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9月, 2018の投稿を表示しています

あるフック - 新・現代アフリカ入門

『新・現代アフリカ入門』を読んだ。 特にこれといったキッカケはないのだけれど、何とは無しに。強いて言えば映画 『ブラック・パンサー』 か。架空の国ではあったけれど、主な舞台がアフリカだった。 ◆ 出版されたのは5年前の2013年(いちいち確認しないといけないので、『現代〜』のようなタイトルをつける慣習はなくなってほしいと思う)。二十分の一世紀もあれば、大きく変わった国もあるだろう。けれど、この5年でアフリカに関してどんなニュースがあったかさっぱり思い出せない(日本のもさして思い出せないのだが)。サッカーのW杯が開催されたのは、2010年のことだし。 忘却ぶりに 『ヌメロ・ゼロ』 を思い出す。いろいろと忘れていっているんだろう、という感覚ばかり湧いてきて、具体的なエピソードは浮かび上がってこない。記憶力が下がったのかもしれないし、子供時分からそうなので、そういう記憶の仕方をしているのだろう、と思っている。ニュースにうんざりしているとも言える。 ニュースと言えば、自民党総裁選があるんだかあったんだかだったよなと思って、Googleで「総裁選」を検索してみたら、文春オンラインの「総裁選「カツカレー食い逃げ事件」が大事件になるまで」がトップに出てきた。知らんがな。 アフリカでもよく似た構図らしい。 「こうした政権維持のための政争にうんざりし、政治不信を持つ人々が選挙そのものに関心を示さなくなることもある。たとえば、二〇〇七年のマリの大統領選挙では、投票率は三十六%であった」 日本は大統領制ではないので直接比較はできないが、2017年衆議院選挙の投票率は約54%だった。年代別だと20代がもっとも低く約34%。上記大統領選挙と同じくらい。おおよそ3人にいたら2人は投票していない程度の関心の低さ。なお出典は総務省の 『国政選挙における年代別投票率について』 。 日本と似ている印象を受けるが、著者が日本人なので出生国のことを投影している可能性もあるか。 ◆ この本を「入門」書として思い返すと、著者の主張がかなり強め。出だしから問題提起で始まって、問題ありきで歴史や現状が描写されているように読める。投票率の問題のように、まず問題がありそれを象徴する国をピックアップする形で取り上げられると、 チェリーピッキング にも見える。 アフリカに

R/W - 読書の価値

『読書の価値』を読んだ。自分は、著者の読書スタイルとも、著者が想定する読者の読書スタイルとも差異があるとわかった。他人の頭のなかが垣間見えて比べられたみたいで、おもしろい。 ◆ 「まえがき」に この本の内容は、少なからず抽象的になるだろう。 と書かれているけれど、この著者としては具体的だったと思う。ものごとの見方や捉え方だけではなくて、選択の指針まで書かかれている。 『自由をつくる自在に生きる』 を読書にしぼって具体的に書いたらこうなるのではないか。 そう感じるのは、自分が本著者の著作を小説・新書・絵本・訳書まで読んでいるからだろう。この読み方はマイナなはずだ。どの本か忘れたが、小説と新書とで読者層が異なると読んだ記憶がある。だから、著者は自分とは違う読者層を想定して「抽象的」と書いたのだろう。 どんな読者像が想定されているかに興味が湧いて、この本と『自由をつくる自在に生きる』とで、Amazonの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」を見比べてみた。如実な違いが見られて驚いた。本書のページではビジネス書やハウツー本が並ぶが、『自由をつくる自在に生きる』では同著者の新書・エッセイがズラリと並ぶ(やはり小説は出てこない)。これはどんな傾向の表れだろうか? 新しい読者層を開拓できているわけで、きっと狙いどおりだろう。主にビジネス書やハウツー本を読んでいるなら、この本の内容は抽象的に感じるはず。そういう読者のなかにはじれったかったりイライラしたりした人もいたのではないだろうか。 ◆ 著者とは違い、自分はたくさんの本を読む方だと思う。読むのも遅くはないだろうけれど、それ以上に読書にあてる時間が多い。いわゆる活字中毒なのかもしれない。この間の休日も読書に何時間もあてて1000ページ以上の文庫を数日で読み終えた。このブログのエントリィ数を見ると、ここ10年ほど毎年100冊くらいは読んでいるようだ。人生を本に振っていると言って過言ではない(そんな言い回しはない)。 著者とは違い、自分は読む本を選ぶのに時間をかけない。本屋でもAmazonでも図書館でも、まあ読むだろうと思い手に取る。必要な情報を求めて探しているときは目次やまえがきを流し読みして済ませることもあるけれど、何かしら発見を期待しているときはそのままレジ(または貸出窓口)に

行きは良い宵 - 宵物語

『宵物語』を読んだ。もう何シーズンの何冊目か思い出せない(記憶に留める気がない)。 収録されているのは、「まよいスネイル」と「まよいスネイク」の2編。どちらにも八九寺真宵は要所要所で登場するけれど、多寡でいうと他のキャラに譲ってしまっている。 「まよいスネイル」では、阿良々木暦と行動をともにするのは押野忍と斧乃木余接。『傾物語』の「まよいキョンシー」のときも似たポジションだったことを思い出す。いっしょに行動すると迷子になってしまうから。 「まよいスネイル」では千石撫子から八九寺真宵への引き継ぎの話。こちらは主に千石撫子の視点で語られる。専門家にまたえらい評価を受けてしまったものだが、彼女は一体何なんだろうか。 話は変わるけれど、『結物語』から作中の時系列では遡っているので、すでに回収されている伏線を張っているかのような発言がちょくちょく出てくるのがおもしろい。これなら投げっぱなしになりようにない。

扇動多くして - プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争

『プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争』を読んだ。 本書に掲載されているポスターは135枚。すべて長野県阿智村でみつかったもの。当時の会地(おうち)村長が、焼却処分せずに保管していたそうだ。制作時期は、1937年の日中戦争から1945年の終戦までの約8年間とされている[1]。 全体的にアール・デコ調に感じられる作品が多い。当時の最新のスタイルを取り入れた結果か。イラスト中心なのは、当時の写真は発色が悪くインパクトで劣ったためだと説明されている。手早く制作できるので積極的に採用していたロシア構成主義とは対極的に映る。 これらのポスターを見ていると、オリンピックに向けた、2つの動きを思い出す。まず、ボランティアの募集。スポーツ庁・文科省が連盟で大学長・高専校長へ「スケジュール考慮しろよ」と通知を出すに至っている[2]。人に加えて、金属の提供依頼。「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」と称して集めようとしている[3]。なりふり構っていない。あるいは、何をしても許されると思っている。そんな印象。子供に協力させて、子供でさえ協力しているんだから大人は判るよね? という手法まで使い始めたら行くところまで行った感を覚えると思う。歴史から学ぶのか、歴史を繰り返すのか。 歴史と言えば、「コラム2 プロパガンダ・ポスターと美術界―画家と図案家―」で、最近 『日本のグラフィック100年』 で知った杉浦非水の名前が出てきた。同僚の作品を紹介する文脈で名前が挙がったに過ぎないけれど。同時期に読んだ 『20世紀のデザイン』 にはプロパガンダ・ポスターも載っていたけれど、『日本のグラフィック100年』にはなかったように記憶している。年代順に並んでいなかったため、気にならなかったけれど、この戦時の作品がぽっかり抜け落ちていたりするのだろうか(「焼却処分せよ」と命令が下ったので、残存数は少ないという事情はあるだろうけれど)。だとしたら 『ゲンロン 6』、『〃 7』 で議論されていた埋葬の失敗の、ひとつの表れか。開き直りもせず、露悪敵にもならず、静かに振り返ることの、この難しさ(確かめもせず考え過ぎか)。 [1]  【長野】戦時ポスターずらり 阿智で展示 | 中日旅行ナビ ぶらっ人 [2]  平成32年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法及

This is Dis - EMINEM/KAMIKAZE

EMINEMの10thスタジオアルバム"KAMIKAZE"を聞いている。 日本とアメリカとでタイトルの捉え方が異なりそうなので、英英辞典を引いてみた。「自らの安全を顧みず、危険を冒すのを躊躇わない人のこと」と言ったところか。 used to describe someone who is willing to take risks, without caring about their safety 出典: kamikaze | ロングマン現代英英辞典でのkamikazeの意味 彼自身のこと形容しているのだろう。 昨年10月にトランプを批判するフリースタイル・ラップ "The Strom" を披露 して、自分のファンでもトランプを支持するなら敵だというようなことを言っている。 という話はさておき(あるいは含めて)アルバム全体から怒りを感じる。何を言っているか聞き取れるわけじゃないから、調べてみると本当に多方面を口撃しているみたい。 溜まっていた鬱憤が吹き出したような、そんな印象。

Observe-less Drawing? / シャーロック・ホームズ from Fate/Grand Order

Fate/Grand Orderからシャーロック・ホームズ。 3周年キャンペーンのピックアップで来てくれた。うれしい限り。虚月館事件のときはまだ姿を現す時機ではなかったのだろう。 コナン・ドイルによる原典を読破して、ときおりパスティーシュに手を出すくらい好き。BBCドラマ『SHERLOCK』も見たし、ロバート・ダウニー Jr.が主演の映画2本も見た。『ミスター・ホームズ』も原作小説を読んで映画を見に行った。シャーロキアンを名乗るのは恐れ多いけれど、細くとも長く接し続けてはいる方だろうとは思う。 美形男性を描くのが苦手なうえに、オールバックを描いた記憶すらないところからのスタートだったので何度かトライ。ようやく自己満足できる表情を描けた。おかげで3周年キャンペーンから一ヶ月以上経ってしまった。 見ずに描くなんて論外で、よく見て描いてもまだ違う。 そういう事だ!君は観察していない。それでも見てはいる。僕の指摘したいのはその点だ。 出典: ボヘミアの醜聞 Page. 2

月、影、寺 / プロジェクト:シャーロック

SF短篇集『プロジェクト:シャーロック』を読んでいる。読み終えていないけれど、この4編がお気に入り。それぞれ簡単に感想を。 上田早夕里「ルーシィ、月、星、太陽」 円城塔「Shadow.net」 八島游舷「天駆せよ法勝寺」(第9回創元SF短編賞受賞作) 「ルーシィ、月、星、太陽」は、単体でもポストアポカリプスものとして読める(だからこそ短篇集にぽんと入る)。『華竜の宮』『深紅の碑文』と同じ世界の話なので、感慨深さが。逆にこちらから入っても、新鮮な驚きがありそう。 「Shadow.net」は、『攻殻機動隊小説アンソロジー』から。これも『攻殻機動隊』を知らなくても楽しめると思う。これ、文章で書かれているのを読むとなんとなくフムフムと思って読むけれど、こういう状態になったらどんな風に感じるんだろう。想像を絶している。 「天駆せよ法勝寺」は仏教SF。連想するのは、『ブラックロッド』から始まる三部作とか、比較的最近だと『閃光のブッシャリオン』とか。これらと違って短編だけれど、勝るとも劣らない量の造語がぶち込まれていて、そのうえキャラも立っていて、物語としても美しい。と、冷静に振り返ると構成の巧さに気がつくけれど、読んでいる時は勢いにもまれてあっと言う間。文句なくおもしろかった。

and Cassie - アントマン&ワスプ

『アントマン&ワスプ』(原題 "Ant-Man and the Wasp") を見てきた。 『アントマン』 の続編で、〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉シリーズとしては第20作目。 タイトルに名を冠された2人の活躍もさることながら、アントマン=スコットの娘キャシーと、彼の親友ルイスもよかった。あと、スコットを監視するFBI捜査官ウーもいい味を出していた。 キャシーはオープニングから仲睦まじい姿を見せてくれるし、ウーに対する時間稼ぎはファインプレーだったし、なによりラボを取り返しに行こうとするスコットを送り出す姿がいじらしい。 ルイスは笑わせてくれた。ルイスの自白シーンは必見。映像の各登場人物の口の動きと、いちいち合っているのがおかしくてしょうがない。ルイスではなくスコットなのだけれど、別の人物を演じるシーンがもう1つあってそちらも大笑いしてしまった。シリアスな状況で、あのギャップはズルい。 ウーは、スコットを監視する厄介な立場にありつつも、犯罪者として憎んだりしていなければ毛嫌いもしていない。手品の教えを請うたり、むしろ距離を縮めようとしている姿勢が見て取れる。スコットの監視が終わる時のやりとりもチャーミングだった。 ちなみに作中の時系列は、 『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』 の後で、 『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』 より前。次回作への引きとなるエンドクレジット後が衝撃だった。

乱れ引き裂かれ - 姉なるもの3

『姉なるもの 3』を読んだ。 色気と怖気にゾクゾク。 美しさもカワイサも、その存在のごくごく一部でしかなくて、総体としては人に推し量れる類いのものではないのだろうなあ、とそんなことを考える。 新キャラ陽(ハル)も登場。野良犬と自らを形容しているし、千夜も捨て犬呼ばわりしている。クトゥルフで犬と言えば、ティンダロスの猟犬か。 シュブ=ニグラスの眷属であるサテュロスやドールが力を貸すような存在らしいけれど、本作では千夜とどんな関係なんだろう。 ◆ 余談だけれど、『Fate/Grand Order』のイベント「サーヴァント・サマー・フェスティバル!」で、ネタになっていた。姉だと主張するジャンヌ〔アーチャー〕に対して、ジャンヌ・オルタ〔バーサーカー〕が、 姉じゃ、ない。 姉なるものでは、ない。 と返している。 それを受けてか、 ジャンヌ と ジャンヌ・オルタ の ペアイラスト が。 まるで仲のよい姉妹みたい。オルタがデレたか。