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8月, 2018の投稿を表示しています

エノモタイア - 300

『300〈スリーハンドレッド〉』(原題 "300") を見た。 Fate/Grand Orderの影響。テルモピュライの戦いでの、スパルタ王レオニダス(FGOでは「レオニダス一世」表記)の勇姿を見て、最期を看取りたかった。 過剰なくらいの演出が、力強さと悲壮さを際立たせ、目に焼き付けてくる。 ところで、カタカナだと「レオニダス」表記をよく見るけれど、発音は「レオナイダス」に近いのね。 続編『300〈スリーハンドレッド〉〜帝国の進撃〜』(原題 "300: Rise of an Empire") も見たものの、レオニダス死後の話なのでどうも入り込めず。

смотреть≠видеть - ロトチェンコとソヴィエト文化の建設

『ロトチェンコとソヴィエト文化の建設』を読んだ。 『アート・オブ・デザイン』 のポーラ・シェアの回、彼女の作品に〈ロシア構成主義〉からの影響があると知った 『20世紀のデザイン:グラフィックスタイルとタイポグラフィの100年史』 、社会主義体制でのアートについての章がある 『人工地獄 現代アートと観客の政治学』 、ロシア現代思想を特集した 批評誌『ゲンロン 6』、『〃 7』 と〈誤配〉を楽しんでいる。 まず表紙が目を引く。〈ロシア構成主義〉の様式をうまく取り入れていて、目に入った瞬間の一撃が強烈。しかも読み終えてみれば、ピッタリだとわかる。2018/08/30時点、Amazon.co.jpには書影が登録されていないけれど、 出版社の書籍紹介ページ で見られるのでぜひ画像をクリックして拡大したのを。 その〈ロシア構成主義〉を始めた人物の一人が、アレクサンドル・ロトチェンコ。この本の主題となる――なんと紹介したらいいんだろう? とても一口に語り尽くせない。画家でもありデザイナでもあり写真家でもあり、思想家でもあった。合目的性に従って全体が構成されるべきだという思想を実践していたからだろう。表現手段を躊躇いなく切り替えていく。 とりわけ、興味が湧いたのが写真に対する考え方。ロトチェンコは見る/見えるを明確に区別していたとのこと。 ロトチェンコは「見る(смотреть = look)」と「見える(видеть = see)」を区別し、前者を意識的な視覚、後者を意識なき視覚としてとらえている」 出典:『ロトチェンコとソヴィエト文化の建設』p.186 まさに最近よく( 1 , 2 , 3 , 4上 , 4中 , 4下 , 5 の特に5)考えていた写真の見方/見え方のことだった。もう少し詳しく知りたい。 その他にもいろいろとフックになった。ただ散漫なので、 読みながらのツイートをtogetterにまとめる にとどめる。 写真だけでなく写真のテキストの関係も独特の考えを持っていたようだし、絵画では、マレーヴィチの《黒の正方形》と対比され、「最後の絵画」と評された《純粋な赤》、《純粋な黄》、《純粋な青》と《黒の上の黒》の関係なんか、 ベンタブラック が開発されたり、その独占使用権を買った アーティストの作品に観光客が落ち たり、そのアーティストだけは買え

最近よく聞くアルバムをつらつらと(Electronica/Country/Pop/Jazz/Rock)

Spotifyが3ヶ月で100円キャンペーンだったので、うっかり契約したら、うっかりもう元の生活に戻れなくなって、見事に継続している。 新しい音源を聞いているわりに感想を書いた覚えがないな、とふと思い当たる。 サブスクリプションだと、アルバム購入というイベントがないからだろう。それを感想を書くトリガにしていたので。 というわけでつらつらと。 ●Perfume / Future Pop これはまだ出たばかりだけれど、リピート率が高い。もう2桁を超えていると思う。リズムに存在感があって(”FUSION”がお気に入り)、チップチューンライクな音も印象的で、最初から好印象。今振り返ると、前作『Cosmic Explorer』は14曲中9曲がタイアップ曲と、自分の好みよりポップに寄り過ぎていた。 ●Western Caravan / Honky Talk FUJI ROCKのストリーミング中継でライブを見てすっかり気に入ってしまった。アルバムタイトルのHonky Talkは、カントリーミュージックが演奏されるバーのこと。始まりが調子っぱずれのピアノでの演奏からだったからか、どこかユーモラス。ゆったりと味わえる。 ●HONNE, Love Me / Love Me Not サマソニのビーチステージでライブを見て知ったアーティスト。開けたステージ、涼しい風、傾く太陽。ジャンルは違えど(こちらはダンス・ポップ)こちらもゆったりと心地よい。ちなみに日本を好いてくれていて、バンド名のHONNE = 本音。 ●Glenn Astro / Turquoise Tortoise これはSpotifyからのおススメプレイリストで耳に留まって。インストゥルメンタル中心のエレクトロニカ。ゆるゆると聞けつつ、ところどころズシリと来るのがよい。 ●Stanton Moore / With You in Mind 打楽器(タンバリン)で打楽器(ドラム)を叩くジャズドラマーの新しいアルバム。ファンキーだったりセクシーだったり、今回も楽しませてくれる。 ●The Fratellis / In Your Own Sweet Time ●Franz Ferdinand / Always Ascending ●Two Door Cinema Club / Four

椅子と階段 - ブラジル先住民の椅子@東京都庭園美術館

東京都庭園美術館 に行って、展覧会 「ブラジル先住民の椅子」 を見てきた。 「ブラジル先住民」と一口に言ってもその数は多く、この展覧会ではそのうち17の部族からの椅子が紹介されているとのこと。出展元のベイ・コレクション(ブラジル先住民の椅子に特化したコレクション)には27の部族の椅子があるそう。 木肌に幾何学模様が描かれているので、遠目には落ち着いたたたずまい。近くで表情をうかがってみると、愛嬌があってかわいくて、見ていて飽きない。特にカエルがいたのは得点高い。 展示品だけでなく、美術館―― 旧朝香宮邸 も華やかだった。屋敷の階段ってなんか惹かれるものがある。 あと書斎には憧憬がある。というほどのものか、すぐに本が溢れるので大きい本棚が自由に使いたいというくらいなので。

妖怪都市ブルース - 幻想の新宿 ―月岡芳年 錦絵で読み解く 四谷怪談―@新宿歴史博物館

「新宿歴史博物館」に行って、 所蔵資料展「幻想の新宿 ―月岡芳年 錦絵で読み解く 四谷怪談―」 を見てきた。 月岡芳年の錦絵は 『大妖怪展』 で見ていたけれど、本展で筋を追ったところ「四谷怪談」をほぼまったく知らなかったことが判明。お岩さんとゴッチャになりかけていたくらい。こいつはウッカリだ。 四谷怪談の舞台からくりは、「江戸東京博文館」に 歌舞伎の仕掛け「東海道四谷怪談」のうち「蛇山庵室の場」 という展示で見たはずなのだけれど、いまいちハッキリ思い出せない。常設展示だから、何かの機会にまた見られるか(それまで覚えていられるか怪しいけれど)。 本展の存在を知るキッカケになったツイート で紹介されていた、「新宿に語り継がれる伝説・伝承マップ」もいただきました。ありがたい。ここに挙がっている伝説・伝承のなかで、もっとも惹かれたのが「書籍姫の墓」。墓は現存せず土台しか残っていないそうですが、耳をあてると姫が書物を読む声が聞こえてきたそうな。 死後も本を読み続けられるなら、生きていけそう(死後の話では?)。新刊をどうゲットするかが問題だな……。今のうちから考えておかないと。 あと、全然関係ないけれど、本展のなかに水木しげる画の妖怪辞典のような本が開いて置いていかれていたのだけれど、そこに出ていたのが小さいときに知ってむっちゃ恐かった妖怪だった。どんなのかは、 土転び - Wikipedia に簡単な解説が見つかったので、興味があればどうぞ。 まさか、ここで再び相まみえることになろうとは……。

I'm Threatened. - IT/ “それ”が見えたら、終わり。

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』(原題: "IT")を観た。なお1990年版は未試聴。原作も未読。スティーブン・キング作品はたまに読むのだけれど、シリーズものにまでは手を出せていない。 恐怖を描いているという意味ではホラー映画だけれど、主題は思春期の少年少女のようで、そういう意味では青春映画として目に映った。こう映るのは、ライトノベル/ヤングアダルト/ジュブナイル、このあたりの小説をよく読んでいるせいかもしれない。伝奇要素があるものも多い。 だから、むちゃくちゃ恐いかというとそうでもなかった。でも、子供だったころはあのように自分の空想に現実的な脅威を感じたりもしていたっけ。そういう記憶がかすかに蘇る。

キック・エンド・ダッシュ - CITY 5

『CITY 5』を読んだ。 第61話「にーくらvs.サッカー部」がお気に入り。にーくらのツッコミがテンポよくて小気味よい。 トラックを走っている陸上部の人に直撃させてしまった記憶が呼び覚まされる。練習していると、なぜかゴールの枠を外れて人の方に飛んでいく……。今思えば動体検知センサで追尾していたのではなかろうか。 うん、陸上のトラックの内側にゴールが置いてあるのも悪いと思うんだよね。

余を余すところなく愛でるがよい - ネロ・クラウディウス(キャスター) from Fate/Grand Order

Fate/Grand Orderからネロ・クラウディウス(キャスター)。通称、術ネロあるいは水着ネロ。水着イベント2017復刻版の初日に召喚できたのが、待ちわびていたかのようでおもしろい(しかし、そこには半年前のお正月福袋で召喚されたメイド・オルタの姿が!!)。 お気に入りの第一再臨姿で描いてみた。どれも甲乙つけがたくはあるのだけれど。未再臨は夏のバカンスらしく開放感があるし、第三再臨は華やかで宝具解放に映える。 ポーズ・構図は跳び上がってビームのモーション [1] をイメージしつつ、動きをつけてアオリ目に。 [1] 近Bまたは近A→Aで出る。近Bまたは近Aを出すにも前置きがいるのでBAA、QAA、ABAの3パターンでしか見られないはず。割とレア。

スカサハ=スカディのルーン文字講座 - スカサハ=スカディ from Fate/Grand Order

『Fate/Grand Order』からスカサハ=スカディさん。「第二部第二章ゲッテルデベメルング」では、苛烈な環境ゆえに厳しい面が目立ったけれど、マイルームで話を聞いているとほんわかしたところも。 というわけで、そちらの面をポックアップ。と言うか、絆5ボイスを聞いていたら、授業風景が浮かんだ。杖も指示棒みたいで、ゲーム中の立ち絵そのままのポーズで見事に先生に。 「よいか、氷のルーンはこう書くのだぞ。よいな? よーいーな? 返事!」 みたいなノリで、生徒はブリュンヒルデはじめワルキューレたち。シグルドがメガネなので委員長っぽいけれど、伝承では彼がルーンを学ぶのはブリュンヒルデから (別のワルキューレというバージョンもあるけれど)。不登校児かな? ちなみに背景はルーン文字。左上からZ字順に、雹、富、樺・白樺、鉱滓・にわか雨、ねぶと(腫れ物)、困苦、太陽[1]。見た目重視で選んだら、氷 ("|") が入ってないことに気がついたけれど、気にしてはいけない。 「よいな? よーいーな? 返事!」 [1] 『図解 北欧神話 (F-Files No.010)』

漂白される記憶 - 掟上今日子の色見本

〈忘却探偵〉シリーズ10冊目『掟上今日子の色見本』を読んだ。 久し振りに1冊目の『備忘録』に出てきた寝室の伏線に触れられたかと思ったら触れられただけだった。代わりと言うわけではないだろうけれど、親切守が今日子さんが以前に作ったデータにアクセスするくだりがある。ますます○○○ さん疑惑が濃くなる。 この巻で描かれる事件自体よりも、親切守をとおして隠舘厄介の胡散臭さを体験できたこととか、今日子さんが忘却探偵であることの意義について改めて語り直されたりしたことがおもしろい。犯人の動機を『旅行記』と並べてみると、この世界で今日子さんがどう見られているかよくわかる。

ご当地地雷 - GODZILLA 決戦機動増殖都市

『GODZILLA 決戦機動増殖都市』を見た。 作中で主人公が言っているとおり、火力は増したものの作戦の内容自体は 前回 と同じだし、観客視点では三部作の二作目では決着しないことがわかっているしで、中弛み感がなきにしもあらず。 前回で登場人物達が感じたであろう絶望がもう少し深く描かれてもよかったような。意外と早く立ち直って人型種族間の関係性の描写に時間があてられていて、怪獣映画としての色が薄目だったの一因だったと思う。 最後にカタルシスが爆発するか? そして、そのときこの二作目の意味がどう変わるか? といったところばかりが気になってしまう(だから、きっと三作目まで見るのだろう)。

ごっこじゃないプリント - 印刷博物館

This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 印刷博物館 に行ってきた。 お昼過ぎに飯田橋に行く用事ができたので、その後に寄ってみた次第。正確には、ついでにどこに行こうかと飯田橋で考えていたら、地下鉄駅構内の看板が目に入ったので、フラリと入ってみた(徒歩20分弱かかったのをフラリと言えれば。あと休館日じゃなくてよかった)。事前知識ゼロだったけれど充実した時間を過ごさせてくれた。300円という入館料がありがい。運営しているのは凸版印刷。お金、大丈夫なんだろうか(余計な心配)。 ◆ もっとも興奮したのは、総合展示ゾーンのグーテンベルク関連の展示。ドイツの博物館にある活版印刷機の想定復元模型をもとにした縮小版、『42行聖書』のレプリカ、想定復元活字。そして何より 〈グーテンベルク 42行聖書 原葉〉 。160~180部ほど刷られて、何ページあるかは分からないけれど、その1枚が目の前に。現代の活字文化がこれを起点に始まったのかと思うと感慨深い。 出口付近には 〈印刷の家〉 という名前のスペースがあって、そこでは活版印刷を体験することもできる(時間が合わなかったので諦めた)。それでも、印刷機や活字が並んでいるのを見るだけでもウキウキする。冒頭の写真はそこで印刷された配布物を、文字ごとに切り離したもの。せっかく組んだ文章を再びバラバラにする背徳感。 また、ここで印刷されたものがミュージアムショップで販売されている (商品紹介) 。一目惚れしてフォントコースターとポストカードをおみやげに購入。ここまで何の話題にもしていないけれど、〈神戸湊川貿易製品共進会〉北野恒富 (1911) が、ミュシャのスタイルを模倣して描かれていてツボだったので、これもポストカードを購入。 これらの歴史的な展示物だけでなく、印刷技術の解説もわかりやすい。「シルクスクリーン」とか「オフセット印刷」とか、見聞きするのに仕組みがよくわかっていなかったのが、わかりやすく説明されていた。調べればわかるけれど、調べようとは考えもしていなかったことを知らされると、意外と新鮮。 ◆ ミュージアムショップ横の「P&Pギャラリー」ゾーンで 「グラフィック・トライアル2018」 という展示も開催されていたので拝見。こちらは大日

こおりこおりー / フランケンシュタイン(セイバー) from Fate/Grand Order

「サーヴァント・サマー・フェスティバル!」でジャンヌ〔オルタ〕(バーサーカー)たちが同人誌を描くのを見ていたら、自分も描きたくなってきて。 水着イベント2017復刻版で来てくれた、せいばー、ふらんけんしゅたいん。 なつなのでぬりかたもかるめ。 背景はクリームソーダのイメージ。「パパバーで電気ブランならぬ電気フラン」というボツ案は、アルコールは水分補給にならないのでここに葬っておく。 ハーフトーン素材は Halftones Pack – 55 Free Vectors, Brushes, and Images | Media Militia を使用。配色はアニメ「URAHARA」を思い出しつつ軽くてポップな感じで。

READ OVER - スタートボタンを押してください

ゲームSFの短篇アンソロジー『スタートボタンを押してください』を読んだ。収録されているのは十二編。「解説」によると 原書アンソロジーは二十六編、五百ページ超えの分厚さ。邦訳はそこから厳選した十二編を収録している。 とのこと。五百ページか、〈境界線上のホライゾン〉の半分くらいだな。全編収録してくれてもよかったよ? などと思うのは感覚が麻痺しているからだと思う。日本語訳による長さの変化と原書アンソロジーの判型を考えてからものを言いましょうね(手遅れ)。 自分のお気に入りは「猫の王権」と「神ゲーム」(順不同)。「猫と王権」は短篇ならではのエンディングに心惹かれた。閉じた王国に新しい扉が開けさせられたような気もしないでもない。「神ゲーム」は某ゲーム攻略サイト(心証がよくないのでボカした)を思い出させるタイトルとは裏腹にしんみりとした物思いを誘う雰囲気が堪らない。 「1アップ」と「ツウォリア」は軽快に読めた。カラッと気持ち良く楽しませてもらった。「ツウォリア」が、『火星の人』を書いたアンディ・ウィアーの作品だったので、『アルテミス』をまだ読んでいないことを思い出す。楽しみが尽きないのはよいことだ。 読み比べておもしろかったのは、「リコイル!」と「キャラクター選択」。ネタバレになるのでこれ以上はやめておく。

伝説と経験 - 悲終伝

『悲終伝』を読み終えた。10冊目の本巻にて〈伝説〉シリーズ終結。 最初の 『悲鳴伝』 を読んだときは、続くかどうか、続いても終わるかどうか知れなかった。続く四国編は、5冊 ( 『悲痛伝』 、 『悲惨伝』 、 『悲報伝』 、 『悲業伝』 、 『悲録伝』 ) も続いて、7冊目 『悲亡伝』 でも終わりが見えなくて、それが次の 『悲衛伝』 でクライマックスに差し掛かったと思ったら、続く 『悲球伝』 そしてこの『悲終伝』で見事に着地を成し遂げた。 綺麗な着地とは言えない。救助船〈リーダーシップ〉で何が起こったのかもう少し読みたいし、〈人間王国〉の乗鞍ぺがさ&馬車馬ゆに子にも活躍の場が欲しかった。ソフトランディングでさえない。ハードランディングでさえないかもしれない。タッチアンドゴーの感さえある。 それでも、終わってよかったと思う。よい終わりだったと思う。主人公・ 空々空 ( そらから・くう ) が、〈英雄〉と呼ばれた少年が、変化してよかったと思う。育まれたと見る人も衰えたと見る人もいそうだけれど、自分はよかったと思っている。 『悲鳴伝』と同じように『悲終伝』も読み進めるにつれて 『少女不十分』 のイメージが浮かび上がってきた。『悲痛伝』から『悲球伝』にかけてすっかり薄れていたイメージが、輪郭を取り戻し、彩りに満たされた。 よかった。よい話だった。 地濃鑿 ( ちのう・のみ ) もいいキャラしてた。その地濃様が初めて登場する四国編が長過ぎただなんて、これっぽっちも思っていませんよ、ええ。

ためらい - さすらい

『さすらい』を読んだというか、眺めたというか、ランダムアクセスしているというか。ともあれ、少なくとも1回は最初から最後までページをめくったし、ふと順繰りに眺めたり適当なページを開いて拾い読みしたりしている。 この本はレイモン・ドゥパルドンのエッセイ? 写真集? 説明し辛いので、 出版社の商品紹介 を見てみてほしい。見開き左ページに文章が右ページに写真が配置されて独立に並走する構成になっている。 前から文章を追っていくもよし、写真だけを眺めるもよし、適当に見開きで眺めるもよし。いろいろな楽しみ方ができる作りになっている。文字と写真の往復でひっかからないのが意外と新鮮。縦長のモノクロ写真で統一されているからだろうか。ノベルスの挿絵入りページのように左右どちらも白黒になる。人の視野角は横に広がっているのとも関係しているかもしれない。 影響されやすいので、しばらく離れていたモノクロ写真をまた撮り始めてみた (正確にはあとからモノクロにしている)。 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . このエントリィ用にサイズ調整していて、フォーマットが4:3ではなく3:2になっているのに気がつく。どうりでいつもより縦に長い。これまでずっと4:3だったし、あとで戻しておこうかな。 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . でも、この文章を書くにあたって読み返していたら、こんな文章に行き当たった。 写真には、24×36mmというフォーマットがある。これは途轍もなく優れたフォーマットで、非常に使いやすい。むしろ安直といえるほどだ。20×25mmという大判のフォーマットもある。こちらはまず対象を眺め、その都度フィルムを装填し、倒立した像を見なければならない。『さすらい』に関しては両者の中間を選んだ。 中間っていくつだろう? と思って写真のサイズを測ってみると11.5×17cm。比率はおおよそ1:1.48になる。24×36mm (1:1.5) よりは縦に短く、20×25mm (1:1.25) よりも3:4 (1:1.33) よりもさらに縦長。日本ではL判 (4:3) が一般的なので、自分にとって「安直」なのは4:3。うん、あえてこのま

ここは魔境か天国か - 天国大魔境1

『天国大魔境 (1)』を読んだ。 去年 『それでも町は廻っている』 を完結させた石黒正数さんの新作。第一印象は 『外天楼』 に近い。 まだまだ不明点だらけで、おもしろいともつまらないとも言えないけれど、きっとおもしろくなるだろうと期待している。 1巻では、ポストアポカリプス後のような荒れ果てた日本と、そこから隔離されたディストピアが並行して描かれている――ように見える。この作者のことだから、そんな素直な世界ではないんだろうなあ。

もるがーん / アルトリア・ペンドラゴン〔オルタ〕

Fate/Grand Orderよりアルトリア・ペンドラゴン〔オルタ〕。戦闘画面ではメイド・オルタ。明日から始まる水着イベントでジャンヌ・ダルク〔オルタ〕(バーサーカー)が登場するので、水着オルタだと一人に絞り込めなくなってしまった。 正月の福袋で季節外れの登場をしてから、術ボスをモルガーンで吹き飛ばし続けてくれている。さらに3周年イベントで登場したスカサハ=スカディによる強力なサポートを得て、ますます火力アップ。頼もしい限り。 夏だ! 水着だ! アイスにバイクだ! ご主人! みたいなノリだけれど、メイドでもあるのでアンティーク調にしてみた。

ンブラ! - なくなりそうな世界のことば

『なくなりそうな世界のことば』を読みました。内容紹介の一部を引用します。 本書は、世界の50の少数言語の中から、各言語の研究者たちが思い思いの視点で選んだ「そのことばらしい」単語に文と絵を添えて紹介した、世にも珍しい少数言語の単語帳。 ◆ このエントリィのタイトルとして使った「ンブラ!」は、フィジーの挨拶の言葉です。フィジーの公用語ではありますが、母語として話す人は約30万人ほどです。日本の市でいうと、沖縄県那覇市の人口が約32万人でした[1]。市を人口の多い順に並べたとき、上位10%あたりの規模です[2]。ちなみに那覇市は814市中80位でした。 「ンブラ」はあいさつだけでなく「生きる」や「命」という意味でも使われるそうです。それも踏まえての日本語訳でしょう。 「おっ、元気にやってるか?」 「よぉ、生きてるか?」 このような文が添えられていました。 ふたつめが堪りません。たとえ元気はなくとも生きていれば、そう返事すればよいのです。生きていることを肯定できる機会というのは、そう多くありません。 それぞれの言葉から1フレーズずつしか載っていないため、返事がわからないのが残念でなりません。「あぁ、生きてるよ!」とでも返したいところです。 ◆ ここで終わるつもりだったのですが、続けます。無粋なことを書きますので、この本をこれから読んでみたいと思っている人がもしいたら、この先は読まずにこの本を読んでみて欲しいと思います。 ◆ 続けることにしたのは、この本に対して「楽しい」あるいは「癒やされる」と形容している[3]のが目に付いて読み流せなかったので、「言わぬが花」と思いつつキーボードを叩きます。 内容紹介では、少数言語から「そのことばらしい」単語を紹介しているとありますが、言語の並びと「単語」は全体を通して構成されています。言語は話者数が減っていくように並んでいます。ページが進むにつれ、単語も「なくなること」を思わせるようになっていきます。 最後に紹介されるのは、大アンダマン混成語の「マラミク」という単語です。意味は、「死後の世界」。話者数は0。なくなってしまった言葉です。 なくなった言葉は戻ってきません。まだなくなっていなくても、言葉がなくなりつつあるということは、話者が亡くなるばかりで新しい話者は生まれ

ホラーのルール - 岸辺露伴は動かない 2

漫画『岸部露伴は動かない 2』を読んだ。特定の雑誌の連載というわけではなく、あちらこちらで描かれているこのシリーズもついに2冊目。 今回は『望月家のお月見』がお気に入り。ラストがよい。 呪いの類いってなんかこう律儀なイメージがある。末代までは祟っても一族郎党皆殺しとまではいかないような。 「関係者がつぎつぎと不審な死を遂げた」という話の胡散臭さはそこにあって、関係者の定義も不明だし、何が不審で何が不審でないかも曖昧。 他人には伺い知れないにしろ、法則を感じさせる方が恐さを感じる。漠然としているよりも具体的である方が、感情を揺さぶりやすいからか。

写真、芸術、報道、メディア・リテラシー (5/N) - 見せられる≠見える

ここまでの『写真、芸術、報道、メディア・リテラシー』エントリィ一覧。 (1/N) - ピクトリアリズム(西洋絵画調)写真 (2/N) - ルネサンス、オリエンタリズム、グローバリゼーション (3/N) -『フェルメールのカメラ 光と空間の謎を解く』 (4/N)〈上〉 -『カルティエ=ブレッソン 二十世紀写真の言説空間』 (4/N)〈中〉- 人、背景、メッセージ (4/N)〈下〉- 理由、理由、理由 終わりが見えなくなってきた。というわけでもないか。それ最初から見えていない。なら終わらせにいこう。次くらいで (今回終わる見込みがないことだけは見えている)。 ◆ 前回は〈見る側〉へと視点を切り替え、「どうして写真展を見に行ったんだっけ?」と改めて自問してみた。それで、理由なんて存在しないものを躍起になって探さなくていいか、と思い直した。そんな話だった (ハズ)。それから、偶然の連続に "Everything is connected." なんて思ったりした。これからは全体論的ブロガーを名乗ってもよいのではないか? (好きにすればよい) 今回はもう少し視点をズラして、〈見せる〉と〈見る〉という能動態から離れる。〈見せる〉と〈見せられる〉という能動態と受動態には向かわない。〈(写真が) 見える状態になる〉という中動態 [1] の動きから考える。 なぜなら、大半の人は写真展をわざわざ見に行ったりしない。世界報道写真展2017の入場者数は約3万人 [2] 。同年開催のミュシャ展は60万人以上の入場者があった [3] ので、その20分の1に満たない。これだけカメラ付き携帯 (とわざわざ言わなくても携帯といえばカメラが付いているものと相場が決まっている) が普及して、おそらく写真撮影を未経験の人の方が少ないにもかかわらず写真展に足を運ぶ人は少ない。あるいはだからこそ? 写真くらい誰でも撮影できるから大したものではないだろう、という無意識がはたらいて、見に行きたいというモチベーションが湧かないのか? 普段、大半の人は大半の写真を意識して見ていない。それが自然な状態。人間は、目に入るものすべてを同じようには見ていない。焦点が合う中央視野はごく狭く、解像度の低い周辺視野が視界の大半を占めている。そこでは、動きが知覚されないものは意識に上

こっそり読書 - バーナード嬢曰く。4

「『バーナード嬢曰く。4』を読んだよ」 「今回もおもしろかったですね」 「表紙からツボでそれはもう」 課題図書? 課題をサボる時にするのが読書だから…! 「ですね」 「蓋し名言である。ところで『ハローサマー、グッドバイ』、いつ読もうかな」 「けっこう前から言ってません、それ?」 「こうやって温め続けるのも読書の一つと言えるのでは?」 「せめて積みません? 持ってすらいないじゃないですか」 「んー、手に入ってないからこそ憧れるみたいなところあるじゃない?」 「はぁ……」 「まずどうやって出会うかというところから悩むよね」 「めんどうくさい……」