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3月, 2018の投稿を表示しています

王と剣と - キング・アーサー

『キング・アーサー』(原題 “King Arthur : Legend of the Sword”) を見た。 最初は邦題に「聖剣無双」という副題が付いていた。また変に煽る邦題を、と思ったけれど、監督が「シャーロック・ホームズ」シリーズを撮ったガイ・リッチーと知って、的外れでもないかもと考え直したころに、取り去られてしまった。批判が集中したか、「無双」シリーズと権利問題が発生したか [1] 。 結果はというと、無双というほど終始敵無しとまではいかないけれど、ひとたびエクスカリバーの力を制御し始めたら、一騎当千だった。まとめて薙ぎ払ったり、弓兵を剣圧で撃退したり、と浪漫のある戦闘シーンを見せてくれる。 アーサーが湖の乙女からエクスカリバーを授かるのと鏡写しのように、伯父ヴォーティガンが生贄と引き換えに地底湖の悪霊から魔術的な力を受け取るのもおもしろい。調べてみると、アーサー王伝説の湖の乙女も首を要求したらしいし、その相手として最愛の人を殺害する呪いの剣の関係者だし、このあたりの要素を再構成したのかな。 世に伝わるアーサー王伝説とはまったくと言っていいほど違うみたいだけれど、これはこれで。ただ、6部作の1作目として作られたらしいけれど、興行が振るわなかったので、続かなさそうなのが残念 (劇場に足を運ばず今頃見ておいてなんだけれど) [2] [3] 。 [1] キング・アーサー:「アーサー王伝説」モチーフ映画が邦題変更 「聖剣無双」消える - MANTANWEB(まんたんウェブ) [2] ガイ・リッチー監督の全6部作予定「アーサー王」映画にホラー女優アナベルが出演! - シネマトゥデイ [3] ガイ・リッチー監督作『キング・アーサー聖剣無双』続編の話はお蔵入り!?|ニュース(海外セレブ・ゴシップ)|VOGUE JAPAN

目に見えないもの - リトルプリンス 星の王子さまと私

『リトルプリンス 星の王子さまと私』(原題 "The Little Prince")を見た。 童話『星の王子さま』は、作中作として登場する。ストップモーションアニメで表現されているのがよい。愛着が湧く。残念だったのは、全編が映像化されているわけではないところ。それなら『星の王子さま』の映像化作品を見ろという話か。 本筋はCGアニメーション。名門高校に通わせるために母親とともに引っ越してきた女の子が、隣に住んでいる変わったおじいさんとなかよくなる話。終盤にちょっとした冒険が入ってくるのは、映像映えさせるためかな。『星の王子さま』の雰囲気を維持して欲しかったようにも思うけれど、それならそのまま映像化すればいいという話になってしまうか。 『星の王子さま』にそれなりの思い入れがあるので、素直に見られない。複雑な心持ち 。 基本的には女の子を応援するような気持ちでみていたのだけれど、最後には、自分はどんな大人になりたかったんだっけ? とちょっと感傷的にもなったり。あらためて『星の王子さま』読もうかな。

ラジーらしい - キング・オブ・エジプト

『キング・オブ・エジプト』(原題 "Gods of Egypt") を見た。中東ファンタジーのアメリカ作品ということで、『プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂』が脳裏をよぎる。 クライマックスを飾るホルスとセトの戦いは、〈牙狼〉シリーズを彷彿とさせる甲冑を身に纏っていて、なかなか好みだった。けれどそこまでがなかなか。退屈してしまって、かなりの尺をながら見してしまった。とびとびにしか見ていなくても大して困らないからBGVにいいかもしれない。あと、家電量販店でとりあえず流しておくとか。 ちょっと調べてみたら、ホワイトウォッシュだと批判されたり、時代考証がなっていなかったりとか、そもそもエジプト神話と展開が違い過ぎるとか、いろいろとツッコミが入っているし、ラジー賞 [1] にも受賞こそ逃した者の五部門にノミネートされているし、槍玉に挙がってしまっていたみたい。 時代考証や神話との違いはファンタジーだからいいんじゃないかな、と自分は思う。気になった (というか気が逸れてしかたなかった) のは脚本。最初にどうにも白けてしまい、そこから引き戻されないままだった。 でも、Amazon.co.jpのレビューを見ると好きな人もいて、十人十色だな、と。 [1] ゴールデンラズベリー賞の略。ひどかった作品に贈られるジョーク賞。鳴り物入りで公開された大作が中身でガッカリさせてしまうと、ノミネートされる傾向がある。話題にすらならないような作品は挙がってこない (ジョークにならないからか)。

チタタプチタタプ - ゴールデンカムイ 13

『ゴールデンカムイ 13』を読んだ。 前半は前巻ラストに杉元達が入浴中に襲撃された流れで、全裸のまま戦闘へ。殺し合いの最中に悠長に服を探している場合ではないだろうけれど、悪ふざけも多い (ベニテングタケとかハナイグチとか白石マークとか) ので、シュールな笑いが。ただ、前巻も姉畑が出てきてラッコ鍋を食べていたので、やや食傷気味。 うってかわって後半はシリアス寄り。土方勢とも合流し、ついに網走監獄へ。アシㇼパさんを、収監されているのっぺらぼうに会わせるため、侵入作戦が実行される。否が応でも盛り上がる。そして、いいところで終わっている。早くも次巻が待ち遠しい。 なお、幕間的に挿入される食事シーンは本巻でも健在。鮭のチタタプが美味しそう。

レスポンスとレスポンシビリティ - アリスマ王の愛した魔物

小川一水さんの短篇集『アリスマ王の愛した魔物』を読んだ。〈天冥の標〉シリーズがきっかけで他の作品にも手を出し始めたのだけれど、短篇もおもしろい。 収録されているのは次の5篇。バイクの話で始まって、自動車の話で終わる対称性が気持ちいい。 ろーどそうるず ゴールデンブレッド アリスマ王の愛した魔物 星のみなとのオペレーター リグ・ライト──機械が愛する権利について お気に入りは「星のみなとのオペレーター」。小さな宇宙港のオペレーター (管制官) を主人公に据えているところは、短篇ならではないだろうか。主人公すみれは、日々、さして多くない数の宇宙船を迎えたり見送ったりする平穏な日常を送っている。そこから、一気にスケールが拡大するスピード感が気持ちいい。 「リグ・ライト──機械が愛する権利について」も印象深い。自動車の自動運転AIがテーマ。物語としておもしろかったのはもちろん、読み終えて数日後にUberによる自動運転の公道テスト中に死亡事故が起きてしまった [1] ことも印象を強める要因。AIの主体性や責任能力が、物語のうちに留まらずだんだんと実務的な問題となりつつある。 ロボットがドローンを戦争に使うことの倫理的な問題や人間への影響は以前から指摘されている [2] けれど、この手の問題が平時の日常生活に影響するようになる日もそう遠くないのかな。 [1] Uberの自律走行車が起こした死亡事故は、拙速な商用化に“ブレーキ”をかける|WIRED.jp [2] たとえば 『ロボット兵士の戦争』 。

価値か昔 - 血か、死か、無か? Is It Blood, Death, or Null?

『血か、死か、無か? Is It Blood, Death, or Null?』を読んだ。『彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone?』から始まった、Wシリーズ第8作。「とりあえず、10作くらいは続けるつもり」[1]で始まったシリーズなので、そろそろ終盤に差し掛かってきた頃かな。 そう思うのは、本作で百年シリーズとダイレクトにリンクしたため。多数のシリーズを横断するマガタ・シキ博士は例外として、これまでは〈ウォーカロン〉というキーワードレベルでの緩いつながりだった。それが、あまりにもハッキリ書かれたものだから驚いた。同時に、終わりが近づいてきたのだ直感し、寂しさが湧いてもきた。 ハギリ博士の新たな発想に触れる機会が、残り少なくなってきたのかもしれないと思うと、名残惜しくなってくる。まだ気が早いが。 本作でも、2箇所で強く惹き付けられた。もう少し正確に言うと、2箇所目について考えている中で1箇所目が浮かび上がってきた。 まずは1つ目。デボラとの睡眠に関する会話。 「できるだけ解に到達するよう、演算を続けます」 「君たちは、寝ないんだ」 「当然です」 「寝ることを、プログラムに組み込んだ例はない? エネルギィ消費を抑える目的のスリープではなくてね」 「調べたことがありませんが、ないと予想されます。どんな効果が期待できますか?」 「うーん、そうだね……、たとえば、時間のギャップを体験できる。不連続な人生の概念が理解できる」 出典: 『血か、死か、無か? Is It Blood, Death, or Null?』 人工知能の離散的な思考が連続的していて、人間の連続的な思考が不連続なのがおもしろい。 そして2つ目。マガタ・シキ博士が提唱した――共通思考は遅いのではないか? という閃き。共通思考というのは人間とウォーカロンを含むあらゆる知性をネットワークで接続し統合することで、構築される知性。最初に言及されたのは『風は青海を渡るのか? The Wind Across Qinghai Lake?』 p.250、詳しくは『デボラ、眠っているのか? Debora, Are You Sleeping?』p.75, 90, 175。  ゆっくりと思考するのか……、と僕はそこで息を止めた。  スローライフとでも呼べそうな生体なのか

回る回るよ - Looper

映画『LOOPER/ルーパー』(原題 "Looer") を見た。 ループする人だからルーパー。簡潔でストレートなタイトル。作中では、未来の犯罪組織から送り込まれてくる被害者を撃ち殺す人を指す言葉として使われている。被害者は縛り上げられたうえに頭には袋を被せられて送り込まれてくるので、ルーパーは指定の時間場所に行って現れた瞬間に引き金を引くだけ。 未来で殺さずにわざわざ過去に送り込んでくるのは、未来では捜査技術が発達して殺人が必ず暴かれるため。タイムトラベルは技術的には可能だけれど危険なため禁止されているけれど、ある犯罪組織が悪用し死体を始末する仕組みとしてルーパーを雇っている。 以上が本作の世界観。とても魅力的だ。 でも残念ながら途中で興が冷めてしまった。いくつか理由はあるのだけれど、もっとも大きいのは未来で殺人が起こること。わざわざルーパーという仕組みを用意しているのに、どうしてあんな事態になるのか。この世界観なら、未来では襲撃にも殺傷力のない武器を使っていそうなものなのに。などなど、少しは考えてみたけれど、うまい解釈が出てこない。 高く評価している人もいるみたいだけれど、自分には合わず。公開された2012年当時に見ていたら、また違う感想だったかな? とも思うけれど、まだタイムトラベルできないし。

モール信号 / ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市

『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市』を読んだ。本書は、思想家の東浩紀さんと写真家の大山顕さんとの対談がもとになっている。お二人はそれぞれ、 『ゲンロン0』 の著者と 『工場萌え』 の著者でもある。 『ウォークス 歩くことの精神史』 の、商店が女性が安心してぶらつくことのできる半公共的な空間を提供していたという話から、ふと思い当たって手に取ってみた。対談が企画された理由も、商業施設と公共性に関連している。 東  まずは、なぜショッピングモールをテーマにしようと思ったのか。一言で言うと、「新しい公共性を考えるため」です。 出典: 『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都』 でも「公共性」のような抽象的な話題は控え目で、話に花咲くのは具体的なショッピングモールの話題。どんどん広がっていく。東浩紀さん「あとがき」でいわく「放談」で大山顕さん「まえがき追記」でいわく「妄想ここに極まれりという仕上がり」とのこと。行ったことのある場所も話題に挙がっていたので、自分の印象と比較するのが楽しかった。 というわけで、ダメ出しを食らっていたソラマチについて考えてみる。 大山  それに比べると、東京スカイツリータウンのソラマチは……。 東  ダメですね。 大山  イクスピアリやレイクタウン同様に「マチ」を謳っているのに、吹き抜けがなくて行き止まりはあり、どうしようもない百貨店感が漂っている。 出典: 『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都』 というわけでここからは話言葉で。書き言葉だと「放談」しにくいので。 まず前提を共有するために、本書で挙がっていたモール的な施設の特徴を挙げとく。 吹き抜けがある。百貨店にはない。 行き止まりがなくグルグルと回れる。 周囲に駐車場が広がっている。 内装が装飾的で、外装がない。 これらの特徴を踏まえてまずは地図で見てみる。東西に細長いことがわかる。これは東西両方の駅に直結させたかったからか。西に東武スカイツリーラインの「とうきょうスカイツリー」駅、東に京成押上線・都営浅草線・東京メトロ半蔵門線の「押上」駅がある。測ってみたら東西方向が500m、南北方向が100mくらいだった。しかも南北に広げられない。北には東武スカイツリーラインが通って

いないいない - アナイアレイション -全滅領域-

『アナイアレイション -全滅領域-』(原題 "Annihilation") を見た。 『エクス・マキナ』 でデビューしたアレックス・ガーランド監督の最新作。日本では劇場公開されず、Netflix限定配信。 緊張と不安を強いてくるSFホラーだった。際立っているのが、異世界の不気味さ。醍醐味ではあるけれど、あとをひくので相応に疲弊する。同時に蠱惑的でもあった。特に不思議な植物に覆われた廃墟には惹かれてしまう。 異世界の不気味なクリーチャーは、原作『全滅領域』を含む〈ニュー・ウィアード〉というSFのサブジャンルの特徴らしい。 こうした奇妙な動植物は、「ニュー・ウィアード(New Weird)」と呼ばれる新しい文学のジャンルに登場するものだ。 引用元: 映画『アナイアレイション』は、「異世界」を恐怖に満ちた世界観で描き出した:『WIRED』US版レヴュー|WIRED.jp 「ウィアード」と言えば、クトゥルフ神話を生んだH. P. ラヴクラフトが寄稿した雑誌『ウィアード・テイルズ』を思い出す。本作の怖さはクトゥルフ神話関連作品に似た感触だけれど、これが由来だろうか。 「新しい文学のジャンル」とあるけれど、調べてみたら10年以上前から成立していた。『SFマガジン』の2005年5月号に「特集:ニュー・ウィアード・エイジ--英国SFの新潮流」が組まれている。その頃にはSFを読み始めていたと思うのだけれど、意外と出会わないものだ。原作『全滅領域』の名前も前から知っていたのに。 自分は原作未読だけれど既読の人によると、大きく変更されているらしい。ブログやTwitterを検索したら何人かの方がそう言っているのがみつかった。原作は三部作なのに、続きそうにない終わり方をしたのも納得。「映画を先に見ちゃったから、原作を読むモチベーションが下がっちゃって」という言い訳ができなくなったよ! 話を映画に戻すと、異世界に入るまでをもう少し丁寧に描いて欲しかった。それまでで無策無謀に映るシーンがいくつか。たとえば、異界への境界を越える前なんか、そんなにあっさり侵入できるものか? と疑問が拭えなかった。入ってからは平常心を失って 危険を呼び込む選択をしてしまうこともあるだろうと納得できるのだけれど。 納得いく解釈が見つからない疑問がもうひとつ。こちらは、意図的

一線・再戦 - 境界線上のホライゾンX<下>

『境界線上のホライゾンX<下>』を読んだ。 前巻のラストから予想できたことだけれど、前半が完全にR元服だった。それも結構なページ数。挿絵もあるので、外で読む人は要注意。今更か。 でも、1000ページ越えなので、そこから物語もガンガン進む。シリーズ完結に向けて、謎 が明らかになっていく。伏線もじゃんじゃん回収されていく そして、武蔵の再起と十本槍とのみたびの相対。熱い。ここまで読んできたよかった。

気丈なお嬢さん - スチーム・ガール

『スチーム・ガール』を読んだ。 裏表紙のあらすじにはスチームパンクSFとある。その通りではある。19世紀後半のアメリカを下敷きにしているけれど、普及している動力源は電気ではなく蒸気。 でも、それだけに留まらない。スチームパンクSFと聞いてガジェットに期待して読み始めたのだけれど、それに応えてくれるだけでなく、いろいろな要素が詰め込まれていた。主人公であり語り手でもあるカレンの視点から、多様な人々が描かれる。 それは、作者がインタビューで語った2つのゴールの1つでもある。 また作者は、本書の執筆にはふたつのゴールがあったと語っています (http://www.sfsignal.com/archives/2015/01/) [1] 。ひとつは楽しい冒険物語、もうひとつは当時の西部の、多様な社会のなかで阻害された人びとを描くこと。 引用元: 『スチーム・ガール』「訳者あとがき」 これを踏まえて、裏表紙のあらすじを読むと、前者を強調し過ぎているように感じられる。バトルヒロインものかと誤解するくらいだった。後者の側面に触れられていない。自分はそちらの方を強く感じたくらい。広く手に取ってもらおうと、あえてのこと? 実際自分も、読み始めた最たる理由が「スチームパンクSF」の語だったわけだし。 その側面の最たる例が、ヒロイン・プリヤ [2] の存在。というわけで、本作は百合小説でもある。描かれているのは、同性愛だけではない。縫い子 (隠語)、解放奴隷、黒人、アメリカ先住民、中国系、インド系――何人もの「阻害された人びと」が登場する。 堅苦しいことを書いたけれど、カレン一人称の砕けた文体で書かれているから重苦しさは感じないし、中~後半からアクション成分が一気に濃くなって冒険物語として楽しくなってくる。下の写真は、1880年のシアトル。「あとがき」で名前が挙げられている都市の1つ。本作の舞台はラピッド・シティという架空の町だけれど、どんな雰囲気だったのだろうと気になって写真を探してみた。 引用元: File:Seattle 2nd Ave south from Pine Street 1880.jpg [1] 引用者注: 正確なリンク先はおそらく [GUEST INTERVIEW] Fran Wilde Interviews Elizabeth Bear

この家……動くぞ! - 超動く家にて

『超動く家にて』を読んだ。 『エクソダス症候群』 などの著者の短篇集。これらハードな作品と違って、バカSFやバカミスのような作品がたくさん収録されている。 収録作品は以下の16作品。このうち読んだことがあるのは、『VISIONS』に収録されていた「アニマとエーファ」だけ。他は今回が初めて。 「トランジスタ技術の圧縮」 「文学部のこと」 「アニマとエーファ」 「今日泥棒」 「エターナル・レガシー」 「超動く家にて」 「夜間飛行」 「弥生の鯨」 「法則」 「ゲーマーズ・ゴースト」 「犬か猫か?」 「スモーク・オン・ザ・ウォーター」 「エラリー・クイーン数」 「かぎ括弧のようなもの」 「クローム再襲撃」 「星間野球」 表題作の「超動く家にて」が大のお気に入り。いい意味でこちらの期待を裏切り続けてくれる。その裏切り方からはナンセンスさが感じられなくて、心地よく笑える。そんな裏切りが息つく暇も無く繰り出されるのだから、堪らない。

道化と同型 - The LEGO Batman Movie

『レゴバットマン ザ・ムービー』(原題 "The LEGO Batman Movie") を見た。 バットマンとジョーカーがなかよくケンカしていた。コメディーだけれど、ヴィランが存在しなければヒーローも存在できないというテーマも描かれていて、深読みする見方もできる。これは嬉しい誤算。コミカル過ぎて、こんなヤツだっけ? キャラ崩壊していないか? という疑問も湧きつつ、こういう一面はありそうだ、と肯けたりもした。 ネタも全体的にメタい。映画の始まり方に言及したり、レゴ人形が壊れたビル=レゴブロックから乗り物を作ったり、レゴブロック (レゴでできた何かではない) が喋り始めたりする。 登場するヴィランも、バットマンシリーズからだけではなく、他作品からさえ出張してくる。名前を言ってはいけないあの人とか 。 あと、吹き替えで見たらロビンの中の人――小島よしおさんのネタが出てくる。「そんなの関係ねぇ」は文脈があったからクスリとしたけれど、「オッパッピー」はちょっと唐突じゃなかったかな。なお、この起用自体はよかったと思う。演技に違和感がなくて、ネタで初めて気がついたくらい。 総じて言えば、気持ち良く笑わせてくれる愉快な作品だった。「子供向けだろう」と敬遠していた人はぜひ。 ところで、レゴでできているかのような映像だけれど、CGで制作されているらしい。動きもレゴを使ったストップモーションだけれど、わざわざそうしたということか。何たる倒錯 [1] 。 [1] 注目映画紹介:「レゴ バットマン ザ・ムービー」レゴ姿のバットマンはじめキュートなキャラが大活躍! - MANTANWEB(まんたんウェブ)

幻獣現住 - ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(原題 "Fantastic Beasts and Where to Find Them") を見た。〈ハリー・ポッター〉シリーズの1作だけれど、ここから見始めて大丈夫な作り。作中時間は70年前と二世代くらい離れていて、物語のうえでも強いつながりはなかった。5部作らしいので、これから絡むようになるかもしれないけれど。 〈ハリー・ポッター〉シリーズの舞台はイギリスの魔法界だったけれど、本シリーズの舞台はアメリカの魔法を使えない人間――イギリスではマグル、アメリカではノー・マギ――の世界。そこに魔法動物が逃げ出してしまうところから、物語が始まる。 その魔法動物が、多種多様でとても魅力的だった。カモノハシのようなフラニーは愛嬌のあるいたずらっ子だったし、ボウトラックルはあざといくらい甘えん坊だったし、エルンペントはサイズと見た目は恐いけれどよくよく見ていると動きがユーモラスだった (巨大だから扱いを間違えると被害が出るけれど)。神々しいのも禍々しいのもいるけれど、それは見てのお楽しみということで。 登場人物のなかでは、コワルスキーが良い味を出していた。ノー・マギにも関わらず、今回の騒動に巻き込まれてしまうのだけれど、あっと言う間にすっかり馴染んでしまい主人公ニュートの相棒として八面六臂の活躍とは言えないけれど七転び八起きで力を貸している。よく逃げ出さないなと思う。最後まで魅せてくれた。 新シリーズの幕開けは、魔法使い以外の活躍が印象的だった。もちろん魔法使いも活躍する (というか、メインは魔法使いだ) けれど、それは前シリーズで十分に堪能したからかな? ちなみに次回作『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』が公開されるのは今年の冬の予定。のんびり待とう。

カモメ / 猫

「最近撮った写真のなかからピックアップ第2弾。生き物の写真。まずはカモメから」 「ジョナサン?」 「南無三!」 「ブッポウソウ?」 「カモメと言うておろうが」 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 「目が合ったので」 「イケメン!」 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 「奥のがやけに小さく見えておもしろい」 「手前の手すりと奥の橋が平行に写っているからですね」 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 「羽ばたいているところ」 「威嚇しているみたいです」 「言われてみるとオオアリクイのポーズ」 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 「続いて黒猫。ちょっとピントが甘い」 「白のぶちがチャームポイント This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 「植え込みに潜む猫」 「間違いなくアンブッシュを狙っていますね」 「認められるのは一度だけ」 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 「最後は室外機の上の猫」

桜+ヒヨドリ / 河津桜 / 桜餅

「最近撮ったなかから、桜関係の写真をピックアップしてみたよ」 「春らしくなってきましたもんね」 「桜と小鳥。調べてみたらどうやらヒヨドリみたい」 「桜の品種が?」 「小鳥だよ!」 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 「こちらはカワツザクラ」 「今度こそ鳥ですね?」 「そもそも写ってない!」 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 「桜餅。葉はオオシマザクラという品種のらしいよ」 「そのあたりのソメイヨシノからちぎっていたわけではないんですね」 「そりゃそうだろうと思いつつ、じゃあどこから出てきたのか気になって調べてみた。伊豆の松崎町というところが全国の生産量の七割を占めているらしい」 [1] This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . [1] 伊豆松崎から世界へ-桜葉 SAKURABA made in Izu-Matsuzaki-伊豆松崎町桜葉振興会

ままならんラプソディ - 中動態の世界 ――意志と責任の考古学

『中動態の世界 ――意志と責任の考古学』を読んだ。サブタイトルの「意志と責任」について、言葉や文法からアプローチしている。キーワードとなるのが、メインタイトルの「中動態」。 しっかりと噛み砕けてはいないけれど、自分にとって大事なことが書かれている感触がある。 どういう意味で大事かというと、気持ちを軽くしてくれるという意味。抱えていた重さを考えると「直面した問題」というには大袈裟だけれど、ままならなさを軽減してくれた。もう少し正確に書くと、ままならなさに対する苛立ちや後悔が軽減してくれた。 直面した問題に応答するべく概念を創造する――それが哲学の営みである(真理とはおそらくこの営みの副産物として得られるものだ)。 引用元: 『中動態の世界 ――意志と責任の考古学』 一方で、サブタイトルから生まれた「意志と責任」についての期待は、十分には満たされていない。インタビュー記事に「責任」を次の課題にしたいという話があったので、待っていよう。 ただ、今回の本の刊行後に、責任についても考えが進んできたところがあって、次の課題にしたいと思っています。 引用元: 『中動態の世界 ――意志と責任の考古学』國分功一郎 | Webでも考える人 | 新潮社 もうひとつ、依存症との関係について、もう少し書かれていて欲しかった。「プロローグ――ある対話」と題された依存症当事者との架空の対談から始まるのに、ここに着地しない。「あとがき」でも、同著者の『暇と退屈の倫理学』とも関係することが示されていけれど、詳しくは説明されない。 熊谷さんと上岡さんは『暇と退屈の倫理学』が依存症を考えるうえで役に立つのだと言ってくれた。詳しくは説明しないけれども、ハイデッガーの言う退屈の三区分に即して私が書いた「ハイデッガー自身の述べるところとは異なり、最も大切なのは決断へと至る退屈の第三形式ではなくて、ぼんやりとした退屈に浸っている第二形式である」という考えが、依存症からの「回復」を考えるうえで参考になるということだった。 引用元: 『中動態の世界 ――意志と責任の考古学』 自分が直面する問題ではないので次第に薄れていくだろうとは思うけれど、読み終えて数日が経った今ももどかしさが残っている。そうは思いつつも、少し検索してみたら、対談 國分功一郎×熊谷晋一郎:「中動態」と「当事者研究」がアイデンテ

技と偽と義 - ブラックパンサー

映画『ブラックパンサー』(原題: "Black Panther") を観てきた。MCUのシリーズ第18作目。ブラックパンサーが主人公となる最初の作品だからか、独立色が強め。本作だけ見ても十分に楽しめると思う。直接つながってくる 『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』 での経緯が本作内でフォローされている。『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』はクロスオーバー色が強くて、そこから見始めてもついていくのが難しいから、本作から入りやすいように配慮されているのだろう。 本作の主な舞台は、架空の王国ワカンダ。アフリカ大陸に位置しており、表向きは発展途上国として認識されている。でも実態は、ヴィヴラニウム鉱石に由来する科学技術を有する超技術国。その技術力はチタウリにも引けを取らないくらい。 ブラックパンサーの力は、そのワカンダの王位とともに代々引き継がれている。本作で王位と力を引き継いだのは、ティ・チャラ。『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』時点ではまだ王子だった彼が、王として成長していく様が描かれている。ブラックパンサーとしてのアクションあり、父=先王の偽りを巡るドラマありで、とても魅力的に描かれていた。異世界アスガルドの王であるソーと重なる部分があるので、次回作『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』での絡みに期待。 魅力に満ちていたのは、ティ・チャラだけじゃない。妹=王女のシュリはチャーミングかつ頼もしかったし、親衛隊長オコエは誇り高く凛としていた。ワカンダ国外に目をやると、CIA捜査官エヴェレットは巻き添えのようなものなのに情に厚い。ところで、エヴェレットを演じるマーティン・フリーマンが"SHERLOCK"のワトソン役。ホームズ役のベネディクト・カンバーバッチが、MCUではドクター・ストレンジを演じているので、同じスクリーンに登場するシーンを妄想してしまう。そりゃあ期待は薄いけれども。 ヴィランのキルモンガーもよい描かれ方をしていた。 『スパイダーマン:ホームカミング』 のバルチャーもインパクトがあったけれど、肩入れしたくなるという意味では彼が一番。 ネタバレ防止 最後に少しでいいから、彼を弔うところが映されて欲しかった。ハッピーエンドの雰囲気にはそぐわなかっただろうけれど、ワカンダの文化が葬儀をとても重ん

知のカット - 知能化都市

『知能化都市』を、 読めなかった 。 頭に入ってこなくて読めなかったのでも、積読中に興味を失ったのでもない。読み始めたら、言葉遣いにもものの見方にも強い抵抗があって、ストレスになりそうだったので、意図的に読むのを止めてしまった。知っている場所の設計に関わったらしいので読み始めたけれど、そこまでページを捲る気にさえなれなかったくらい。 まず言葉遣いへの違和感で引っかかる。「ウォッチイング」や「パッサージュ」という自分にはあまり馴染みのない音写。「トレンディースポット」や「イケてる(カッコイイ)」という時代がかった表現。これらのせいでテンポよく読み進められない。 言葉遣いは慣れの問題もあるだろうけれど、ものの見方も相容れないと感じたのが決定的。ファーストフード店や量販店が並んでいるのを「退廃的」と評したり、秋葉原について記述する中で「マイノリティ(オタク)」を主語に据えたりしていて、もう耐えられなかった。出版年(2010年)を差し引いても、2010年までには、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『けいおん!』、『らき☆すた』が放送されていて、町おこしなんかに使われ始めるくらいに存在感あったのだけれどなあ。 あと付随的ではあるけれど、たまたま註にWikipediaからのコピペがあったのに気付いたのも、気力を削いでくれた。たまたま参考文献が同じだったのかもしれないけれど。なお、気になってWikipediaの履歴を見たら、2007年5月時点で該当する記述があったのでWikipediaが本書を参照した可能性はなさそう。 というわけで、趣味の読書なのにストレスを感じることもあるまいと考え撤退。

そろそろそぞろ - ウォークス 歩くことの精神史

『ウォークス 歩くことの精神史』を読んだ。昨年11月にタマフルで紹介されていたのがキッカケ [1] 。たまにあてどなく散策したりするので、歩くことについて改めて考えてみるのもおもしろそうだと思って、手に取ってみた。 おもしろいところもあったけれど、ちょっと散漫な印象。字面を追うだけになることもあった。原題 "Wanderlust: A History of Walking" の "Wanderlust" が「放浪癖」という意味なので、意図的かもしれない。 著者による田舎歩きのモチーフへの次の指摘は、本書にも部分的にも当てはまっているように思う。感傷や自伝的なお喋りが少なからず入り込んでいる。 文芸における田舎歩きのモチーフが陳腐さや感傷や自伝的なお喋りに嵌まり込んでしまう一方、ロングの芸術は素っ気なく、ほとんど沈黙している。 引用元:『ウォークス 歩くことの精神史』 訳者あとがきによると、原著の欄外にあったという膨大なテキストが省略されているそうなので、余計にそう感じるのかもしれない。 でも、歩くことを主軸に幅広い領域を横断していて、読み応えは十分だった。暗い中ふらふらと出歩けるのが人工的な状態だと改めて考えさせられる。 「第六章 庭園を歩み出て」は、昔は野盗の襲撃があったため、徒歩での移動が危険だったというところから始まる。時代が進んで「第十章 ウォーキング・クラブと大地をめぐる闘争」では、イギリスの通行権の話が出てくる。これは昔から通路として使われていた土地は、私有化されたあとも通路として使えるという権利。日本だと「私道につき~」なんて書かれた看板をたまに見かけるけれど、調べて見たら通行料取ったりできるみたい [2] 。実施に取っているところは見たことないけれど。 「第十四章 夜歩く――女、性、公共空間」では、女性が出歩ける場所と時間が制限されている時代・地域がある/あったという話。この問題は、根が深いように思う。今の日本でも、犯罪被害に遭った女性に「そんな時間にそんなところを歩いている方が悪い」というようなことを言う人がいる。犯罪リスクが高いシチュエーションを避けるのが好ましいとしても、だからと言って被害者が悪いなんてことにはならないのに。本書は商店が女性が安心してぶらつくことのできる半公共的な空間

飾りの盛り / ベルツノガエルのクリップマグネット

「ベルツノガエルのクリップマグネットをゲットしたぜ。クリップ使わないけれど!! かわいかったから!!」 「置物ですね」 「置物って、ときどき悪い意味で使われるけどさ」 「置物にしかならない、なんて言ったりしますね」 3 見かけだけで、実際にはなんの力も権限もない人。「置物の会長」 出典: デジタル大辞泉(小学館) 「ちゃんと置物になるなら、素敵だよね」

元気な無限軌道 - ガールズ&パンツァー (TVシリーズ + これが本当のアンツィオ戦です!)

『ガールズ&パンツァー』のTVシリーズとOVA『これが本当のアンツィオ戦です!』を見た。特にこれといった理由は無い。強いて言えば、Netflixのオススメでたまたま目についたので。昨年末に『最終章 第1話』が劇場公開されて、今月そのパッケージが出るところというのも、あとから知ったくらい。 話の流れとしてはスポーツものなのね。競技は架空の戦車道だけれど。小説 『サマーランサー』 を思い出す。こちらも槍道という架空の競技を描いている。 戦車に詳しくないけれど、アクションに迫力があって燃えるものがある。最初は、地面が踏み荒らされるとか道路が傷みそうとか二次被害が気になったけれど、この世界では大丈夫なようになっているのだろうとすぐに気にしないことにした。戦術もよくわからないけれど、実際の運用と違う(歩兵が随伴していない)のできっと戦車道に固有のセオリーがあるのだろう [1] 。 ところで戦車と言えば、映画 『FURY』 も思い出す。あれも戦車戦に迫力あったなあ、と。 [1] ちょうど 『ガールズ&パンツァー戦車&戦術解説書 萌えよ! 戦車道学校』 がもうすぐ発売されるところだった。

大食師 - カンフー・パンダ 3

「『カンフー・パンダ3』(原題 "Kung Fu Panda 3"を見たよ」 「これ、2までは劇場公開されていたのに、3はNetflix限定配信なんですね」 「客入りが芳しくなかったのかな。あと、公開が2011年、3の公開が2016年と5年も空いているのも少し気になる」 「2を見た小学校高学年が、高校生になっていますからねえ。アニメ、見なくなる人が増えてもおかしくないです」 「強くなっても、のんきでお調子者のままのポー、かわいいんだけどなあ」

サタンデー・ナイト・フィアー - ザ・ベビーシッター

「『ザ・ベビーシッター』 (原題 "The Babysitter")を見たよ」 「Netflixオリジナル作品なんですね」 「うん。Netflix、オリジナル作品にもおもしろそうなのいくつかあって、ラインナップを眺めていても割と楽しい」 「それで本作はどうでした?」 「気を楽にして見られるホラーコメディだった。最初、ホラーかスプラッタだと思って見ていたからノリについていけずちょっと困惑したけれど」 「先入観があるとなかなか切り変えられないですもんね。ところで主人公の子、かわいくないですか?」 「俺はベビーシッターのお姉さんはじめ、悪者側の方がキャラが濃くてよかったなあ。特にマッチョとチアガールは、台詞がおかしくて」

うたかたのたゆたい - シェイプ・オブ・ウォーター

ギレルモ・デル・トロ監督の最新作『シェイプ・オブ・ウォーター』(原題 "The Shape of Water") を見てきた。エンターテインメント的な楽しさも、視覚的な美しさも、考察のしがいもありながら、観賞を終えてみれば叙情的な余韻で満たしてくれる。忘れられない作品になりそう1本。アカデミー賞4部門(作品賞、監督賞、作曲賞、美術賞)受賞がめでたい。 『パシフィック・リム』より『パンズ・ラビリンス』に近い雰囲気。不気味なクリーチャーこそ登場するけれど、鑑賞後に残る余韻はおとぎ話のよう。ただ『パンズ・ラビリンス』が全体的に暗いトーンだったのに対して、本作は起伏に富んでいる。愛あり友情あり恐怖あり笑いあり歌あり踊りありの濃密な時間を過ごせた。 映像もとても美しい。最初はクリーチャーに目がいくけれど、それだけじゃない。全体を通して緑を基調に赤が映える色使いが印象的。それから個別のシーンでは、水中の表現が素敵だった。見とれてしまう。 ところで、おとぎ話のような雰囲気と人間と水棲異種との間の恋物語から『人魚姫』を連想したのだけれど、着想のもとになっているのかな。声を失っているところが共通しているし、2本の足を得るところと最後に靴が脱げるところが対照的だし。 参考 アカデミー作品賞は『シェイプ・オブ・ウォーター』 4部門受賞 ハンス・クリスティアン・アンデルセン Hans Christian Andersen 楠山正雄訳 人魚のひいさま DEN LILLE HAVFRUE

スカイツリー + 桜 + メジロ

This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . スカイツリーの足下、北十間川に架かる橋のたもとから。桜が咲いていたのは一部だけだったけれど、気温も上がってきてだんだんと春めいてきた。

一寸先の光 - 百万光年のちょっと先

『百万光年のちょっと先』を読んだ。 古橋秀之さんのSF短篇集。プロローグとエピローグを含めて、全48篇が収録されている。自動家政婦が、子供を寝かしつけるために話し聞かせる形で書かれている。 印象だけだけれど『千夜一夜物語』を彷彿とさせる。どの話も出だしは「百万光年のちょっと先、今よりほんの三秒むかし」で始まる。柔らかい語り口と繰り返しが心地よい。 どれもたかだか10ページほどのごく短い話だけれど、捻りが利いているのでワクワクしながらページをめくることができる。格別のお気に入りは、次の三篇。 「卵を割らなきゃオムレツは」 「檻の中、檻の外」 「四次元竜と鍛冶屋の弟子」 読み終えたあとも、 各話の裏話ツイート を見るのがおもしろい。3/3時点で13まで公開されている。

脱帽のツボ - とんがり帽子のアトリエ(3)

『とんがり帽子のアトリエ(3)』を読んだ。 改めてテティアがいい子だった。ふと1巻から読み返してみたら、ずっとまっすぐだった。ココやアガットだけでなく、みんな素敵だ。セリフこそ少ないものの、リチェも頼もしい。 それにしてもキーフリー先生はどんな秘密を抱えているのか。あちこちに因縁がありそうだけれど。