だぜーってときは他人には大して評価されなくて、逆にまだまだ納得しきってないけれどうーんってときが評価されたりするやん?」 「そういうことはありますけれど」 「他人の評価だけでふらふら左右されるのも、それはそれで問題だけれど、端からは何の問題もないのに、自分だけ悩んでいるのもバカみたいじゃない?」 「それはそうですけれど」 「何がキッカケで抜けられるかも分かんないしな。逆どんなに努力しても裏目に出ることも」 「それでも、調子がいいと、気分いいじゃないですか」 「それは違いない。けれどまぁ常に

殺人鬼なんて恐くない

「『月見月理解の探偵殺人』を読んだよ。シリーズまとめて5冊」 「またえらく飛ばしましたね」 「ペースはな。ページは飛ばしてないぞ、もちろん」 「活字中毒の双司君がページ飛ばすだなんて思ってませんよ。その様子だと面白かったようですね」 「うん。ものすごく乱暴にまとめると、西尾維新の〈戯言〉シリーズのいっくんと青色サヴァンが、ライアーゲームに参加している感じ」 「本当に乱暴ですね」 「暴力も反対だけれど、この本に出てくる〈探偵殺人ゲーム〉のように口先三寸に命運が決まってしまうのも……」 「そのゲームに直接命が懸かるという展開ですか?」 「うん。ベースは通称〈人狼〉ってゲームみたい」 「Wikipediaには 『汝は人狼なりや?』 で記事が作成されていますね」 「タイムラインにもときどき名前が出てきて気になっていたので、 関連項目 に挙がっている 狼BBS まとめサイト でルールとかログとか読んじゃったよ。面白そうだけれど、参加するのは難しそうだなぁ。生活不規則だから、1週間定期的に参加できそうにない」 「それだと難しそうですね」 「ログを読んでいると、プレッシャーがあると合理的には考えられないことがよく分かる。でも自分なんかログをプレッシャーがない状態で読んでいてもぜんぜん分からん」 「ダメそうですね……」

紛れてる

「『ちゃんと弔ってあげるのです。コブラだけに』ってな感じで一つ」 「『ささみさん@がんばらない』のかがみさんですね」 「ちなみに『弔って』の『とむら』と『コブラ』がかかって――」 「ええ、分かっていますからいちいち解説しないで下さい。台無しなので」 「はーい。しかし、パースがちゃんと取れてないないなぁ」 「精進して下さい」

6.02 * 10^23

「アニメ『マギ』からモルさんことモルジアナ。最近はアラジンやアリババよりも堂々としているような」 「物理的な戦闘能力も高いですしね」 「戦闘民族〈ファナリス〉だからね」 「シンドバットの側近マスルールさんもそうですよね」 「うん、しかもモルさんより強い」 「それなのに最初の登場では奴隷だったんですよね」 「不思議と言えば不思議だよなぁ。簡単に脱走できそうなもんなのに」 「脱走しても戦闘能力だけでは生活できないですし、メンタリティの足枷もあったんじゃないですか?」 「そういう自意識による抑止って、強力だよなぁ。普段気がつかないけれど」

画竜天性 - 機龍警察 暗黒市場

「『機龍警察 暗黒市場』を読んだよ」 「あれ、第一作の『機龍警察』はどうしたんですか? こんなことを言っていたのに」 でも、その前にシリーズ1作目『機龍警察』を読まないと。 Mirror House Annex: 竜頭荼毘 「そんな昔のことを持ち出されても」 「ほんの一月半ほど前のことじゃないですか」 「とまあこんな感じで本作の主要キャラ・ユーリも、日本に来る前の因縁に追い回されているわけで」 「一緒にしないで下さい」 「ま、軽重の違いはあれど、過去って厄介なものだよね。実効性のある強制力なんてないはずなのに、気がつけば選択が縛られている」 「自縄自縛?」 「誰に強制されているわけでもない、ってところが似ているね。それから〈義理〉や〈因縁〉にも似ているね。選択を縛る過去がプラスかマイナスかの違いはあれど」 「良かれ悪しかれ、周りの人との関係は生じてきますからね」 「でも、そういう後天的なしがらみに絡め取られてしまっても、初志というか大事なものは見失わないでいたいものだな、と」 「その一方で、周りが見えてから考え直した結果の方が良く見えることもありますよね、初志よりも」 「うん。何が昔から大切にしていたものかも、今大切にしているものがいつからこうだったかも、いつの間にか忘れてしまっていることも、判然としないよね」 「そんなにキッチリわける必要もないんじゃないですか」 「そっか。そうかもしれないね」 「そうですよ。今大切にしているものを、かつてそれを選んだ自分を信じる他ないです」 「そうだね。他人に見えるものでもないし」

the end of the restart

「『魔法少女育成計画 restart (前・後)』を読んだよ」 「何だか疲れて見えますけれど、大丈夫ですか?」 「うん、精神的にも体力的にもダメージが」 「精神ダメージは内容のせいですね。 前作 同様に酷い話ですか?」 「単純に比べられるものではないけれど、やっぱり今作も楽しい話ではない。多少は心の準備がでているとは言え」 「それで体力へのダメージは何があったんですか? 腕が疲れるような重さでもないですし。仰向けに寝ながら読んでいたら、角から顔に落ちてきたとか?」 「あ、それハードカバーでやるとめっさ痛いよね。泣ける。が、そうではなくて」 「分かりました、年で目が疲れやすくなった!!」 「いや、目が疲れているのはほとんどいつものことだけれども」 「今度こそ、寝不足ですね!!」 「いや、そうじゃないこともなくて、あ、その通りだ。正解です。おめでとうっ!!」 「あれ、もう少しひねりが効いているはずだと思って、気を遣って当てないようにしたんですけれど。どうしてくれるんですか、この気遣い」 「あっれ。なんで怒られた。ともあれ、寝る前に少しだけのつもりが、つい先が気になって」 「よくそこまでして読みますね」 「そういう魔力がある本が、たまにあるんだよ。きっと」

無二の終わりが繰り返される

『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉〈1〉』を読んだ。 著者はジャック・デリダになっていて、実際この本は彼が書いた追悼文を集めたもの。でも、そのジャック・デリダは、「序文」でこんな風に書いている。 ここで是非ともマイケル・ネイスとパスカル=アンヌ・ブローに対し、賞賛に満ちた多大なる感謝の意を表明しておきたいと思います。私は彼らこそがこの書物の本当の著者であることを強調したいと思います。 なぜそんな風に書かれているかというと、その二人の 読みに備わる解明能力、彼らの独自で創意ある書き方(中略)、彼らの問題構成のあり方、彼らの問いかけの斬新さ で、 当初対象とされていた人たちの枠をはみ出す ようになったから、とのこと。 これを踏まえて、自分はどんな風にこの本を読んだのか考えてみる。マイケル・ネイスとパスカル=アンヌ・ブローの「序論」を先に読んだので、予め枠外を知らされた上で初めて読んだことになる。そもそも、各文章を理解しきれていないので、枠がどこかも分かっていない。一体、何を読んだと言えるんだろう。 「序論」で示される 彼らの問題構成 、 彼らの問いかけ を改めて確認してみると、まず問題ではないことを明示している。意図的な曲解を著者の真意として取り出すようなことはしない、という意味かな。 ここで問題となるのは、明らかにされるべきデリダのコーパスの潜在的な意味、既に最初から存在していながら依然解明されていない暗黙的な意味を見出すことではない。 問題にしているのは、こんなことだと書かれている。この 一つの著作 は、この本全体を指しているんだろうか? それともこの本に収められている各文章のことを指しているんだろうか? 私達は一つの著作に予期せぬことや予想できぬことが進入する事態を問題化したいと思う。 と、いう難しい話も考えられるけれど、それはさておく(さておかずに考え抜けて、それを書き切れるようなら、今頃哲学者になっている)。 こういう難しい「序論」を抜きにすれば、この本はジャック・デリダの追悼文集。「序文」から取られているタイトル『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉』に、その見方が現れている。人が亡くなるということは、その人がいる世界がなくなるということ。その人の世界がなくなることではない。世界からその人がいなくなることではあるかもしれないけれど、その人がい

捕らわれ

『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 (原題:"Life of Pi")』を観てきた。 事前に知っていたのは、チラッと見かけたCMくらい。そこから受け取った印象は、見事に裏切られた。CMからは退屈かもしれない、と思っていたので裏切られて良かった。詳しく書くとネタバレになるので、物語についてはこれくらいに。 というわけで、映像について。この映画の映像は、とても美しい。例えば、副題にある、主人公とトラが漂流している風景。だだっ広い海に、ぽつんと心許ない舟と漂っていて、そこにインド人の主人公とベンガルトラが乗っている。海は青く波も無く、空も青く風が無く、水平線が消えてしまっていそうだった。綺麗過ぎて、漂流中でいつまで生きられるか分からないというのに、穏やかな気持ちさえ感じてしまうほど。 振り返ってみれば、この過剰さも感じる綺麗さは、こうしなければならなかったんだろうな、と思う。

無尽蔵無人戦

『情報と戦争』を読んだ。 情報化が戦争にもたらした変化や、当時の現状の解説が主。詳しくないので、歴史を辿り直すという意味では自分にとっては目新しかった。用語の解説も丁寧。すこし冗長過ぎるくらいかもしれない。 反対に、 『ロボット兵士の戦争』 で描かれているような将来的な話はあまり出てこない。日進月歩の分野だろうから、出版時期の影響もあるはず。この本が出たのが2006年で『ロボット兵士の戦争』の原著"Wired for War"が出た2009年。3年の開きがある。今から振り返れば7年と小学生が中学生にもなるくらい時間が過ぎ去っている。 現在は、『ロボット兵士の戦争』の世界がどんどん広がっている。アメリカの無人機(ドローン)がアフガニスタンやパキスタンの人を攻撃して、その違法性について国連が調査に乗り出すくらいに。 国連は、以前から違法性が指摘されている米国政府の標的殺害プログラムに対し、調査に乗り出すことを明らかにした。 国連、米空軍無人機による標的攻撃への調査を開始 « WIRED.jp ドローンは、戦争を大きく変えてしまいつつあるんじゃないだろうか。いくら失っても、人的被害がゼロなのが大きい。これまでも、装備の差で一方が他方を圧倒することはあった。この本でもその例が紹介されている。けれど、いずれにせよ人が生死をかけていた。 まず、一方がドローン、一方が人という構図は著しく非対称だ。『ロボット兵士の戦争』が指摘するように、ドローンを持つ側が気軽に仕掛けるようになるかもしれない。さらに戦場の無人化が進んで、双方がドローンになったら、何が戦争を決着させるんだろう。 人が危険に晒されないのはいいことのはずなのに、この違和感は何なんだろう。

Taste of Scientist

「Rhymesterの『ダーティーサイエンス』を聴いているんだけどさ」 「この前のアルバムは、ええっと 『POP LIFE』 ですね」 「うん。間にミニアルバム 『フラッシュバック、夏』 を挟んでいるけれど、フルアルバムはそれ以来」 「サイケデリックなジャケットですね」 「こういう色合いだと小さな画像だと汚く見えてしまうのが残念。実物を見ると意外と馴染んでいるのに」 「赤から紫にかけての色は、ディスプレイと実物で随分と印象が変わる気がします。ところで、曲はどうですか?」 「最初に公開されたけれど、アルバムでは最期を飾る『Choice is yours』がとても強力」 「この曲ですね」 「状況に甘んじて人のせいにするのは簡単だけれど、それで痛い目を見るのは自分なんだよね」 「逆に自分の周囲の変えられるのも、自分ですね」 「ね。何でもはできないけれど、できることだけをやるだけでも。それで少しず変えていけたらな、と」 「羽川翼さん風ですね」 「俺は何にも知らないけれどね。でも、誰も誰かを助けることなんてできない。最後には自分が勝手に助かるだけ」 「それは忍野メメさん」 「なんて小難しいこと考えてばかりじゃなくて楽しむのも重要だよなー。24時間365日マジメになんて生きられん。ラーララウラッララ♪」 「ラッララララ、ラッラッラー♪」 「実際、もうニッチもサッチもいかない時期もあるよね。そういう意味では『ノーサイド』のDさんのリリックがステキ。まー、テンション低いときは低いよね。俺@がんばらない」 「それはささみさん。少しは頑張って下さい」 「『頑張る』が大抵の場合『痛みに耐える』を含意するのはどうにかならんもんかね。肩の力を抜いて軽やかに頑張りたい。というわけで、なにかしらは頑張るよ」 「ドアラさんの座右の銘ですね。『なにかしら頑張ろう』」 「頑張らなくて良い範囲で頑張りたい」 「何を言っているんですか?」 「日本語だおk?」 「何を言っているんですか?」 「大事なことなので二回言――」 「何を言っているんですか?」 「日本人の知らない声に出して読めない日本語」 「それ、日本語じゃないですよね、間違いなく」

フォロワーロアとリーダー神話

「『ザ・フォロワーシップ』を読んだよ」 「なんですか、〈フォロワーシップ〉って?」 「リーダーシップの反対。リーダーについていく人は、いかにあるべきか、みたいな話。リーダーシップがもてはやされるけれど、マジョリティはフォロワーだよなぁ」 「確かにリーダーシップの発揮は良いことだと言われていますね。『鶏口となるも牛後となるなかれ』なんて言いますし」 「実際、どうなんだろうね。よくそんな風に言われるってことは、逆説的に全然そんな風にはなってないことでもあるわけで」 「実態と目標は違っていて当たり前かと」 「リーダーがリーダーらしいかというとそんなこともないわけで」 私がリーダーたちか最もよく聞く不満は、スタッフは組織に対してもっと責任を感じ、自分で考え行動してほしいというものだ。スタッフがそうしないのは、たいていリーダーのやり方や組織の文化に原因があるのだが、ほとんどのリーダーがスタッフにもっとイニシアチブをとってもらいたいと思っているというのは興味深い。 ほとんどすべてのリーダーは、自分はすべての人に扉を開けていると言い、自分のまわりに「イエス・マン」はいらないと言う。しかし、その言葉の意味を十分に分かっている人、あるいは本気で言っている人はほとんどいない。 「フォロワーは逆に『リーダーにはもっとハッキリと決断して欲しい』とか、『言うべきことを言っているのにリーダーが取り合ってない』とか思っているんだろうなぁ」 「また他人事みたいに」 「何か自分の状況に置き換えられなくて。抽象的な心構えの話が目立っていたからかな? あ、でも面白い発見もあったよ」 「何を発見したんですか?」 「リーダーが気にくわないからって手を抜くと、ますます締め付けが強くなって悪循環に陥るよね」 「フォロワーにしてみたら、細々と言われてモチベーションが下がるでしょうね」 「ままならんよなぁ」 「双司君がリーダーに夢見過ぎなんじゃないですか?」 「うーん、そうなのかなぁ。って、ハッキリ言えない時点でそうなのかも? そう言えば『イノベーションの神話』でもそんな話あったっけ」 「リーダー、天才、英雄、王。個人が目立つと、それを支える人が埋もれがちなのかもしれませんね。そう言えば 『動員の革命』 でも、デレク・シヴァーズという方のこんな言葉が紹介されています」 最大の教訓はリー

Disco Discommunication

『海賊のジレンマ』を読んだ。 海賊と聞くと『ONE PIECE』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』を思い出すけれど、この本における海賊は、 代価を支払ったり使用許可を得ることなく、他人の創造的資産をコピーしたり勝手に広める連中 のこと。 一見、悪い連中に見える。でも、代価の発生に納得できなかったり当然の権利に思える使用さえ不許可だったりしても? あるいは、その創造的資産を生んだのが海賊行為だったとしても? 例えば、私的録画・録音補償金制度。録画や録音ができる媒体(CD-R, DVD-Rなど)に著作権の補償金が上乗せされている。でも、ふと今はどうなっているんだろう? と思って、調べたら、2012年11月に レコーダーの私的録画補償金収入、デジタル移行でゼロに? 半年で1万579円 -INTERNET Watch なんてニュースがあった。何だったんだろう、と思う。 それから、DVDのリッピングが2012年10月1日から禁止になった。CDをMP3プレイヤに入れて持ち歩いていることと比べると、不便な話だと思う。 DVDリッピング規制が著作権法に盛り込まれたことにより、購入・レンタルした映画などのDVDを空のDVDにコピーしたり、映像をスマートフォンやタブレット端末に取り込む行為も違法となる。ただし、罰則は設けられていない。 今日からDVDリッピング禁止、違法DLに刑罰も~改正著作権法が一部施行 -INTERNET Watch 面白かったのが、現在著作権の保護を強めようとしている大企業も、現在だったら著作権違反となる行為から生まれていたとも言えるいう話。例えば、例えば、ディズニーの長篇映画第一作『白雪姫』はグリム童話を原作としている。 実は、海賊行為がディズニーの誕生秘話に関わっていたと言えないこともない。そもそもパブリックドメイン化したグリム兄弟のおとぎ話を資本にしてディズニーは発足している。 大企業に限らず、創造と海賊行為とは分かちがたいものだと思う。だから「芸術は模倣からはじまる」なんて言われるんだと思う。実際、全て自分で考え出すなんてことがあるんだろうか? 意図の有無に関わらず、見聞きしたものに影響を受けている。そうやって生まれたものに対して、自分が権利を持っていると主張し、他の人の使用を制約するのは、どこまでが正当なものなんだろうか? 読