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このライトノベル世界じゃあ二番目だ - 世界で2番目におもしろいライトノベル。

『世界で2番目におもしろいライトノベル。』を読んだ。

タイトルに「ライトノベル」と入っているライトノベル。メタい。主人公が大事なことはアニメで学んだ叫ぶアニメ『起動戦艦ナデシコ』を思い出す。さらに本作の主人公・祭の趣味はライトノベルのレビューである。やはりメタい。会話の端々で、ライトノベルなどに関するネタが挟み込まれる。

当然、設定もメタい。いわゆる主人公補正が"英雄係数(メサイアモジュール)"として数値化されている。つまり、この係数が大きいほど、イベントがひっきりなしに起こるようになる。ちなみに、一般人が100くらいで、異世界を救った勇者などは300くらいだそうだ。で、主人公祭はわずか5。唐揚げでもたぶん10はあるらしい。どんな人間だ。平穏無事に生きていきたい吉良吉影が羨ましがりそう。しかし、祭の英雄係数、役目を終えた英雄4人から移転され、200倍以上――1000超にまで上がってしまう。

これだけメタメタなのだけれど、物語の骨格は至って真っ直ぐ。冴えない主人公(英雄係数=5の祭)が、ヒロイン(夏恋)の窮地をキッカケに力を得て(英雄係数>1000となり)、彼女を救っている。ライトノベルに限らず、広く遍く語り継がれる英雄譚をなぞっている。

ただ、それだけで終わっていないのが巧い。ヒロインの夏恋は、英雄係数を祭に移転したものの元主人公。魔法少女=バトルヒロインだ。
「キミ、守られるだけのヒロインなんて時代遅れだよ」
さらに、エピローグ。タイトルの意味が明かされ、さらにメタレベルが上がる。本作は、ライトノベルであり、ライトノベルではない。本作は――ネタバレにつき自粛――だ。

ライトノベルが好きならきっと楽しめる1冊。

最後に余談。舞台となる海部(あま)津州と呼ばれる町、愛知県で南に名古屋港があり西に木曽三川にあるということは、モデルは津島市だろうか[2] [2]。だとしたら、ツタヤやシダックスが並ぶ駅前の大通りは、県道68号線だろうなあ。たまたま土地勘がある場所なので懐かしい。

[1] 作者がラジオ出演したときのパーソナリティのブログサンサタRadio!【第135回放送】OA内容(ゲスト:石原宙さん)|佐倉ユキ オフィシャルブログ「3939ブログ」を見ると、やはり津島のようだ。

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