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進化の過信 - 人体 失敗の進化史

『人体 失敗の進化史』を読んだ。

「失敗」というと言葉が強くて、「試行錯誤」といった方がしっくりくる内容だった。動物の解剖から得られた情報から、進化の過程で環境に適応するために様々な器官が転用されてきたという話が繰り広げられる。乱暴に言えば、場当たり的に有りものでどうにか遣り繰りしてきた成れの果てが、今生き延びている生物なのかもしれない。

本書を読んでいて、進化の歴史は敗者の歴史なのかもしれないとふと思った。というのも次のようなシナリオをイメージしたから。
  1. ある種が生存競争で優位に立って増える
  2. その種内ので競争が激しくなる
  3. 種内での生存競争から一部の集団が離脱する
  4. 離脱した先の環境に適応する

敗者かどうかはさておいても、環境が変化することより、違う環境に移動することの方が多そうな気はする。

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