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a new moment - MONUMENT あるいは自分自身の怪物

『MONUMENT あるいは自分自身の怪物』を読んだ。

ライトノベルのレーベル・ダッシュエックス文庫からの出版で、装丁もライトノベルに見える。物語の舞台も、「人類が火を熾すよりも先に、発火能力を魔術に目覚めた世界。(中略)不思議な力が存在しても、結局は似たような歴史を歩んできた世界」と、ライトノベルには珍しくない。

けれど、読み始めてみると、物語の幹はそうではないことが分かる。主人公ボリスの名前の由来は、1931年の映画『フランケンシュタイン』で怪物を演じた役者。職業は命じられるままに人を殺す暗殺者で、その技術を叩き込まれたのは1991年に崩壊したソ連の参謀本部情報総局(GRU)。性格も、他人を利用することを厭わない怠惰な利己主義者。どこをとっても、2015年に発売されたライトノベルの主人公らしさがない。

ライトノベルか否かという分類学はさておき、とても美しい作品だった。過不足がないあるいは必要十分と言い換えてもいい。無駄もなければ、冗長さもない。最終章でそこまでに散りばめられた断片が形をなし、スケールが爆発的に拡大する。あまりの速度に理解が追いつけず、一拍遅れて驚かされた。さらにその後、語り過ぎていないエピローグの余韻も、好ましい。

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『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

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