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4月, 2011の投稿を表示しています

こねこね子猫

『猫物語 (白)』 を読んだ。 『猫物語 (黒)』 ( 感想 )を対になっているかと思いきや、そんなことはなかった。 羽川翼を巡る物語という点では共通しているけれど、怪異譚としては独立している。 間が空いてしまい黒がどんな話か忘れてしまっていたので、その方がありがたい。 本作は羽川翼の成り立ちについて、随分と突っ込んでいる。 戦場ヶ原ひたぎも随分と変化したけれど、羽川翼もこれから相当に変化していくんだろうな、と思う。 変化するのも辛くなるだろうけれど、変化しないのも辛いだろうな、と思う。 ままならない。 自分の気持ちなのに。 いや、だからこそか。

The Proof of Loops for Fools

「『魔法少女まどかマギカ』の主役のまどかと準主役のほむらを描いてみた」 「3月11日の地震で延期になりましたけれど、本日ようやく最終回ですね」 「地震からもう1ヶ月以上経つのか。速いな」 「それでも、まだ避難所で生活されている方も多いみたいですね」 「そんなすぐには解決しないか。それにしても、まだまだ不安は尽きないよなぁ。原子力発電所の問題も解決していないし、ついさっきも震度5弱の地震があったし」 「あまり気に病まない方が良いですよ」 「キュゥべえと契約して、魔法少女になって、何もかも解決してよ!」 「また頭の悪いことを」

Shall we dance?

『熊とワルツを』 を読んだ。 本書のテーマは、プロジェクトマネジメントにおけるリスク管理。 テーマはリスク管理に限られているけれど、問題意識は 『ピープルウエア』 や 『ゆとりの法則』 と通底しているように思う。 組織の文化や顧客とのコミュニケーションなど人間系を重視している。 「第5章 リスク管理をすべきでない理由」では、理由として次の6つを挙げているけれど、少なくとも5以外は人間系の問題だ。 発注者がリスクに直面できるほど成熟していない 不確定範囲が広すぎる はっきり不確定幅を決めると、出来の悪い仕事を許すことになる 「成功のための管理」の方があてになる リスク管理を有効に行うためのデータが不足している 単独でリスク管理をするのは危険である ところで、この著者の書籍には、ときどき益体もないことが書かれている。 例えば、理由6については、「この6番目の理由に対しては反論できない」と言ってしまっている。 「最悪の組織は、魅力のない結果ではなく、魅力のない予測を罰する」とも。 それから、デスマーチの定義も酷い。 そうならないためのリスク管理なのだろうけれど、なんて救いのない。 でも、思い当たる節がないでもないあたり、自分は普段目を逸らしているのだろうな、と思う。 デスマーチになる本当の理由は、あまりにも価値がないので普通のコストでプロジェクトを進めたらコストが効果が上回ることがあきらかだからだ。

這いよられたい

『這いよれ!ニャル子さん 7』 を読んだ。 本作は5篇とオマケ(序、幕間×2、断章)からなる短編集。 挿絵に加えて、各篇に扉絵があるのが嬉しい。 相変わらずネタで満ち溢れている。 もう7巻だけれど、これだけの密度が続くって、引き出しが百八式まであるんじゃなかろうか。 ゲーマーだったので、昔のゲームのネタが出てきくると嬉しくなる。「よのかぜ」なんて、なんて懐かしい。「King of Fighters '97」やん。 最近のゲームだと、「モンスターハスターポータブル3」は一瞬そのものに見えてしまった。 ゲームから離れると、酒好きなので「ミスカ・トニック」が気になる。 カクテルらしい。何かをトニックウォーターで割ったんだろうけれど、一体何を割ったんだろう……。 ところで、クー子とかハス太とか八坂母とかストッパーが増えてきたせいか、濃いのが集まってきたせいで、ニャル子が、だんだん可愛らしくなってきた気がする。 「真心加減配慮誠意礼儀優しさ慎み深さそして何よりもーー常識が足りない」そうだけれど。

誰が誰と戦っているのか?

Foo Fightersの "Wasting Light" を聴いている。 本作には、前作、 "Echoes Silence Patience & Grace" におけるThe Pretenderほど目立つ曲がない。 その分、アルバム全体のバランスが良いのか、通して聴きやすい。 かと言って、地味かと言うと、どの曲もそうでもない。 しっかりとメリハリが効いている。 Amazonのレビューで、Them Clocked Vulturesの名前を挙げている人がいて、なるほどと思った。 そちらのバンドでの制作活動で得たものもフィードバックされているんだろうなぁ、と想像する。 最後の2曲が染みる。

ズンズンズンズドン!!

小説『境界線上のホライゾン』の浅間・智(あさま・とも)を描いてみた。 通称、アサマチ。または、ズドン巫女。 先週末4月9日の製作発表会以来、アニメが楽しみでならない。 放送開始までまだ半年もあると言うのに。 落ち着かないので、ときどき PV を見返してしまう。 ちなみにアサマチが出てくるのは2分を過ぎたあたり。 良い機会なので、既刊の感想エントリィを読み返してみた。 随分と記憶がぼやけてきて、どの箇所を読んだときにこんなことを思ったのか、はっきり思い出せなくなっている。 『境界線上のホライゾン I〈上〉』 『境界線上のホライゾン I〈下〉』 『境界線上のホライゾンII〈上〉』 『境界線上のホライゾンII〈下〉』 『境界線上のホライゾンIII〈上〉』 『境界線上のホライゾンIII〈中〉』 『境界線上のホライゾンIII〈下〉』 というわけで、既刊を読み返している。 今、『I(下)』の3分の1あたり。 10月までに何周する気だ、自分。

Unangled

The Strokesの "Angles" を聴いている。 このバンドは2001年にリリースされた1stアルバム "Is This It" の衝撃がよほどだったらしい。 このアルバムのレビューを検索すると、多くのレビューでよく引き合いに出されている。 自分も聴いたことは聴いたけれど、多くのレビューで熱っぽく語られているほどの衝撃は受けなかった。 聴いたのが、去年か一昨年のことだったというのが大きいと思う。 衝撃は、当時に聴くから受けるのであって、その後(例えば、フォロワーが多数現われた後)で聴いてもどこかで似たような曲を聴いたことがあるという気になる可能性が高い。 そういう衝撃を、よく知っているバンドに期待するのは、土台無理な話じゃないだろうか。 このアルバムから聴いて、「これはスゴイ!!」と思う人もいるかもしれないし、それはそれてとても素敵なことだと思う。 割と自分はそれに近い口で、これまでの3枚のアルバム全て聴いているけれど、このアルバムが一番好きだ。 単に新しいモノ好きなのかも知れないけれど。

絶対対相対

RADWIMPSの 『絶体絶命』 を聴いている。 RHYMESTERの『POP LIFE』を同時期に聴いているせいか、『G行為』と同じようなことをMummy-Dがラップで言っていても違和感ないなぁ、などとどうでもいい感想を抱いてしまう。 でも、自分にとっては、こんなスタンスの曲の方がきっとずっとよく売れているであろうラブソングの類より心地よい。 アルバム単位では、前作『アルトコロニーの定理』より前々作『RADWIMPS4』より、『絶体絶命』の方が好き。

オトナナオト

RHYMESTERの 『POP LIFE』 を聴いている。 日常的と言うか凡俗なテーマを非凡なスキルでラップしている。 浪費しているという印象を受けるけれど、そこが良い。 特に最後の『余計なお世話だバカヤロウ』が素敵。 一歩間違ったら、愚痴になりそうなものだけれど、面白可笑しく聴かせてくれる。 他にも『そしてまた歌い出す』のようなテンションが上がる曲もあれば、『ネイバーズ』のようなシニカルな曲もあり、『hands』のようなしっとりした曲まで、バラエティが豊富で飽きない。

話せば変わる

『ストーリーとしての競争戦略』 を読んだ。 乱暴にまとめると、「シンプルに語れる観察から生まれるコンテキストに沿った全体最適な競争戦略」の話。 面白かったのは、クリティカル・コア(競争戦略の中核となる構成要素)の条件。 他のさまざまな構成要素と同時に多くのつながりを持っている 一見して非合理に見える 「一見して」は「常識的には」とか「部分最適な観点では」と言い換えても良いと思う。 そのため、そこだけ導入しようという動機は働きにくい かと言って、そこだけ導入しないと、他の構成要素とつながっているため、全体が機能しなくなる。 だから、長い間に渡って儲け続けられるという話らしい。 振り返ってみると、「一見して非合理に見える構成要素が戦略に必要だ」という主張が、本書のストーリーのクリティカル・コアに相当しているんじゃないだろうか。 部分が全て合理的に機能すれば全体も合理的に機能する、という「常識的な」考えが自分には根強く残っている。

何が成功を決める?

『その科学が成功を決める』 を読んだ。 本書から、2つの主張が読み取れた。 自己啓発本によく書かれていることの中には、反証されているものがある。 実証されているものはこれ。 いずれもいくつも書かれているけれど、自分は次の3つが切って捨てられているのが面白かった。 印象に残ったのは、どれも「そのはずなんだけど、実感できないなぁ」と思ったことがあったからだと思う。 ポジティブシンキングが人生を豊かにする。 成功したときのイメージを思い描くと成功する。 多人数でのブレインストームは創造性を高める。 そこかしこで言われていることでも鵜呑みにしてはいけないな、と改めて反省。 例えば、本書で実証されていると主張しているものの中にも、調査対象が偏っていたりして「そうだろうか」と思うものがある。

進め

『進撃の巨人(4)』 を読んだ。 3巻を読んだら、この後に中だるみしないかと心配したけれど、そうでもなかった。 過去の話が大半だから、謎は全然明らかになっていないけれど、退屈ではなかった。 先が楽しみ。

誰が観たのか

"SAW6" と "SAW The Final" を観た。 今週は6だけ観て、The Finalは来週にしようと思っていたのだけれど、6を観終わったところで心変わりして、The Finalまで一気に。 作品単体では、終わり方とか、これまでの作品との関わりとか考えられて楽しい。 でも、シリーズとして捉えると、The Finalにカタルシスがそれほどなかったのが残念。 劇場では3Dで公開されていたと知っているが先入観として働いて、「この絵は3Dを意識しているな」というようなどうでもいい感想が頭をよぎって、没入できなかったのもいまいち楽しめなかった一因だと思う。 もう少し綺麗に終わって欲しかったというのが正直な気持ち。

生まれたいのか?

『ひがえりグラディエーター』 を読んだ。 何の前触れもなく異世界に連れ込まれ、その世界の住人の娯楽のために戦わされるという話。 現実に生まれるときも似ていると思う。 見方によっては、生まるときの方が酷い。 生まれる前に、生まれることについての同意なんて求められない点は同じだけれど、何のためなのかについては何ら説明がない。 あるいはそれは酷いことでもないのかもしれない。 そもそも、誰に同意を求めればいいのか。 そして、誰かに同意を得られたとして、何を説明すればいいのか。 同意も説明も、前提じゃなくて願望なんだろう。

ひととひとしいひと

『ツチヤ教授の哲学講義』 を読んだ。 2005年に出版された単行本の文庫版。 哲学は同じ問題を扱い続けているから、今読んでも面白い。 本書は、その問題を問題にしている。 つまり「それは問題ではない」というのが、自分が理解した本書の主張。 じゃあ何なのかと言うと、「言語的誤解」だと言う。 そして、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」につなげていく。 ウィトゲンシュタインについては全然知らないけれど、この考え方は有効だと思う。 以前から「自分らしさ」に関する議論に、不毛さを感じていたのだけれど、その理由を考えるとっかかりとして使えそう。 「自分とは何者か?」なんていかにも哲学的な問題だ。 でも単純に考えると「自分」とはそう問う「あなた」だ。他に誰もいない。 「あなた」じゃない「本当の自分」が他にいるとしたら「あなた」は何者なのか? 「偽者」か? 『人間の条件』 や 『〈リア充〉幻想―真実があるということの思い込み』 に通じるものがある。 人間を定義しようとすると、それこそ聖人のようになるだろうし、それが人間(もしくは「あなた」)の真実の姿と思いたくなるかもしれないけれど、そんな人間はどこにもいないんじゃないだろうか。