一つ前のエントリーはあまりに暗かった。マジメに考え過ぎたので、観光客気分でもっといい加減なことを書く。この「観光客」というのも東浩紀さんの哲学のキーワードなのだけれど、本エントリではマジメなことは考えない。 ラノベっぽくなるかな? と思って、主張をそのままタイトルに据えてみた。これである。 〈「Fateは哲学」なのに哲学者サーヴァントが少ない理由あるいは現代思想業界では聖杯戦争が繰り広げられている〉 さて、みなさんは「Fateは哲学」という言葉を聞いたことがあるだろうか? なかったらググって欲しい。ごめん、ググったら「Fateは文学」だった[1]。でも『這いよれ!スーパーニャル子ちゃんタイム Vol. 2』でクー子が「運命(フェイト)は哲学もある……」と言っている[2]ので、ここでは「Fateは哲学」という主張していきたい。 「「Fate」って何?」っていう人は、どこから入ってもらうのがいいだろうか? 常に話題が供給されるからソシャゲ『Fate/Grand Order』だろうか? いやいや、やはり最初の『Fate/Stay Night』から……とは実は言えない(ここ伏線)。「Fate/Stay Night Heaven's Feel」まだわかってない……。コミックで追いかけていたら映画に追い抜かれたよ……。映画見に行ってないよ……。 ◆ 話を「「Fate」は哲学」に戻す。これはただクー子が言っているだけではない。『Fate/Grand Order』のイベント「徳川廻天迷宮 大奥」(通称「大奥イベント」)を思い出して欲しい。最近(二ヶ月前)に復刻されたばかりなので、ここまで読んでいるマスターはみなプレイしたことと思う。注目すべきは終幕のここだ(このためにマテリアル再読してスクショ撮った)。 そう、Fateの戦闘は概念のマウント合戦なのである。具体的にどのような戦闘が繰り広げられるかはここでは繰り返さない。 この概念のマウント合戦、実は現代思想業界で日夜繰り広げられている戦いの在り方でもある。事実、『新記号論』ではジークムント・フロイトのマスターは敵対サーヴァントであるジャック・ラカンについて、このような会話を繰り広げている。 「なぜでしょうね。これを読むとラカンはまちがっている、と言わざるをえない」 「明確にまちがっていますね。無意識は物表象の世界なのに、そ...