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『その裁きは死』の感想

ミステリィ小説『その裁きは死』を読みました。『メインテーマは殺人』に続くホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ第2作。読み始めたら止まらなくなって、半日かけて一気読み。 今まで見えていた(と思っていた)全体像が、矢継ぎ早に伏線が回収されてドミノ倒しのようにガラリと変わるときの感覚がたまりません。 ホーソーンとホロヴィッツの関係がどうなっていくかも気になるところ。こちらはシリーズ(全10巻の予定)を通して語られるだろうから、ゆっくり追いかけていこうと思います。個人的には最後の最後まで牽制しあっていて欲しいところ。

滞留と - 『竜と流木』

パニックミステリー小説『竜と流木』を読んだ。できるだけリスク管理していたうえで、想像を越える形で事態が悪化していく過程が描かれていて、息が詰まるような恐怖を味わえる。 太平洋に浮かぶ美しい島ミクロ・タタに固有の両生類ウアブを、絶滅の危機から救うために隣のメガロ・タタに移すところから物語が始まる。 端的に書くとこのとおりなのだけれど、考えなしに捕まえて別の場所に放すわけではない。些細なミスがきっかけになるパニックものもあるけれど、本作はそうではない。単体で人間への危害がないと判断している生物を、メガロ・タタの環境への影響を可能な限り小さくした形で、保護のために持ち込み管理しているにも関わらず、被害が出てしまう。 原因の特定の困難さ、判明してからの対策のあてのなさ、さらには問題が他国まで拡散するシナリオまで、現実味をもって語られており、主人公たちの感じているであろう閉塞感が自分にまで重くのしかかってくる。複数の要因――ウアバの生態、ミクロ・タタとメガロ・タタの地理的条件、現地住民と観光客の経済事情――が重なっているため、途方に暮れてしまう。 そこは物語なので、最後にきちんとオチがあるのだけれど、希望と不安が同時に感じられる幕引きだった。絶妙。

カササギ殺人事件、ウィッチクラフト・アカデミア、モンスター娘ハンター、ゲンロン10.5

『カササギ殺人事件』  イギリスのミステリ。「アガサ・クリスティへの愛に満ちた完璧なるオマージュ・ミステリ!」と歌われているけれど、アガサ・クリスティに詳しくない自分でも十分楽しめた。 編集者の視点での作中作『カササギ殺人事件』を巡る謎と、作中作『カササギ殺人事件』の謎の二重構造。おもしろい構造をしている。下巻を読み始めた時、本を間違えたと思ったほど。 ◆ 『ウィッチクラフト・アカデミア』1, 2  ラノベ。『這いよれ!ニャル子さん』と同じ作者の作品。だけれど作風はずいぶん違う。ウィッチクラフトという箒レースがある世界で、その専門学科に飛び込んだ少年が主人公。ウィッチクラフトは小さくて軽い方が有利で、そもそも適性がある男性がまれということで、小柄な男の子が女の子に囲まれるという状況に必然性があるのが好印象。最後はレースで語ることになりスポーツものの熱さが見られる。ウルスラがまだまだ謎過ぎるので、シリーズに期待。 ◆ 『モンスター娘ハンター』1, 2  ラノベ。『モンスター娘のお医者さん』がおもしろかったのでこちらも読んでみたけれど、どうも入り込めない。もうちょっと読み続けよう。ここまでで主要キャラが集まって次あたり大きな展開がありそうな気もするし。 ◆ 『ゲンロン10.5』  ゲンロン会員限定の『ゲンロン』増刊号。雑誌というかムックというかそんな感じ。『スマホ写真論』を読む前に、と思ってようやく(お察しのとおり、メルマガは未読の山となっている)。 「正義は剰余から生まれる(國分功一郎+東浩紀)」  読んでいてトム・デマルコの『ゆとりの法則』を思い出した。「剰余」あるいは「ゆとり」や「あそび」がどんどん小さくなっていると実感する。   「いまここ」で他人にどう解釈されるかにおびえながら生き、ますます「いまここ」で正しさが判明するコレクトネスにすがるようになる。  というところでは、偉い人がOKを出すかどうかに拘泥して資料を修正しているうちにコンテンツがどんどんよくわからなくなっていく様を思い出したり。  ふと、思ったのだけれど、コンテンツがよくわからなくなるのは、ここで議論があったとおり、コレクトネスは意見を変えないので、偉い人の意見とコレクトネスの混合物になるからかもしれない。  ※ここでのコレクトネス(正当性)は、デ...

堂に入る - 大聖堂の殺人 ~The Books~

『大聖堂の殺人 ~The Books~』を読んだ。これにて〈堂〉シリーズ完結。 只人の導き出した結論が描かれたので満足。探偵役として登場したと思ったら、自分が犯人だと証明しかけたり、あまつさえ宮司百合子と対立までして、シリーズを通してずっと気になるキャラクタだった。でも終わってみれば、まさに〈放浪の数学者〉だったようにも思う。 期待外れや相性の悪さを感じたことがも一回や二回ではなかったけれど、しっかりと結論まで書き切られたので今は充足した気持ち。

可能性を考えるのが早すぎる - 井上真偽作品5冊

井上 真偽 ( まぎ ) の、『探偵が早すぎる』(上・下)、『その可能性はすでに考えた』『聖女の毒杯 〃』、『恋と禁忌の 述語論理 ( プレディケット ) 』を読んだ。つまりすべての単行本を読んだ。 上記は自分が読んだ順。出版された順に並べると、『恋と禁忌の述語論理』、『その可能性はすでに考えた』、『聖女の毒杯 〃』、『探偵が早すぎる』。偶然だけれどおおむね出版順を遡っていて、結果的には歯ごたえが強くなる方へと進むことになった。 いずれもミステリーで、探偵役のアクの強さが群を抜いている。JDC[1]メンバにも引けを取らない。それでいて解決はあれほど突飛ではない。 『探偵が早すぎる』では事件は起こらない。正確にいうと起こるのだけれど、犯人の思惑どおりの結果にはまったくならない。なぜなら、被害が出る前に探偵役が犯人(未遂犯)を見つけて解決してしまうからだ。だから「探偵が早過ぎる」というわけ。こういう探偵の存在について考えたことはあるのだけれど、こんな風におもしろい小説にできるなんて。感動すら覚える。 『その可能性はすでに考えた』では、探偵は事件を(一般的な視点では)迷宮入りに導こうとする。探偵の視点では、奇跡の存在を証明しようとしている。ある事象が発生し得るあらゆる可能性が否定されたら、その事象は奇跡と呼ぶ他ないという。おおよそミステリィって一般的には不可能に見える事象が発生した過程に理路をつけるものだけれど、この作品の探偵は反対に不可能性を追い求めている。それはいわゆる悪魔の証明であり、どんなトンデモでも可能性があれば奇跡とは呼べなくなるわけで、それはもう沢山の可能性が披露される。〈境界線上のホライゾン〉シリーズの文系の相対を思い出す(ただし、この作品では戦争になったりはしない)。 最後に読んだ『恋と禁忌の述語論理』が著者のデビュー作。一階述語論理とか二階述語論理とかの述語論理。数理論理学の一分野であるところの述語論理。本作の探偵役は「論理的に話したり」しない。論理で話す。おもしろかったけれど、既刊の中でこれがもっとも敷居が高い。一応の説明はあるものの、((予備知識がない)∧¬(活字中毒))⇒(読み切れなかったのではないか)。でも探偵役の女性が素敵だったので読み切れたようにも思う。副読本として『数学ガール ゲーデルの不完全性定理』なんかいいか...

いっせっせーの - 数字を一つ思い浮かべろ

『数字を一つ思い浮かべろ』を読んだ。 主人公デイヴ・ガーニーは元警察。すでに引退して妻と二人で暮らしている。事件は彼のところに大学時代のクラスメイトから手紙が届くところから始まる。自分なら不意に届いた知人からの手紙なんて気持ち悪くて捨ててしまいそうだけれど、彼は事件の相談とあっては捨て置けず、わざわざクラスメイトを訪れる。 こうして引退してからも自ら犯罪捜査に関わっていくデイヴを、もちろん妻マデリンは快く思わない。心配する様子を見せたり、苛立ちを露わにしたり、放っておいたり、と落ち着かない。デイヴ自身もときに自問して自己疑念に囚われたりする。それでいて、あるいはそれだからこそ、捜査に集中する。捜査以外を視界から外してしまう。 似たような面倒臭さには自分もよく悩まされて、そのうえいつまでも悩んでいていいのだろうか? とメタ悩みまで発生させてしまうくらいなのだけれど、デイヴの術会を読んでいると、諦観だか達観だかの念が湧く。引退後の警察官まで悩んでいるのだから、つきあい続けることになるのだろう、と。 ミステリィを読んだにしては珍しく、謎解き要素ではなくガーニー夫妻の関係に目が向いたのは、数字当てのトリックの答えを知っていたから。ネタバレしていたわけではなく、数学か統計の読み物で読んでいた。それじゃないといいなと思っていたのでそこが残念。 こういうこともあるだろう。それでも楽しめたのは前述のとおり。 ところで本作といい、『ミスター・メルセデス』といい、〈バック・シャッツ〉シリーズといい、たまに翻訳ミステリィを読むと主人公が引退後の警官というのは偶然なんだろうか。それともアメリカでは読者層の高齢化が進んでいるのだろうか。 文化庁の『平成 25 年度「国語に関する世論調査」の結果の概要』 を見ると、日本では60代以上の年齢層は60代未満より一ヶ月に1冊も本を読まない比率が多いようだけれど(視力の衰えもあるか)。 さらに余談。数字当てというと「いっせっせーの」を思い出す。いろいろとかけ声のバリエーションがあって、調べるとおもしろい。中にはまじめに答えずネタじゃないかというようなレベルのものもあったが。自分が実際にやったことがあるのだと、「んー」がタイミングの駆け引きも発生しておもしろかった。ものっそい短く言って指をあげさせないのを狙ったり。 脱線が...

垂直統合 - ψの悲劇

『 ψ ( プサイ ) の悲劇』を読んだ。森博嗣による〈Gシリーズ〉の5冊目であり、『 χ ( カイ ) の悲劇 』に続く後期三部作の第二部。 本書の背表紙で〈Gシリーズ〉は「 失われた輪 ( ミッシングリンク ) をつなぐ」と形容されているせいか、内容=輪そのものよりも、位置づけ=どこから失われたのかの方が気になる。 〈Gシリーズ〉を締め括るのが『 ω ( オメガ ) の悲劇』というタイトルなので、素直に〈Wシリーズ〉につながるんだろうと思っている。ギリシャ文字のωが対応するアルファベットはWだ。〈Wシリーズ〉で描写されているウォーカロンの要素技術 が形になりつつあることも読み取れるし。 その〈Wシリーズ〉は『人間のように泣いたのか?』で完結している。こちらでの真賀田四季博士の状態を考えると〈Gシリーズ〉で彼女はなすべきを終えるのだろう。終えたところだということが示唆される程度に留まるかもしれないけれど、どのような縦糸が通ることになるのか。 ところで 浮遊工作室 (近況報告) によると、『ωの悲劇』は2020年。今年は新シリーズが始まるらしい。どんな物語が始まるのかな。

JM - モリアーティ秘録 〈上・下〉

『モリアーティ秘録』の上下巻を読んだ。正典を踏襲した、相棒=モラン大佐による手記形式。事件も正典をモチーフにしている。正典だけでなく膨大な作品や史実も参照している。訳註や訳者解説に大いに助けられた。 これだけでも悪漢小説としておもしろい。特にモリアーティ像。著作を貶されて怒りを見せたりと、人間らしいところも描かれているのが新鮮だった。もちろん人でなしの犯罪者なのだけれど、別の側面が見えるのは、モリアーティ側の視点で描かれているからか。ホームズ側の視点だと、ただでさえ人間味の薄い名探偵よりさらに酷薄に描かれる必要性が出てくる。 さらにおもしろくなってくるのが、下巻から。一気に話が広がる。どう広がるかは読んでみてのお楽しみ。独立したと思っていた個々のエピソードがつながり、一つの蜘蛛の巣のうえで起きたことだったと思い知らされるので、上巻まで読んで物足りなさを感じた方もぜひ下巻まで。 そして、こだまのように繰り返し響く最後の一行。目を閉じれば映画のワンシーンのような映像が思い浮かぶ。

鏡よ、鏡 - 鏡面堂の殺人

『鏡面堂の殺人』を読んだ。〈堂〉シリーズ6冊目。いつのまに文庫化したんだろう? と思ったら、文庫書き下ろし。余計なお世話だけれどノヴェルスで集めていた人が悲しい思いをしていそう。 今回のトリックも大仰で毎度よく思いつくものだと唸らされる。そして真犯人の意外さにも。そして物語も終点が見えてきた。登場人物の過去の因縁も明らかになり、隠されていた目的が明らかになったり、意外な選択がなされていたことが告げられたりする。 2月15日に発売される次の『大聖堂の殺人』で完結とのこと。只人がどう描かれるのか。

漂白される記憶 - 掟上今日子の色見本

〈忘却探偵〉シリーズ10冊目『掟上今日子の色見本』を読んだ。 久し振りに1冊目の『備忘録』に出てきた寝室の伏線に触れられたかと思ったら触れられただけだった。代わりと言うわけではないだろうけれど、親切守が今日子さんが以前に作ったデータにアクセスするくだりがある。ますます○○○ さん疑惑が濃くなる。 この巻で描かれる事件自体よりも、親切守をとおして隠舘厄介の胡散臭さを体験できたこととか、今日子さんが忘却探偵であることの意義について改めて語り直されたりしたことがおもしろい。犯人の動機を『旅行記』と並べてみると、この世界で今日子さんがどう見られているかよくわかる。

犯人はバレる - 掟上今日子の裏表紙

『掟上今日子の裏表紙』を読んだ。 表紙の囚人服から想像できるとおり、本作では今日子さんは直接捜査できない。自分に容疑がかかった事件を解決するため、裏から糸を引くことになる。裏拍子というわけだ(うまくない) 忘却探偵ゆえに(彼女の主観的には)ワトソン役がいないわけだけれど、そこはシリーズ準レギュラーの隠館と日怠井が、主戦場に立ち主旋律として捜査を引っ張ることになる(やっぱりうまくない。主導しているのは今日子さんの押しだ)。 最速の探偵ゆえに常人からしたら突拍子もないことを言っているように見えるけれど、総当たり推理の中には調子っぱずれも混ざっているけれど、動けないからこそ今日子さん節が際立っていて、かえって安心するくらいだった(うまくないのに重ねていく)。 次はどんなシチュエーションに置かれるのかな。今回と似て非なるシチュエーションとして協力者がいない嵐の山荘とか? (やるなら最後までやれよ、とは自分でも思う)

館、空から雷が - 雷鳴館の殺人

『雷鳴館の殺人』を読んだ。『十角館の殺人』から始まる〈館〉シリーズとは関係ない。 『体育館の殺人』 から始まる〈裏染天馬〉シリーズとも関係ない。 『天空城殺人事件』 、 『魔王城殺人事件』 と同じ著者の作品。短篇集「四鳴館の殺人」の一篇目とのこと。 タイトルから想像できるとおりミステリィ。あとがきで作者いわく「先にできあがった」トリックと思われる大ネタを、(辛うじて)前半で予想できてうれしい。予想が立ったこと自体もうれしいし、しかも珍しく割と近かった。今回はたまたま視点が近かったのかもしれない。 ひとつ気になったのが冒頭でも触れたタイトル。もうちょっと館という舞台が活かされていたらなと思う。他の3篇と合わせて読むと何か浮かび上がってくるのかしらん。

左手にうちわ - 掟上今日子の家計簿

『掟上今日子の家計簿』を読んだ。今回は短篇集で、次の4篇が収録されている。タイトルにある家計簿は、直接登場こそしなかったもものの、1篇目を意識してのタイトルかな。 「掟上今日子の 誰がために ( クイボノ ) 」 「掟上今日子の叙述トリック」 「掟上今日子の心理実験」 「掟上今日子の筆跡鑑定」 2篇目のタイトルがおもしろい。叙述トリックは、叙述トリックものだと知った時点で結構なネタバレになる。なのに、タイトルで宣言しちゃうなんて。しかし、これの解決が一意に定まらないように思えて、どうにも歯がゆい。 あと本シリーズ通してずっと疑問なのだけれど、今日子さんが実は何も忘れていないってことないのかね。なんか最後の最後でそういうちゃぶ台返しがありそうな、嫌な予感がしてならない。

羽根ムーン - 掟上今日子の婚姻届

『掟上今日子の婚姻届』を読んだ。 冤罪体質の厄介が語る冤罪論がおもしろかった。それにしても、濡れ衣を着せられたうえに、それを晴らしたら晴らしたで、別の理由で疎ましがられるとか、不幸にもほどがないだろうか。逆転裁判シリーズの矢張も大概だけれど、彼も相当だ。 それから、事件解決のためのズルを使った今日子さんが可愛らしい。しかし、その方法が方法だけに、『旅行記』を読んだ時の疑問が再び浮かび上がってくる。今日子さんは、自らの手で書いたメモをどれだけ信じているのだろうか。 もっと言えば、自分が探偵だとどれだけ信じているのだろうか。

秘す自筆 - 掟上今日子の旅行記

『掟上今日子の旅行記』を読んだ。 寝たら記憶がリセットされる今日子さんが旅行だなんて!? とワクワクさせてくれるタイトル。内容も、おもしろいところはおもしろかった。特に、今回の犯人が狙っているもの。あと、今日子さんの自分の過去に対するスタンスも、素敵だった。 しかし、ひとつ大きな疑問というか欲求不満が。今回の件があったのなら、なぜ自分が探偵なのか? そもそも本当に探偵なのか? という方向に推理をはたらかせそうなものだけれど、そちらの方向に話が全然いかなかったこと。 たとえ忘却している過去に興味がなくても、謎を解決するのに網羅的にアプローチする今日子さんのことだから考えそうなものだけれど。

魔王城の有情 - 魔王城殺人事件

『魔王城殺人事件: ~もしRPGの世界で殺人事件が起こったら。②~』を読んだ。 『天空城殺人事件』 の続き。 前作同様、吹雪の山荘ものかと思ったらそうでもなかった。登場人物が増えたり、事件現場の位置関係が複雑になったり、視点が何度も変わったりで、ちょっと目まぐるしかった。 でも、落ち着いて振り返ってみると、本作もRPGのシステムが前提となっていて、なるほどと唸らされる。 あと、前作に引き続き、締め方が好み。

ヴァーサスナイト- 貴族探偵対女探偵

『貴族探偵対女探偵』を読んだ。 『貴族探偵』 がおもしろかったので続編も。 いきなり脇道にそれるけれど、『貴族探偵』も『貴族探偵対女探偵』もジュブナイル版があるのね。表紙もレーベルも見ずにタイトルだけで判断して間違えかけた。どちらも収録されているのが一部だけなので、お間違いなきよう。 ジュブナイル版の紹介文には、 小学上級・中学から とあるけれど、小学生・中学生にそれを守る義務はないわけで。ジュブナイル版じゃない版に、年齢制限があるわけでなし。出版社に務めている人が、仕事として出版するためには教育的配慮とか避けがたいだろうけれど。 本シリーズについての話に戻ろう。 『貴族探偵』、『貴族探偵対女探偵』と読むと、ドラマはよく咀嚼されていたんだろうな、と思う。『貴族探偵』に収録されているエピソードが、『貴族探偵対女探偵』と同じシチュエーションに落とし込まれている。そのうえ、『貴族探偵対女探偵』を読んでもよく分からなかった女探偵の〈師匠〉について、ドラマでは着地点が用意されている。 あれ、ドラマの話になってしまった。 本シリーズについての話に戻ろう(2回目)。 本シリーズの魅力は、このような繰り返しにある。〈大いなるマンネリ〉とでも形容すればいいのだろうか。お笑いでいうと天丼? お約束? 解説では「シチュエーション・コメディ」と言っている。 ともあれ。前作に引き続き、貴族探偵本人は、事件解決に向けて何の直接的関与もしない。すごいんだかすごくないんだかわからない。もう少し正確に言うと、すごいはずなんだけれど、その由来がさっぱり分からない。誰かに何かさせるって、それもたまたま遭遇した事件の推理をさせるだなんて、ムチャクチャだ。それをさせる貴族探偵は何かがすごいはずなんだけれど、そこにはさっぱり触れられない。 安楽椅子探偵どころではない。強いて言えば玉座探偵か。金持ちって、よくて鷹揚、だいたいが傲慢に描かれることが多いけれど、

だけが知っている - 貴族探偵

『貴族探偵』を読んだ。 キッカケはTwitterのタイムライン。「こうもり」のドラマ放送前後にいくつかツイートを見かけて気になって。 読んで納得。「こんなんどうやって映像化するんだ?」って思うわ、これ。小説ならではのトリックが仕掛けられている。ちなみに、記憶力が鳥頭なので、ドラマを観ていたにも関わらずものの見事に騙されて「え、え!?」ってなった。 この1冊だと貴族探偵自身への謎にはさっぱり触れられないのがちょっと物足りない。 『貴族探偵対女探偵』 まで読むとわかるのかな。

涙の数 - 涙香迷宮

「ミステリィ小説『涙香迷宮』を読んだよ」 「おもしろかったですか?」 「どうかしていた。メインテーマは暗号解読で、殺人事件も起こるけれど、とってつけたような扱い。で、サブテーマは黒岩涙香。蘊蓄の密度がすごいことになっている。いっそ清々しいまでの重心の偏り。ちっともついていけなかったよ!!」 「楽しんだのか、ストレスだったのか……」 「んー、なんて言うか、怪作だった。特に、大量のいろは歌。早々についていくのを諦め、斜め読みモードに」 「えー」 「こういうもう明らかについていけないと分かるくらいの突き抜けっぷりを感じるの、楽しくない?」

割れ壺理論 - ルビンの壺が割れた〈キャンペーン版〉

『ルビンの壺が割れた《キャンペーン版》』を読んだ。 2017年7月14日から2017年7月27日までと閲覧期間が限定されている。 《担当編集者からお願い》「すごい小説」刊行します。キャッチコピーを代わりに書いてください! 『ルビンの壺が割れた』 | 新潮社 というキャンペーン用。話題の作り方がうまいなあと思う。 肝心の小説の方も、Facebookのメッセージやりとり形式でテンポよく進んでいくし、そのやりとりの内容がどんどん不穏になっていくので、ページを捲る手が止まらなくなる。長さも手頃なので一気読みできる。 宣伝がちょっと煽り過ぎている感はあるけれど、十分楽しめたのでよしとしよう。