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2月, 2011の投稿を表示しています

かく語りき

『本から引き出された本』 を読んだ。 本書は書評家が多数の本を紹介している本。 紹介している本は多岐に渡る。 シェークスピアや紫式部の古典から、ニーチェやフーコーの哲学、コナン・ドイルやG・K・チェスタトンのミステリィまである。 渡り過ぎて、未邦訳の本が多いのが惜しい。 これを機会にニーチェを読んでみようと思う。 14の気になった文章のうち、ニーチェだけが3回出てきた。 もちろん他は1回だけ。 もっとも印象に残った一文は、次の一文。 周囲から賞賛されているうちは、真に独自の道を歩んでいるのではなく、他人の道にのっているだけだと心しておくといい。 つい先日読んだ、 『自分探しと楽しさについて』 ( 感想 )とも通じる部分があるように思う。 自分らしく独自であれば、他人から賞賛されるという認識は、多くのケースで思い違いだと思う。 控えめに言って、多分騙されていると思う。 さて、何から読み始めるのが良いだろうか。 まずは何も考えず本人が著した本から読むのが趣味なので 『ツァラトゥストラはこう言った』 でも読んでみようか。

「まぁ、そんなものだよ」

『自分探しと楽しさについて』 を読んだ。 自分にとっては、下記三部作より、ずっと読みやすかった。 『自由をつくる自在に生きる』 ( 感想 ) 『創るセンス 工作の思考』 ( 感想 ) 『小説家という職業』 ( 感想 ) 自分の思考と、本書の内容が近いのだと思う。 著者は、本書を「まえの三冊よりも、さらに抽象的で、読みにくいものと想像する」と評価しているから、自分の思考は抽象的なのだろう、と想像する。 思い当たる節がある。具体的に喋っているつもりなのに、抽象的で分かりにくいと言われたことがある。 多分、このエントリィも抽象的で分かりにくいものなのだろうな、と想像する。 抽象的で読みにくいと想像されるものを読んで、具体的に喋ったつもりでも抽象的だと形容される言葉で感想を書いているのだから、そうなるのが自然だ。 一体、どれだけの人に伝わるだろうか。 著者は、観察範囲の一割くらいが「森博嗣の文章を読んで、「ああ、そうか」と思うのではないか」と書いている。 自分の場合、一割もいないと思う。「何か楽しいことない?」と訊かれたときに、何度か「何か楽しいことしたら?」と答えたことがあるけれど、同意されたことがない。本書を読んで「ああ、そうか」と思うような思考なら、同意されても良さそう。 最大の原因は自分の文章の拙さにあるのだろうけれど、さらに抽象的で分かりにくいことを伝えようとしているので、余計伝わらないのだろう。実際、他の場合でも、思っていることを素直に言葉にしているつもりのときほど伝わっていないな、と感じる。 「どうしてだろう?」と悩まないでもないけれど、本書を読んで「まぁ、そんなものか」とも思えた。 これだけでも随分な収穫。

枝分かれする根も葉もないルート

「まだ 『魔法少女まどか☆マギカ (1)』 が見つからないので、また巴マミを描いてみた」 「今度は制服ですね」 「うん。 前回 も 前々回 も変身後だったので、趣向を変えてみた。しかし、オープニングだけ見ていると、もう登場しそうにないなんて信じられないなぁ」 「信じたくないだけじゃ?」 「多分そうだろうなぁ。信じたいものを信じるし、信じているものを覆すものは曲解するし、信じていないものは見えない」 「否定的に聞こえますね」 「否定も肯定もない。そういう傾向があるというだけ。ま、アニメだからいいんじゃない? 現実は、少なくとも自分が体験できる現実は分岐しないけれど、創作はいくらでも分岐させられる。原作設定無視の2次創作だって個人レベルでは自由」

パノラマ橋奇譚

「ただいまー」 「おかえりなさい。遅かったですね」 「伊豆半島の南端まで行ってきたよー」 「何しに行ってきたんですか?」 「海賊焼き食べたり、海鮮丼食べたり、地魚の天丼食べたり」 「食べてばかりですね」 「うん。祈ってもないし、恋してもいない」 「それは映画です」 「原作の自伝小説もあるらしいよ。しかし、副題『女が直面するあらゆること探究の書』って、他にも直面することありそうなもんだが」 「話が逸れてきましたよ?」 「ちなみに、地魚はデンデンというらしい。 柔らかくて美味しかったよ」 「そこで食べ物に戻しますか。と言うか、他に戻す先はないんですか」 「もちろん観光もしてきたよ。例えば、この写真」 panorama by SO_C is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License . 「パノラマ写真ですね。って、 PowerShot A480 じゃ撮れないんじゃ?」 「 Microsoft Research Image Composite Editor (ICE) っての使って合成してみた。パノラマ撮れるデジカメなんて要らないよ?」 「そんなに欲しいんですか」 「はっはっはっはーまっさかー」 「笑いが乾いてますよ」 「1年も経つと、コストパフォーマンスがずっと良いカメラがじゃんじゃん出てきますよねー」

アフター

『特撮リボルテック ジャック・スケリントン(サンタバージョン)』 を買った。 通常バージョンと同じく背が高いので、並べて飾るとよく映える。 黒と赤という色合いも良い。

見つからない

「 『魔法少女まどか☆マギカ (1)』 のあまりの見つからなさに、落描きしてみた。加えて、今回は色まで塗ってみたり」 「どんだけ頭の中、まどか☆マギカ、と言うか巴マミで一杯なんですか。 前回 も巴マミでしたし」 「下手をしたら1巻でしか登場しないかもしれないし。 アニメ6話で明かされたソウルジェムの秘密を知って期待したけれど、5話の回想シーンで確認して一瞬で絶望した。希望が見つからない」 「何の話ですか」 「観ている人だけ分かればいい話」

ビフォー

『特撮リボルテック ジャック・スケリントン』 を買った。 細いけれど、思ったより背が高いから、存在感がある。 『特撮リボルテック バットマン』 が約15cmなのに対して、ジャック・スケリントンは20cm弱。 こんな重心だから当然自立しないけれど、ジオラマもついているし、顔パーツも多くて表情豊かだし、満足満足。

ガガガガガガ

『特撮リボルテック モスラ』 を買った。 いい感じに気持ち悪い。 一つ惜しいと思ったのは、羽。プラスチックなので、硬い。 もっと柔らかい素材で、ついでに触ったら鱗粉がつきそうな塗装だったら、より素晴らしかったのに。 でも、写真の通りの良い出来なので飾っていて楽しくなる。

黙々と黙読

『読書の歴史―あるいは読者の歴史』 を読んだ。 本書で、真夜中に布団に包まれて本を読めることが、つい最近のことでそれがいかに幸運なことか思い知った。 まず、黙読がヨーロッパで一般的になったのは、10世紀になってからのこと。 それから、本が大量印刷されるようになったのは、15世紀。 最後に、電気照明が普及したのは、19世紀。 どんな本を読んでも魔女裁判にかけられたりしないし、基本的には焚書もない(と思いたい)。 ところで、今後は電子書籍の普及が進んでいくのだろうか。 前々から気にはなっているのだけれど、iPadやKindleはもちろんスマートフォンさえ持っていないので、まだ実感が湧かない。 本書9章「一人で読むこと」や 『プルーストとイカ』 ( 感想 )にあったハイパーリンクが読みに与える影響を考えると、今自分が読書だと思っている体験の一部は、電子書籍では味わえないのではないか、という予感がある。 ハイパーリンクも要らない。 ソーシャルな機能も要らない。 シェアもしたくない。 ただただ、本に没入したいだけ、というときがある。

あれの肩の上には立てない

『進撃の巨人』 を読んだ。 漫画の面白さと絵の上手さは、関係がないことを改めて実感。 1巻を試し読みしたら面白かったので、3巻までまとめ買いした。 3巻のあの終わり方だと、4巻は少し派手さに欠ける内容になるのかな? 何はともあれ、先が気になる漫画が増えるのは、嬉しい。

魔に魅入る

アニメ『魔法少女まどかマギカ』( 公式サイト )を観ている。 毎週きちんとアニメを追うのは久し振り。 ファンシーな絵柄やタイトルとは裏腹に酷い展開で、どう転ぶか分からないからだと思う。 怖いもの見たさなのかもしれない。 上の絵は、登場人物の巴マミ。 酷い目に遭う筆頭。 ショック過ぎて、描いてみた。

海賊船が沈む

『ONE PIECE 61』 を読んだ。 本巻は、ついに新生麦わらの一味が再始動。 と思いきや、出発した瞬間に終わる。 これから修行の成果やどんな修行をしたかが、描かれていくんだろうか。 ところで、本巻のヒーローは、顔見せ程度だった麦わらの一味じゃなくて、彼らが修行をしていた裏でサニー号を守っていた面々だと思う。

働く趣味人は眠らない?

『ひとつ上のGTD ストレスフリーの整理術 実践編』 を読んだ。 副題の『仕事というゲームと人生というビジネスに勝利する方法』という一文をきっかけに、色々と考えた。 「仕事というゲーム」と「人生というビジネス」という表現は、「ワーク・ライフ・バランス」という考えを基準に置くと、倒錯している。 でも素敵だ。「ワーク・ライフ・バランス」という言葉に束縛されている思考を、自由にしてくれる。 どう考えたって、仕事(ワーク)と人生(ライフ)とでは、釣り合わない。 仕事は人生の一部だ。秤(バランス)の両端に載せるようなものではない。 話がややこしくなるから受けが悪くなるだろうけれど、もう一軸必要だと思う。 ライフ(人生・生命)とゲーム(遊び)を分けた方が、自分には合う。 自分は、仕事が増えたらそれに対向するように遊びの時間を増やそうとする傾向がある。 そして、生命(睡眠時間)にしわ寄せをやっている。