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ディクショナリィとボキャブラリィ - 辞書を編む

『辞書を編む』を読んだ。著者は飯間先生。Twitterアカウント@IIMA_Hiroakiのツイートをいつも楽しませていただいている。最近だと、紅白歌合戦で歌われた曲の歌詞に関するツイートが記憶に新しい[1]

そんな飯間先生の本職は国語辞典編纂者で、本書で約3年前の『三省堂国語辞典』の第七版への改訂作業の舞台裏を明かしてくれている。

今まで気にしたことがなかったのだけれど、初めて国語辞典の特徴を知らされた。『三省堂国語辞典』は、
「そのことばが、今、広く使われているかどうかを確かめたい人がいれば、『三国』はその人に向いている」ここで言う「今、広く使われている」ことばとは、単なる新語・流行語のことではありません。もっと期間を長く取って、ここ40~50年ほどの、同時代の日本語のことと考えてください。
とのこと。

きっと単なる新語・流行語のことではないというのがポイントだろう。新語・流行語は短いスパンで見ると、認知度が高く広く使われているだろうけれど、寿命が短い。改訂のインターバルが年単位の国語辞典向きの言葉ではない(中には、生き延びて市民権を得て、辞書に載る言葉もあるかもしれないけれど、それは結果論だろう)。

意外だったのが、新聞や書籍だけでなく、雑誌や街中の看板などで使われている言葉も辞書に載せる候補にしているところ。そうすると、自然と規範的ではない言葉も集まってくる。でも、それが「今、広く使われている」なら、『三省堂国語辞典』には載る可能性があるということ。

国語辞典というと「正しい言葉」が載っているものだと思っていたけれど、辞典に対する見方を広げてくれた。そして、規範的でない言葉に寛容になれたような気がする。もっと言うと、規範的でないという判断自体が決めつけで、自分があまり見かけないだけのあちこちで使われている言葉かもしれないと、想像できるようになった気がする。

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