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1月, 2017の投稿を表示しています

息を殺さないと殺される - Don't Breathe

ホラー映画 『ドント・ブリーズ (原題 "Don't Breathe")』 を観てきた。 退役軍人の家に大金が保管されていると聴き、3人の若者が泥棒に入ったら見つかってしまい、退役軍人に追い回される話。 退役軍人は、戦争で盲目になったけれど、代わりに音や匂いに敏感という設定。それが特異なシチュエーションを生み出していて、効果的に恐怖感を煽ってくる。たとえば、相手を目の前にして一歩も動けず、それどころか仲間が殺されても声もあげられない。またあるいは、逃げているつもりが、知らず知らずのうちに近づいていってしまう暗闇の中での逃亡劇。 退役軍事が連れていた犬も効果的だった。退役軍人の死角を補うように、違う角度から襲いかかってくる。退役軍人から逃げても息つく暇がない。 ホラー映画のご多分に漏れず、さっさと逃げればきっともっとずっと楽に助かったのだろう。けれど、逃げられなくなる=退役軍人が彼らを逃がすまいとするまでの展開もよかった。ネタバレになるから書かないけれど、最終的に退役軍人が彼らを逃がすまいとし、そのうち一人を監禁してあんなことをしようとしたのには、また別種の凄みがあった。 霊や呪いなどのオカルト要素も猟奇的な連続殺人事件もないけれど、紛う事なきホラーだった。

装備と凶器 - もしRPGの世界で殺人事件が起こったら。

『もしRPGの世界で殺人事件が起こったら。』 [1] を読んだ。タイトルどおりRPG (ロールプレイングゲーム) の世界を舞台にしたミステリィ。 殺人事件の凶器をはじめハウダニットとクラス (ドラクエの職業、FFのジョブに相当) の制約――装備出来る武器や使える魔法を結びつけるアイディアがうまい。確かにこの設定はファンタジーというよりRPGの世界のものだ。 ちょっとだけ残念だったのが、大半のキャラクタが記号的だったところ。あんまり書かれても、ミステリィとしてダレてしまうだろうから、難しいところだけれど、密室殺人のシチュエーションなのに緊迫感が薄かったので。 [1] 2018.2.25時点での『天空城殺人事件: ~もしRPGの世界で殺人事件が起こったら。①~』。自分が読んだタイミングでは、このタイトルだった。書籍版はシリーズ名が取れて『天空城殺人事件』になっている。ややこしい。

拳と牙 - セイバーキャッツ 1~5

『セイバーキャッツ』を1巻から5巻まで読んだ。これで完結。 中国武術を題材にした格闘マンガ。実際に道場に通いながら執筆したというだけあって、動きに説得力が感じられる(少なくとも、自分のような素人目には)。 必殺技のような派手な演出がなくても、アクション映画のように実際の動きを見られなくても、静止したコマの連続から動きを感じられるのが、気持ちいい。

表と裏と - このゆびとまれ 1~3

『このゆびとまれ』を1巻から3巻まで読んだ。表紙に描かれているのが、主人公の藤江恵那。小学1年生の人気子役。 各巻の表紙が、すべてを物語っている。1巻の表紙が表の顔。多くの大人が期待しているであろう、天真爛漫な(ように見える)笑顔。 2巻の表紙が裏の顔。芸能界での地位を確立しようとしているのだけれど、思うようにことが運ばないときの苛立ち。 このギャップがおもしろい。自分が子供のときも、表は素直に言うことを聞いていても、裏ではそんな風に思っていなかったことを思い出す。 3巻の表紙は、2巻表紙の表情以上に表に出せないくしゃくしゃの泣き顔。ここまで、コメディタッチで進んできたのだけれど、ちょっとだけシリアスなお話も。 「かわいさ余って憎さ百倍」と言うけれど、かわいいだけだとかわいいだけで終わってしまう。こうやって、いろいろな表情があった方が、魅力的(「かわいいは正義」とも言うけれど)。

数学妹 - 妹がグレブナー基底に興味を持ち始めたのだが。①

『妹がグレブナー基底に興味を持ち始めたのだが。①』を読んだ。 〈数学ガール〉シリーズと同様に、小説形式で数学を扱っている (作中でも暗に言及されている)。本書の題材はグレブナー基底。さっぱりわからん。なのに、もう少し突っ込んだ説明が欲しいと思ったのが不思議。 小説成分は薄め。グレブナー基底に関係のない遣り取りもなければ、グレブナー基底を下敷きにした遣り取りもない(ように見える)。対話をメインにグレブナー基底を説明しているだけのような印象。 カクヨムで続きが連載されている [1] 。続きを読んだら、また印象が変わるのかな。 あるいは数学に関する自分の素養が単に足りないだけか。 [1] 最近、妹がグレブナー基底に興味を持ち始めたのだが。(グレブナー基底大好きbot) - カクヨム

obvilion bibliophile - 本好きの下剋上 第一部I-III, 第二部II

『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~』の第一部 (I, II, III)と第2部のIの計4冊を読んだ。 すでに計9冊出ているのに、中途半端に4冊目で止まっているのは、Kindle Unlimitedで読めたのがここまでだったという即物的な理由。続き、どうしようか。小説家になろうで公開されているのを読もうか [1] 、ここまで書籍版を読んだのだから続きも書籍版を読もうか。文庫だったら買ってしまったように思うけれど、倍くらいの値段なのでついだったら他の文庫2冊も買えちゃうなあ、なんて考えてしまう。 というような悩みは、本シリーズの主人公マイン (というか彼女の体に転成した女子大生本須麗乃(もとすうらの))の悩みに比べたら小さなもの。なんせ、本書の舞台となる世界では本が一般に流通していない。スマホやタブレット、電子書籍端末のおかげで機会は減ったけれど、 [1] 本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~

美味しい血 - おいちぃってゆってよ。1, 2

『おいちぃってゆってよ。1』、『〃2』を読んだ。これで完結。 タイトルと表紙があざとい(1巻はチョコレートは○○○だし、2巻はママの味)。それに、ちょいちょいエロいコマも挟まるけれど、主軸となるストーリーは存外と真っ直ぐ。 主な登場人物は5人。ヒロイン・茨が、その片思い相手の星野がいて、意地が悪い恋敵さくら、茨を助ける吸血鬼ドラクロワとその妹でさくらに肩入れするキュリオ。 大筋は登場人物の関係から予想できる通り。陳腐と言えばその通りなんだけれど、ころころと表情を変える茨がその絵柄と相まって、とてもかわいくてつい彼女に肩入れしてしまう。

疑い始め - 福家警部補の挨拶

『福家警部補の挨拶』を読んだ。本書は次の4篇からなる短篇集。 最後の一冊 オッカムの剃刀 愛情のシナリオ 月の雫 いずれも犯人の犯行シーンから始まるミステリィ。『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』と同じ形式。 派手さはないけれど、どの作品もキッチリ組まれていて隙がない。隙がなさすぎて、もう少し煙幕を張ってもいいんじゃないかと思うくらい。それくらい無駄な文章がない。ミステリィによくある仮説を挙げては捨てる遣り取りさえない (はず)。 解決の段になって、すべての記述がパズルのようにまとまっていく瞬間が心地よい。ない知恵を絞って全体象がどうなるか想像しながら読むのだけれど、いかに多くを取りこぼしていることか。 それから最後のお楽しみが、この種のミステリィには待っている。それは最後の最後に探偵 (本書で言うと福家警部補) がいつから、犯人の目星をつけていたか明かされるシーン。自分は特に『オッカムの剃刀』で驚かされた。

狡兎 - ボーパルバニー1, 2

『ボーパルバニー』、『〃2』を読んだ。 タイトルはゲーム「Wizardry」に登場する同名のモンスターに由来する(それはさらに"Monty Python The Holy Grail"に着想を得ているようだ [1] )。 ピカレスク小説に近い印象。つまり、登場人物は例外なくロクデナシで、物語は血に塗れている。ロックのいない 〈ブラック・ラグーン〉シリーズ と言ったところ。 いつ誰が誰に殺されてもおかしくないスリルと、各人の思惑が交錯し誰の願いも叶わない破滅へと突き進む屈折したロマンが堪能できる。 表紙に描かれたバニーガールの可憐さにダマされてはいけない (手放しで薦められる小説ではないので、そう言っておく)。 [1] Rabbit of Caerbannog - Wikipedia (出典不明確)

批評必要? - ゲンロン4

『ゲンロン4』を読んだ。読むに至った経緯や読みながらの感想については、Togetterにまとめた [1] 。このエントリィでは、特集「現代日本の批評III」の直前に置かれた「批評という病」を主に参照しつつ、自分がどんな「批評」をいつ読みたいのか書いてみる。 「批評という病」では、「批評」という言葉が二つの意味で使われている。 一つ目は、文字通りの意味での「批評」。孫引きになってしまうけれど、こうある。 批評とはなにか。それは本来はたいしてむずかしい問いではない。手元の辞書によれば、それは「物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること」を意味する言葉に過ぎない(『大辞泉』第二版)。 二つ目は「批評という病」。こちらはこの文章で使われている独自の用語。表面的には哲学エッセイだけれどそこに分類すべきではないと書かれている。 それはおそらくは、日本以外では哲学的エッセイと呼ばれ、哲学に分類されるタイプの文章である。 批評という病の本質は、ほんとうは、それが作品分析なのか「理論」なのか、倫理なのか存在論なのか、政治なのか文学なのか、読み手はもちろんのこと、原理的には書き手にすらわからない、そのような混乱の経験にあるのだ。 自分が「批評」と聞いて期待するのは、文字通りの意味での「批評」の方。批評対象の評価はもちろん、書き手の評価軸もきっちり書かれているとうれしい。星の数と申し訳程度に二言三言の感想が書かれているだけだと、数があってもどこか物足りない。反対に、自分が見落としたり見過ごしていたりしていた部分への解説だったり、自分にはない観点だったりが述べられていると申し分ない。長文でも音楽批評でありがちな、評価観点がよくわからない文章は苦手 [2] 。 自分は、そういう批評を批評対象を体験した後に探す。その理由は大きく二つある。 第一に自分の評価結果と比べるため。そうすると、自分の評価軸を明確にできる。加えて、批評の書き手のような見方をするには自分には何が足りないかが見えてくる。 第二にネタバレを避けるため。詳しく批評しようとするとネタバレが避けられない作品もある。 要するに、評価対象をできるだけ楽しみたいのだ。言ってしまえば、自分は、批評に「もう1回、体験したい!!」と思わせてもらいたい。映画評論家・町山智浩さんがソムリエに喩えてい

so lamb me me - 音とことばのふしぎな世界

『音とことばのふしぎな世界――メイド声から英語の達人まで』を読んだ。 音声学についての入門書で、章構成は次の通り。 第1章 「マル」と「ミル」はどちらが大きい?―音象徴 第2章 「あかさたな」とサンスクリット研究―音声学のはじまり 第3章 世界中のことばを記録する方法―記述音声学 第4章 音を目で見る―調音音声学 第5章 声紋分析官への道―音響音声学 第6章 ないはずの音が聞こえる日本人―知覚音声学 第7章 社会との接点を目指して―福祉音声学 音声学という切り口から、いろいろな題材を――サブタイトルにあるメイド声、メイドの名前、日本語ラップ、それから顔文字まで――扱っている。こういう興味を惹く話題を散りばめつつ、音声学自体も丁寧に説明してくれている良書だった。音声や動画が 音とことばのふしぎな世界 - 岩波書店 の「この本の内容」で公開されている。実際に聴いて確かめることができるのが嬉しい。 個人的におもしろかったのは、第1章の音象徴と第6章の知覚音声学。 音象徴の話は哲学にもつながっていく。ソシュールの名前は出てきたときに、デイヴィッドソンの根本的解釈の話を思いだした。全く未知の言語を人はどう解釈するか、というような話。 知覚音声学は、人間の聞こえ方の問題だから、口や喉だけではなくて、耳さらには脳も相手にする必要がある。いわゆる ボカロ耳 がどういう現象なのか知りたい。あと空耳アワーも。

社会と病 - 天久鷹央の推理カルテIV

『天久鷹央の推理カルテIV―悲恋のシンドローム―』を読んだ。 収録内容は次の通り。 プロローグ 迷い込んだ呪い ゴミに眠る宝 瞬間移動した女 エピローグ 「瞬間移動した女」がほろ苦さが染みる。社会と病とアイデンティティーの問題は、殺人事件と違って真相が解き明かされて犯人が逮捕されるようなことがない。 という真面目なことも考えつつ、天久先生が小鳥遊先生を頼り始めたのも気になるところ。天久先生は、どんな気持ちで小鳥遊先生に託したんだろうなぁ。

think philosophically - いま世界の哲学者が考えていること

「『いま世界の哲学者が考えていること』を読んだ。そして、考えている。今、俺は、世界の哲学者と同じ問題について考えていると言って過言ではない」 「下手の考え休みに似たりですよ、双司君」 「だからといって、考えなくていい問題じゃないよね。これらの問題は」 第1章 世界の哲学者は今、何を考えているのか 第2章 IT革命は人類に何をもたらすのか 第3章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか 第4章 資本主義は21世紀でも通用するのか 第5章 人類が宗教を捨てることはありえないのか 第6章 人類は地球を守らなくてはいけないのか 「避けては通れないものばかりですね」 「うん。それは否定できない。でも、これらの問題をピックアップした理由が、これだけの説明しかないのはちょっと残念」 この分類は便宜的に設定したものですが、現代の状況を見渡すのに有効だと思います。 「そこから議論し出すと、壮大に何も始まらないからじゃないですかね……」 「もう一つ残念なことがあって」 「何ですか?」 「せっかく第1章でポストモダン以降の哲学について紹介しているのに、第2章以降ほとんど登場しないんだよね」 実在論的転回 メディア・技術論的転回 自然主義的転回 「それはちょっとがっかりしちゃいますね」 「第2章以降もそれはそれでおもしろかったからいいっちゃあいいんだけれど、ちょっとモヤモヤする」 「おもしろかったのならいいじゃないですか」 ※2020/09/08追記 軽く読み返していて思い出した。p.36-37で「言語構築主義」の考え方を代表するものとして「ジャック・デリダの「テクストの外には何もない」(『グラマトロジーについて』)がしばしば引用されます」と書かれているけれど、デリダのこの言葉は言語構築主義的な主張ではない。<a href="https://mirahalibrary.blogspot.com/2018/05/warum-es-die-welt-nicht-gibt.html">『なぜ世界は存在しないのか』</a>の感想にも書いたとおり。

K - ケイ from フルチャージ!! 家電ちゃん

『フルチャージ!! 家電ちゃん』からケイ。 描いてて思ったけれど、『機動戦艦ナデシコ』のルリルリっぽいな。いろいろな意味で。

会えば会うほど - 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?#03

『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?#03』を読んだ。 巻が進むにつれ、だんだんとフェオドールに肩入れするようになっている自分に気がつく。前シリーズの主人公ヴィレムとは対称的に、ひねくれていた彼だけれど本巻で一つ転機が訪れ、憑物が落ちたようになる。 そして、そのフェオドールの影響か、 黄金妖精 ( レプラカーン ) <\rp> らしからぬ屈折を見せるティアット。彼女のあの台詞。幾重もの意味が読み取れて、堪らない。 正直、#02では物足りなさを感じていたけれど、ここに来て急激に本シリーズとしての魅力が増してきた。続きが今から楽しみ。

調べて実験、調べを実演 - クモの糸でバイオリン

『クモの糸でバイオリン』を読んだ。 短いながらも、熱のこもった一冊だった。クモの糸について調べることウン十年。ヴァイオリンの弦を作っちゃって、しかも比較評価結果がおもしろくて、束にして捩ったときの発見もあって、論文がトップジャーナルにも載るという、それはもう盛りだくさんの内容だった。 クモの糸でヴァイオリンの弦を作って、通常の弦と比較してみたら、倍音成分が多くかつ強いという結果が得られたという。ざっくりいうと、音色が豊かだったということ。周波数成分と音の聞こえ方の関係については、 『響きの科学』 が詳しい。 束にして捩ると、六角形に変形し高密度になるという発見も面白い。互いに接する面積が大きくなり、摩擦が強く働くなるという。ワイヤロープの構造を思い出す。気になって調べた中で、おもしろかったサイトは次の3つ。 ワイヤロープ(ワイヤーロープ)の概要 | 東京製綱 おさらいワイヤロープ 瀬戸大橋:まるごと体感「瀬戸大橋」見て・きいて 新鮮な感動を-JB本四高速- 余談だけれど、コラムでグァルネリ・デル・ジェスの名前が登場した。先日読んだばかりの 『ヴァイオリン職人の推理と探求』 で知った名前。こういうつながりに気がつくと嬉しくなる。

Cock-a-doodle-doo

「あけました。おめでとうございます」 「あけましておめでとうございます」 「今年は酉年やね」 「夜明けを告げてくれるので、初日の出にピッタリですね」 「というわけで日の出の時間に予約投稿してみたよ」 「起きる気ありませんね……」 「寝正月万歳!!」