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浮かばない泡 - ブギーポップ・ビューティフル パニックキュート帝王学

『ブギーポップ・ビューティフル パニックキュート帝王学』を読んだ。 主な登場人物は末真和子。それから、カレイドスコープやオキシジェ帝王=エンペラーと言えば、『螺旋のエンペロイダー』を連想するけれど、〈エンペロイダー〉というキーワードが出てくるくらい。才牙兄妹が登場したりはしない。ンのセリフが多いのも珍しい気がする。 ◆ 『螺旋のエンペロイダー』ほど明確ではないにしろ、帝王あるいは王の話題はたびたび出てきているように思う。本書には末真和子を評するこんなセリフがあるけれど、王と民衆について『殺竜事件』でも似たような話があった。 「なあ末真博士――君は他人のことをわからないというが、しかしその他人の方は君のことをまったくわかろうとしないだろう? 割合で言ったら、君の方があきらかに、彼らのことを理解していて、そしてかなりの確率で、彼らは君が把握しているよりも、彼ら自身のことを知らないんだ。(以下略)」 言われてみればそんな気がしつつも、「自分のことは自分が一番よくわかっている」と思うことも、「自分を客観的に理解できると考えられない」とか「○○(自分以外のだれか)のことは自分が一番よくわかっている」とも思っていたりもするわけで、言葉遊びの感がなくもない。 自分の内面は自分にしか知る由がないのだけれど、同時に自分が他人からどう思われているかを知る由もないわけで、そこは本人の言動や周りの評判から推し量るしかない。まあ、そのあたりは、AからBはXに見えているけれど、Bの言動からはB自身はYと思われたいとAには見て取れるので、ほどほどに合わせたりとかする(逆も同様)のがお互いのためだろう。 自己一貫性があると信じられる。少なくとも四六時中自己矛盾に悩むことがない。それくらいは安定していないと、心が千々に乱れたままになってしまう。 ◆ 『殺竜事件』では自分と他人ではなくて、王と民衆という形で、支配者が被支配者を知っているほどには、被支配者は支配者を知らないみたいな話だったと記憶している。これは王に限らない気もする。民主主義でも、選挙対策はどんどん高度化している=投票者は細かく分析されているけれど、投票者は立候補者の情報を知らされるばかりで自分が何を知ればよいのかさえ考えたり考えなかったりだよなあ、と。ああ、でも直接民主性だとまたちょっと違うか。 ...

rabbit bite - ブギーポップ・ダウトフル 不可抗力のラビット・ラン

『ブギーポップ・ダウトフル 不可抗力のラビット・ラン』を読んだ。 本作で中心となる人物は二人。統和機構のレイン・オン・フライディこと九連内朱巳と、霧間凪をサポートしている羽原健太郎。 九連内朱巳の立てた計画が、目論見を越えて彼女に思わぬ衝撃 を与えたり、目論見ではなく統和機構に認めさせるための建前の目的まで達成してしまったり、とままならない。 ままならないのは、羽原健太郎も同じで、彼女の計画と知らず探りを入れていくうちに、建前の目的が達成されてしまった結果に、否応なしに巻き込まれてしまう。 このままならなさ、その発端のしょうもなさ/どうしようもなさ、解決の身も蓋もなさ。これらが好きでこのシリーズを読んでいるのだなあ、と改めて実感した。

上がっているのか下がっているのか - 螺旋のエンペロイダー Spin4.

『螺旋のエンペロイダー Spin4.』を読んだ。これにて本シリーズは完結。 なのだけれど、才牙虚宇介はこのあともどこかで登場しそう。このシリーズ、〈ビートのディシプリン〉や〈ワルプルギスの後悔〉と似た位置付けに見える。あるいは、登場して欲しい、という希望がある。ただ、最終的にあの○○○○○○○さえ相手にならない地点まで到達してしまっているので、手に余りそうだけれど。 皇帝もどき(エンペロイダー)でも皇帝でも王でも支配者でも、呼び方はどうあれ、最上位の地位にいるって、どんな気分なんだろう。階級構造がピラミッド状なら、地位が向上すればするほど、同じ立場の人が減っていくわけで、最上ともなるとただ一人。 ある種の人でなしさが必要そうだという話は聞くけれど [1] 。 [1] 企業経営者には強いサイコパス気質がある | 読書 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

誰がためにHow Many - ブギーポップ・アンチテーゼ オルタナティヴ・エゴの乱逆

「『ブギーポップ・アンチテーゼ オルタナティヴ・エゴの乱逆』を読んだよ」 「浮かない顔ですね」 「詰まらなくはないんだけれど、惰性で読んでいる気がしてきちゃって」 「同じ作者さんの『無傷姫事件』はとてもよかったって言っていたじゃないですか」 「だからこそかもしれない。〈事件〉シリーズや〈螺旋のエンペロイダー〉シリーズを読むために読んでいる気になる」 「それだと作業感が出てきちゃいますね」 「登場人物が多かったりなんだりで、シリーズとしてのつながりを追い切れなくなっちゃっているしなぁ……」 「でも、そういうリンクがシリーズものの魅力じゃありません?」 「そちらが重心みたいになってくるとちょっとなぁ」 「そちらを重点を置いて読んでいるだけじゃ」 「言われてみればそうかもしれないなあ。次はちょっと視点を変えて読んでみようかなぁ」

螺旋の乱世 - 螺旋のエンペロイダー Spin3.

『螺旋のエンペロイダー Spin3.』を読んだ。 気がつけばもう3冊目。『ビートのディシプリン』も『ヴァルプルギスの後悔』も全4冊だから、このシリーズもそろそろ終盤に差し掛かってきたんだろうか。 そう考えたのも、主人公・才牙虚宇介の能力が引きずり出されたりして、物語は進んだ気がしたから。その妹・才牙そらはまだ謎を秘めたままなので、最後は虚宇介とそらの話で締め括られそう。 と思わせておいて、最後には彼 や彼女 がチラリと登場して、風呂敷が広げられた気配が漂う。油断ならない。

疼く無傷 - 無傷姫事件

『無傷姫事件』を読んだ。〈事件〉シリーズの6作目。 タイトルの「無傷」からは、世界最強の防御魔法に守られているムガンドゥ3世を思い出した。そこからムガンドゥ一族が支配する海賊を舞台にした『海賊島事件』を連想した。 読み進めてしばらくすると、無傷姫とオリセ・クォルトの関係が明らかになり、『紫骸城事件』を思い出す。オリセ・クォルトと言えば、紫骸城の主である魔女リ・カーズの宿敵である。 さらにページを捲ると〈無傷姫〉が代替わりしていく。その過程で初代が〈無傷〉たる所以は失われてしまい、象徴的な称号となってしまうのだけれど、どの無傷姫も称号への期待や責任を背負ってそれぞれの生き方で国――カラ・カリヤを守ろうとする。 繰り広げられていたのは、4人の無傷姫の物語であり、彼女達が治めたカラ・カリヤという国の興亡史だった。このシリーズだけでなく、〈ブギーポップ〉シリーズなどを含めてみても、今までにない広がり方だったと思う。 それでいて、読み終えた時には『殺竜事件』の時と似た感慨を抱いていた。強くて、優しくて、けれど甘くない。 ところで、 公式ページ を見ると、次巻『奇帝国事件』が予告されている。いつ出るのかな? その前に短篇集の 『彼方に竜がいるならば』 か。

白い空 - ドラゴンフライの空 ギニョールアイの城【復☆電書】

『ドラゴンフライの空 ギニョールアイの城【復☆電書】』を読んだ。〈ブギーポップ〉シリーズと〈事件〉シリーズが交錯する短編2編からなる電書書籍。短編2編だけなのが、電書書籍ならではだ。 『ドラゴンフライの空』は『殺竜事件』と、『ギニョールアイの城』は『紫骸城事件』とそれぞれ繋がっている。〈ブギーポップ〉シリーズとの繋がりは弱い。読んでいなくても気にならないくらい。 乱暴にまとめると、どちらも何で生きているんだっけ? という話だった。よく分からないまま何となく生きているのと、運命だか何だかに選ばれてそのためだけに生きているのと、どっちがマシなんだろうか。 自分は何となく生きていきたいなー。頑張って朝起きて仕事してあれやこれやしてとかそういう何となくできないことが沢山あるから、難しいけれど。 そういうあれやこれやを使命と思えれば、それはそれで楽しそうだけれど、自分には合わないだろうなあ。すぐに疑問に思う性格なので。疑問に捕らわれて進まないよりは進めた方がずっと前向きなんだろうけれど、それが苦手。 何で生きているのかっていうか何で死んでないのかが不思議だよなぁ。

The Dminant Subjects - ブギーポップ・チェンジリング

『ブギーポップ・チェンジリング 溶暗のデカダント・ブラック』を読んだ。 支配しているように見える側が、実は支配されているように見える側に支配されているという趣旨の文があって、 『殺竜事件』 でも同じような事が述べられていたのを思い出した。 支配するためには対象を理解しなければならない。逆に支配される側は支配する側を理解しなくてよい。もっと言えば、する必要がない。あるいは、できないのかもしれない。そんな話だったと記憶している。確かにそういう状態なら、より心を砕いているのは支配者の方になる。支配者は孤独だ。 ただ、支配者の目的が、後先を考える必要が無い目的なら、例えば支配対象を巻き添えにした自滅なら、騙し討ちでも何でも一時でも支配権を握れば達成できてしまいそう。何だか恐い想像だけれど。

支配者の端くれ - 螺旋のエンペロイダー Spin2.

「『螺旋のエンペロイダー Spin2.』を読んだよ。なかなか謎が減らない」 「まだ2巻じゃないですか」 「それもそうか。ところで、シリーズを貫くテーマであろう〈支配〉について少し考えたんだけれどさ」 「休んでいたんですね」 「下手の考えなのは否定しないが」 「茶化しておいてなんですが、どう考えたんですが?」 「支配欲って安心への欲望が行き着いた先なのかもね。他者が思い通りになるなら、害されることもない」 「もうちょっとアグレッシブじゃないですか? 積極的に自分の利になる行動を取らせることもできるんですから」 「自分一人の行動でさえ、悩んだり失敗したりするのに、他人の行動まで考えたくないよー」 「それはただの面倒臭がりでは?」 「そうかもねー」

支配の廃止

「『螺旋のエンペロイダー Spin1』を読んだよ」 「〈ブギーポップ〉シリーズの方の新作ですね」 「これも同じ世界での話だったよ」 「舞台が〈MPLS〉の養成機関ですもんね」 「でもそれだけじゃなくて、〈枢機王〉なんて単語も出てくるし、主人公〈才牙虚宇介〉なんて、ナイトウォッチ三部作を思い出さずにはいられない」 「その上、妹さんは〈そら〉さんですしね。やっぱり〈虚空牙〉と関係あるんでしょうか?」 「どうなんだろうね。いつか全容が明かされると嬉しいな」 「ですね」 「ところで〈支配〉ってなんだろうね? きっと、このシリーズのキーワードなんだろうけれど」 「なんですか、藪から棒に」 「うーん。確か、『殺竜事件』だったんだと思うんだけれど、支配している者こそかえって支配されているみたいな件があって、ずっと引っかかっていて」 「どういうことですか?」 「支配する側って支配される側を理解――少なくともコントロールしないといけないわけじゃん。逆に支配される側は支配する側に文句垂れてりゃ、溜飲が下がるわけで。主観的に自由なのはどっちなんだか、と言うような」 「主観という言及があるので、その疑問への一般的な解はないんじゃないでしょうか。ともあれ、双司君は、最近その辺り気にしていますよね。〈境界線上のホライゾン〉シリーズの王の話とか、〈ドリフターズ〉シリーズの王の話とか。リーダーの逆の『フォロワーシップ』とか」 「うん。コンプレックスなのかもね。リーダーになりたいとは思わない一方で、よくあるリーダー観には疑問を覚えているし。かっこいいと思うのは、戦隊でいうとブルーだったり、アンデルセン神父のいうところの〈銃剣〉だったりするし」 「アーカード伯爵じゃないんですね。意外」 「あれは化け物だからね。魅力的だけれど、かっこいいと思う対象とはまた違う」 「そんなものですか」 「感覚的なものだけれどね。そう言えば、〈優しい独裁者〉なんて言葉もあるね。それになった人が支配できるんじゃなくて、コントロールできる人を結果的にそう呼んでいるだけなのかもしれないけれど」

木々の音、ピコ

「『コギトピノキオの遠隔思考』を読んだよ」 「ソウルドロップシリーズももうこれで7作目ですね」 「本作は過去編だったよ。伊佐が調査員に、千条がロボット探偵になったときの話」 「じゃあ大きな進展はなかったわけですね」 「うん。それは過去編の制約だよね。未来が分かっているから、意外な人物が死亡したり、物語の根幹に関わる謎が明かされたりはしない。だからというわけじゃないけれど、あとがきがいつになく面白かった」 「何の話だったんですか?」 「調子が悪いときの話。ここ最近は調子がいまいちだったから、あぁ、そんなもんだよなぁって納得してしまった」 「どんなもんだったんですか?」 「こんなもん」 おそらく、残念ながら――というしかないのだろう。悪くなってしまった調子は戻らない。戻ったとしても手遅れなのだからどうせ意味も無い。 「酷くネガティブですね」 「こんなもんだよ、少なくとも俺は。戻すことはあまり考えない」 「じゃあ、何を考えているんですか?」 「〈良かった昔〉を過大評価しているだけで、端から見たらすっかり戻っているんだけれど、調子が悪いと思っているの自分だけじゃないか、とか」 「何だか自分を誤魔化しているような」 「調子が悪いんじゃなくて、調子が変わっただけであって、これはこれで悪くないんじゃないか、とか」 「ますます誤魔化しが強くなっていませんか?」 「まー、ダメなときは何やってもダメだよねー。さて、この状況を撤退戦と考えると、どうやって被害を最小化しようか、とか」 「今度はさっぱりと割り切りましたね」 「主観的に調子が悪くて悩んでいるくらいなら、そんなもんでいいよ。それに、調子が良いからって良いことばかりじゃないよ? もう絶好調、これは完璧だぜーってときは他人には大して評価されなくて、逆にまだまだ納得しきってないけれどうーんってときが評価されたりするやん?」 「そういうことはありますけれど」 「他人の評価だけでふらふら左右されるのも、それはそれで問題だけれど、端からは何の問題もないのに、自分だけ悩んでいるのもバカみたいじゃない?」 「それはそうですけれど」 「何がキッカケで抜けられるかも分かんないしな。逆どんなに努力しても裏目に出ることも」 「それでも、調子がいいと、気分いいじゃないですか」 「それは違いない。けれどまぁ常に...

回頭の解答

「『戦車のような彼女たち』を読んだよ」 「もう ツイート済みのネタ はいいですから」 「先手を取って潰しにきやがった」 「それで、どうでした?」 「完全にブギーポップシリーズの外伝だったよ。出版社が違うから、もう少しゆるい繋がりかと思っていたので、意外」 「ブギーポップシリーズは電撃文庫で、講談社ノベルスは事件シリーズですからね」 「そう言えば、事件シリーズ、そろそろ続き出ないかなぁ」 「話を戻しますけれど、本書はどうだったんですか?」 「映画『バトルシップ』( 感想 )を思い出した。戦車と同じように、戦艦も時代遅れだったよなぁ、そう言えば、と」 「そう意味では、本書のメインテーマ『一目惚れ』も時代遅れといえばそうですよね」 「そう、これは一目惚れの話よ。陳腐で俗っぽい、おもちゃみたいに幼稚な連中が如何にして、突発的な気持ちに振り回されて、何を押しつけられて、何を捨てさせられるかっていう、そういう話――」 「何となくだけれど、一目惚れは今でもあるんじゃないかな。ただそれが一目惚れとは認識されないまま、いつの間にか後付けの理由でコーディングされているだけで」

どちらも魔女

『ヴァルプルギスの後悔〈Fire4.〉』を読んだ。 本巻でこのシリーズは完結。魔女どうしの争いもこれで一応の決着を見る。 「魔女」ってなんだったんだろう? 著者自身があとがきで書いているけれど、それとは別に考えている。 もう少し正確に言うと、「魔女にとっての世界」ってなんだったんだろう? と考えている。 過去も未来も一望できる俯瞰認識者 (オーバースケール) で、ほとんど万能に見える能力を持っていて、でも関心は唯一対立するもう一人の魔女だけ。 案外そんなものなのかな。想像の域を出ないのか、想像の域を超えているのか、それさえも分からないけれど。

紫煙の深淵

『恥知らずのパープルヘイズ』を読んだ。これは面白い。上遠野作品らしくもありジョジョシリーズらしくもある。 思えば、上遠野作品で見られるMPLSどうしの戦闘は、スタンドどうしの戦闘と通じるものがある。一見、隙がなさそうな能力に、戦闘に向いていなさそうな能力が、使い方や相性次第で優劣がひっくり返ったりするところなんか特に。 そういうところとは別に、上遠野作品によくある何か悟ってしまう瞬間と、ジョジョシリーズのテーマである人間賛歌も、噛み合っていたように思う。 第5部を読み返したくなってきた。

トリックに取り付く

『アウトギャップの無限試算』を読んだ。 本作は手品論にも見える。 『彩紋家事件』 を思い出す。 自分は、手品を見るのが好き。トリックについて想像は巡らすけれど、見破りたいとかやってみたいとかう気持ちはあまりない。 大学時代に奇術研究会に友人がいたせいかもしれない。長時間に渡って練習を重ねていると聞いていたし練習台にもなったから、間接的ながら、漠然と想像していたよりずっと地道なんだと感じた記憶がある。 あるいは、単純にそんな躍起になるより気軽に楽しみたいというだけ。楽しんだ方が楽しい(同語反復)。

Q&Q

『私と悪魔の100の問答』 を読んだ。 タイトルに「問答」とあるけれど、常に答えがあるとは限らない。 問いがあれば答えがあると思うのは、素直に過ぎる。 本書を読んでいると、思考は、「常識」とか「空気」とか「規範」とか「当たり前」とかそういう類のものに、随分制約されているなぁと思う。 それも、理由も根拠も必然性もないのに、誰に強制されるでもなく、自ら学習して課していると思う。 いちいち考え込んでいたら、生きていけないという理由はあるかもしれない。

contd

『ブギーポップ・アンノウン』 を読んだ。 偶然だけれど、最近読んだ 『死ねばいいのに』 ( 感想 )や 『自殺うさぎの本』 ( 感想 )と同じく、生き死にについて書いている。 「人間の究極の願望は、実はもう叶ってしまている――誰でも思っている。いつでもそう考えて続けている――"生きていたい"と」 確かに、"生きていたい"とか"もう死にたい"とか考えられるということは、もう生きてしまっているということで、今まで生きていたことを今更なかったことには出来ない。 でも中には、"生きたくない"けれど"死にたくもない"という人もいて、 『生きることも死ぬこともイヤな人のための本』 なんて本もある。 どうしたもんだろうか? なんて考えている間も生き続けている。

中心はない

『ヴァルプルギスの後悔〈Fire3.〉』 を読んだ。 インターネットがあって、色んな人がブログを書いていてくれて良かったな、と思う。 この言葉、同作者の他作品のどこかで読んだはずなのだけれど、どの作品だったっけ? と疑問を持つことよくあるのだけれど、大概のことは検索すれば出てくる。 ところで検索していると、芋づる式に作品間のつながりが見えてくる。 そこで思うのは、中心的シリーズの存在を感じなくなってきたということ。 デビュー作が 『ブギーポップは笑わない』 だったため、ブギーポップシリーズを中心として見ていたけれど、ヴァルプルギスの後悔シリーズのキーワード「魔女」は、事件シリーズ(特に 『紫骸城事件』 )で詳しく語られている。 今回出てくる『奇跡使い』なんて、単発作品 『冥王と獣のダンス』 が初出らしいし。 このように見方が変わったせいか、何だか今更改めて面白くなってきた。 ところで、事件シリーズの新作はいつ出るんだろう。

Like Prime Numbers

『化け猫とめまいのスキャット―ブギーポップ・ダークリー』 を読んだ。 読んだ後、また、自由について考えた。 「無意識が抑圧しているものを意識する自由」は存在し得るだろうか。 それとも、この問いが成り立つ前提――「無意識」と「意識」とは対立した概念――が、うまくないのか。 「無意識」は、自分には違いないけれど、コントロールできないから意思としては実感できない。 しかし、「無意識」を否定することを「意思の勝利」と捉えてしまうと、抵抗が目的化して、何だか違う気がする。 そもそも目的があること自体が、不自由だ。 通過点として目標があっても良いけれど、ゴールとして目的があると、その先がなくなる。 割り切れない。 素数みたい。

Witches' Wish

『ヴァルプルギスの後悔〈Fire2.〉』 を読んだ。 前日に前作 『ヴァルプルギスの後悔〈Fire1.〉』 を読んでいたので、すんなりと話に入っていけた。 ただ、後半で「なんでここでこのキャラクターがこんな話をしているの?」と混乱した。それ以前の作品に関する記憶が曖昧だからだと思う。 検索した結果によると、『ビートのディシプリン』で描写されているらしい。 読んだはずなのに覚えていない。 ともあれ、そこはそうなっていると思って流せば、話自体は面白い。 惹句にあるとおり、ついに魔女が接触する。