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4月, 2009の投稿を表示しています

たなぼた

『バーン・アフター・リーディング』を観てきた。 良い意味でひどい映画だった。 「ブラックなユーモア」と 公式サイト にあった通りだ。 脚本が良かったと思う。 主役不在で、関係のなさそうな登場人物に接点ができていくさまは、成田良悟の小説( 『バッカーノ!』 など)を彷彿とさせる。 どう着地させるんだろう、と観ていて心配になったけれど、杞憂に終わって良かった。 コメディだから許される部分もあるけれど、巧いと思う。

些細の主語

『残酷号事件』 を読んだ。 前作 『禁涙境事件』 から4年振りの、『~事件』シリーズの新作だ。 ずいぶん間が開いてしまったので、前作の内容は完全に抜け落ちている。残酷号が登場していたことさえ忘れていた。 それでも楽しめた。 残酷号が動く理由が、切ない。 確かに、自分の動いた理由を振り返ると、割と些細なことだったりする。 しかし、それを自分に些細だ思わせているのは、一体何なんだろうか。 現に動いているのだから、少なくとも自分にとっては、些細ではなかったはずだと思うのだけれど。

アイアンマン・フィギュア

おもちゃ屋で アイアンマンのトレーディングフィギュア を安売りしていたので、つい買ってしまった。 まずは、映画で最初に出てきたIronman (Mark I)。 傷を受けた感じが無骨なデザインと相まって、素敵だ。 次は最も露出が多いIronman (Mark III)。アイアンマンといえば、こいつ。 3つ買った時点ではまだ出ておらず諦めかけていたけれど、これで最後と同行者に選らんでもらった箱から出てきた。 このフィギュアはプラスチック製だけれど、超合金アイアンマンなんて発売したら、何でできているのか混乱する。

文章とソースコード

『ロジカル・ライティング』 を読んだ。 自分の文章を改善するには、訓練だと意識しながら書き続ける必要があると思っている。参考書を読んだだけでは、改善されない。 Mirror House Annex: 紺屋の白袴 で書いたときから考えは変わっていない。 それでも本書を読んだのは、「避けたいありがちな例」が記載されているからだ。 実際、自分も見事に例通りの文章を書いていることがままあった。まだこれからもたびたびあるだろう。 自分としてはきちんと書いたつもりの文章に、レビュアーから書けていないと指摘されることがままあったけれど、そういうことだったのか、とようやく得心した。 そう言えば、プログラムを作り始めた頃も、きちんと書いた(つもりの)ソースコードに、コンパイラにエラーを指摘されては、理解できず混乱していたっけ。

物語について語る者

『されど罪人は竜と踊る 6』 を読んだ。 前巻に引き続き、本巻も短篇集だ。 全6篇から構成されており、うち4篇が文庫初収録だ。 『迷い路』と『雨にさらして』が対照的で印象的だった。 どちらも、物語について語っている。 『迷い路』には、夢物語を追いかけた男が登場する。 『雨にさらして』には、現実から目を逸らし物語に逃げ込んだ男が登場する。 対照的だったのは、物語に対する作者の視線だ。 一方では醒めており、一方では暖かい。 ただ、そう感じるのは、自分が物語をそう見ているからだろう。 複雑だなぁ、と思う。

Simplify

『貧困のない世界を創る』 を読んだ。 本書は三部から構成されている。 第一部は導入だ。主題であるソーシャル・ビジネスが紹介される。 続く第二部が、ソーシャル・ビジネスの実践例として、グラミン銀行によるマイクロクレジットを筆頭に多数の事例が紹介される。 最後の第三部には、筆者の思いが綴られている。 第三部は自分には話が広がり過ぎていて、十分に咀嚼できていない。 ただ、次の一文には思い当たる節がある。 さらに悪いことに、私たちは、理論として概念化されたような一次元的な人間にできるだけ変わろうと、そして自由市場が円滑に動くようにと、必要以上に働いてしまうのです。 言い換えれば、ハウツー本に従いビジネスパーソンらしく振る舞ってしまうと言っている。 人間を予測したがるあまり、自分を予測が容易な人間に変えてしまっているように思う。 森博嗣が 『数奇にして模型―NUMERICAL MODELS』 で言っていたことを、実感する。 「大人になるほど、どんどん単純へ向かうんだよ」 実際に脳(シナプス結合)も単純になっていくらしい。

Micro is also beautiful

『貧困のない世界を創る』 を読んでいる。 現在150ページあたりまで読んだ。 キーワードはソーシャル・ビジネスだ。 株主利益の最大化を目的とするビジネスではなく、社会利益の最大化を目的とするビジネスのことをそう呼んでいる。 その一例が、著者が創設したグラミン銀行が提供するマイクロクレジットだ。 『スモール・イズ・ビューティフル再論』 に通じるものがある。

ストレートなミステリー

『沈黙の森』 を読んだ。 「主要ミステリー新人賞を独占した」と作品らしいけれど、ミステリーとしては捻りが足りないように感じた。 ただ、自分がミステリーをよく読んでいることを差し引いて考えると、これくらいの素直さの方が間口が広いのだろう。 実際、良い意味でも悪い意味でもエンターテインメント作品だったと思う。 捻りが足りないとは書いたけれど、緊迫感は維持されていて、つい一気に読んでしまった。 ただ、読み終わった後に残るものがない。 いくらか道徳論めいた主張はあったけれど、いっそそんなものなくして、娯楽に徹していた方が潔かったのではないだろうか。 この手の小説を読むと、人を選ぶと評されるような変な作品を読みたくなる。

誰から隠しているのか

『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』 を読み終えた。 『星の王子さま』 の一節を思い出す。 「かんじんなことは,目に見えない」と,王子さまは,忘れないようにくりかえしました。 本書の主張が正しければ、逆説的に目に見えない部分の重要さが浮き彫りになるからだ。 本書の主張によると、目に見える部分は、自分を誇示したり相手を欺いたりするために機能している。 つまり、目に見えているのは、大事な部分を守るために周囲に適応した結果だ。 逆に言えば、守りたい大事な部分は、目に見える部分によって隠されている。 たまに誰から何を隠しているのか忘れてしまって、自分の目からも隠されることがあるように思う。

カジキマグロの色の秘密

『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』 を読んでいる。 正直、1~2章は退屈で横になって読んでいたら、寝かけたこともあったけれど、3章の途中から俄然エキサイティングになってきた。 例えば、カジキマグロの背が黒くて腹は白い理由。 例えば、クラゲが透明な理由。 今まで何となく見ていた生き物の色に対して、本書は全く違った視点を与えてくれる。

What's Happend?

『ハプニング』と『ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスメン!~』を観た。 まずは『ハプニング』について。 アイディアは面白かった。ただそこにきっと意図されていないだろうメッセージを読み込んでしまって、素直には楽しめなかった。 『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』 でいうところの、「読み手の既存のスキーマによる『わかったつもり』」に陥っていたように思う。 対して『ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスメン!~』は、深く考えずに楽しめた。 しかしよくよく振り返ってみると、結構ブラックだ。嫌悪感を抱く人もいるかもしれない。 最近の自分は気軽に楽しめる作品を好む傾向にある。ちなみにこの後、地上波で『レッドクリフ Part I』を観るつもり。

紺屋の白袴

人に伝わる文章を書く必要性に迫られて、 『エンジニアのための文章術再入門講座』 を読んでいる。 本書を選んだのは、筆者がITProで連載している 『ひとつ上のヒューマンマネジメント』 の『10年後も通用する文章術』が読みやすかったからだ。 もちろん読んでいるだけで、自分の書く文章が改善されるとは思っていない。 実際に文章を書きながら、地道に改善を目指すつもり。 特に文章の構造を改善したい。詳細と概要のバランスが悪いとよく指摘される。 本書の良いところは、練習問題が付いているところだと思う。 練習問題とその解答が、自分の酷い文章を改善する際の具体的な指針として利用できる。 ちなみに、その成果が見え始めるのは「早くて3ヶ月」だそうだ。 7月中旬には改善の兆しが見えるように、書いては見直すことを繰り返したい。 ところで、誤植が目立ったのが気になった。4~5ヶ所はあったと記憶している( 出版社の公開している正誤表 を見ると、現時点で17ヶ所見つかっている)。 この点だけは残念だ。文章術の本なのだから、有言実行して欲しかった。

猫に焦がれる

『NIGHT ON FOOL』 はThe Birthdayの3枚目のアルバムだ。 これまで、 『Rollers Romantics』 、 『TEARDROP』 、 『MOTEL RADIO SiXTY SiX』 (ミニアルバム)と聴いてきたけれど、これまでと印象ががらっと変わった。 今までで一番グッと来る。 特に、『猫が横切った』が印象的だ。 焦燥感がたまらない。

選択しないという選択が切り捨てるもの

『しあわせの理由』 を読んだ。 タイトルには胡散臭さを感じるけれど、本書はSFの短篇集だ。 本書が面白いのは、思考実験の道具として科学が使われている点だと思う。 フィクションと言うよりシミュレーションに近い。 科学技術が人間に与える影響を、形で描いている。 だから、自分なりにシミュレーションをしながら読むことができる。 表題作『幸せの理由』のような状態になったら、人はどんな選択をするだろうか?

運は実力の内か

『なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想』 を読み終えた。 本書の主張は、 『まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』 に近い。 本書の主張が正しければ、ビジネス書も運(などその他もろもろ)と実力を勘違いしている。 『まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』が、トレーダーの文脈でこの問題を扱っていたのに対して、本書は企業のパフォーマンス調査の文脈でこの問題を扱っている。 自分はトレーディングの経験がないので、本書の方がストーリーとして分かり易い。 ところで、「運も実力の内」という言葉があるではないか、という反論もあるかもしれない。 仮にそうだとしても、運は模倣できない。 あなたはついているかもしれないが、私は自分をついているとは思わない。 だから、運に頼らない方法を模索したい。

Hello, Halo

『なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想』 を読んでいる。 原題『The Halo Effect』が示すとおり、本書の主題は『ハロー効果』である。 主題にしているにも関わらず、著者は本書で『ハロー効果』という言葉を複数の意味で使っている。 少なくとも、以下の三つの意味で使っている。 狭義のハロー効果 後知恵バイアス(認知バイアスの一つ) 生存者効果によって生じた認知バイアス そのことに気がついてしまったので、どうも読みづらい。『ハロー効果』という言葉が出るたびに、どの意味で使っているのか考えてしまう。 取り扱っている内容は面白いだけに残念に思う。

読解の限界

『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』 を読み終えた。 筆者の周辺の記述との整合性を重視する態度から、 『哲学の最前線―ハーバードより愛をこめて』 で読んだ、クワインの全体論(ホーリズム)を思い出した。 この態度には限界があることが、ゲーデルの不完全性定理で示されている(と自分は理解している)。 つまり、周辺の記述からだけでは解釈を決定できない文章を構成できる。 筆者は複数の解釈を保持するよう主張しているけれど、実践的には、それも決定の一種であるという共通理解を得ることが難しいように思う。

Shoot'Em Up

『シューテム・アップ』を観た。 「銃弾2万5千発のエクスタシー!」というコピーに偽りはなく、銃撃戦を存分に味わえた。 撃ち出された銃弾の数も非現実的なら、撃ち出すシチュエーションも非現実的で、そこまでやってくれるかと爽快だった。 映画とは言え、銃で人を撃ち殺しているのだから、こんなことを思うのは不謹慎かもしれないけれど、コミカルですらあった。実は、観ていて笑ってしまった場面も。 時間も短いし、深く考えずに楽しむのに良い映画だと思う。

化け物は人間ではない

『ウォッチメン』 を観た。 人とは似て非なるものを非なるものとして描いている映画を観たのは、久しぶりだ。 多くの作品では、人とは似て非なるものも「やはり人の子だった」という印象を残すものだけれど、この作品はそうではない。 確かに、そうした方が多くの視聴者は安心させられるだろう。 けれど、自分は、その背後に人は何でも理解できるという思い上がりのようなものを感じて、気持ち悪くなることがある。 擬人化は対象を歪めるように感じるし、同時に人間の想像力を制限しているように思う。

誰が読むのかによる

『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』 を読んでいる。 本書の内容は、読者に読解力がつかない原因であると同時に、作者が押さえるべき作文技術のポイントだと思う。 自分は、本書の内容を、作文技術を使って書く文章が備えるべき特徴を、読者の視点から書いたものと捉えた。 そう捉えたのは、自分が今「わかってもらえる」文章を書く必要に迫られているからかもしれない。

一貫性の一環

『できる人は上司に“モテ”る 仕事は上司との関係が9割!』 を読んだ。 本書を選んだ理由は、タイトル。 Amazonで見つかった類書の中で、唯一上司を落としていなかった。 内容に取り立てて特殊なところはない。 上司を4パタンに類型化して、それぞれへの対応がまとめられている。 このように課題を分類して、それぞれに有効な対応を考えるというアプローチは、一見問題を単純にしているように見えるけれど、別の複雑な問題を生み出すことがある。 それは、組み合わせによる問題だ。 同時に成立しない対応を同時に迫られると、一貫性を保つことが難しくなる。

串刺し公

期間限定で Kasabianの公式サイト で、新曲"Vlad The Impaler"がダウンロードできる。 この曲は、6月に発売予定の3rdアルバム"West Ryder Pauper Lunatic Asylum"の収録曲だ。 アルバムPRの一環としての、ダウンロードだろう。 一人のリスナとしては、意図はともかく聴ければいいので、早速ダウンロードして聴いてみた。 どちらかと言えば、2ndアルバムの曲よりは1stアルバムの曲に近い印象を受けた。 ところで、新曲のタイトル"Vlad The Impaler"は『串刺し公ヴラド』の意味だ。 実在の人物で、吸血鬼ドラキュラのモデルだとされている。 先日、『Hellsing 10』を読み終えたばかりなので、偶然の一致に感慨を覚える。