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友達と過ごす時が経ち - パーフェクトフレンド

『パーフェクトフレンド』を読んだ。

理桜(りざくら)、さなか、ややや、トム柊子の4人が友達になるお話。

『けものフレンズ』にハマっているところなので、「すごーい! キミたちはカンペキなフレンズなんだね!」とか思ってしまった。もちろん、まったくの無関係。

ありえそうなレベルで頭がよくてませている理桜と、規格外の天才で情緒に欠いている(割に理桜の神経を逆なでするのには長けた)さなかの遣り取りが楽しくて、頬が緩む。

もちろん、それだけじゃ終わらないだろうと予想はしていた。これまで『[映] アムリタ』『死なない生徒殺人事件』『舞面真面とお面の女』『小説家の作り方』と読んできているので、それくらいは察しがつく。

それくらいしか、察しがつかなかった。あまりに突然な出来事に、半ば以上呆然としてしまった。さらに、そこからのどんでん返しで追い打ちを受け、最後にあの名前が出てきてトドメを刺された。

さあ、ついに次は『2』。これら5つの物語がどうまとまるか、ワクワクしている。

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北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

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