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3月, 2016の投稿を表示しています

爪立てる冷たさ - Lana Del Rey/Honeymoon

Lana Del Reyの"Honeymoon"を聴いている。 Honeymoon (ハネムーン) という幸せの象徴をタイトルに冠しているけれど、聴いていると物悲しさに浸ることができる曲が並んでいる。 後ろ向きな心地よさに病みつきになりそう。甘くて冷たくくて、何かを掻きむしりたい気分。

&シガレッツ - コーヒーの科学

『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』を読んだ。予想を遙かに上回る濃さだった。コーヒーの様々な面――植物としての特徴、普及の歴史、焙煎方法・抽出方法の変遷、分析的アプローチで迫るおいしさ、健康への影響――に光が当たっている。 どの話にも好奇心を掻き立てられたけれど、覚えておこうと思ったのはやっぱり淹れ方に関する話。 お湯の注ぎ方で味が変わるのは経験則として知っていたけれど、その理論モデルが紹介されていたのが目から鱗だった。それから、茶こしやふるいにかけて、微粉を取り除くのは試してみようと思っている。どうやると美味しく淹れられるか、よく言われていることは調べてはいたけれど、理論的背景があるとないとでは納得感が違う。 なお、「草稿を大幅にカット」してこれらしい。草稿読んでみたいなぁ……。

サキュバスは先走る - 亜人ちゃんは語りたい (3)

「『亜人(デミ)ちゃんは語りたい (3)』読んだー」 「ひかりちゃん、京子ちゃんときて、まさかの佐藤先生でしたね」 「表紙の話な? 確かにこの流れなら次の表紙は雪ちゃんじゃないのかよ、と」 「でも、内容的にも佐藤先生にフォーカスした話が多かったですよね」 「うん。番外編の『サキュバスさんはお休み』よかったわぁ。ポテサラ好きとしては見逃せない」 「双司君、ポテサラ好きですよね……。友人さんのところで家飲みしたときに、みなさんのそんなに食べないという意見を無視して買った業務用の、食い尽くしたって聞いたんですけれど」 「大分盛られている気がするぞ。みんなも食べてたよ? 一番たくさん食べた感は否めないが」 「へぇ、そうなんですね。ところで――」 「流すなし!!」

フェブラリーステータス - 暗殺教室18

「『暗殺教室18』を読んだよ。前巻の最後で宇宙進出したと思ったら、あっと言う間に帰ってきた」 「だんだんと卒業が近づいていますからね」 「バレンタインデーも過ぎたから、あと1ヶ月半もないってことだよね」 「来月に出る次の19巻が最終巻になるようですね」 「作中時間の卒業が、ジャンプでは3月、コミックスでも卒業直後の4月頭というのが心憎いよなぁ」 「季節感ぴったりですね」

魔法のまほろば - 魔法の世紀

『魔法の世紀』を読んだ。研究者でありメディアアーティストである著者が、その研究成果・アートの位置付けやコンセプト、それから目指すところを書いている。 第5章「コンピュテーショナル・フィールド」とそれを受けての第6章「デジタルネイチャー」が刺激的だった。第5章では = 物体も情報も一元的に記述できる場の記述が導入される。第6章では、物体を情報的に制御する次の2種類のアプローチが紹介されている。 デジタル処理されたアナログな物質 アナログな物質を変化させるデジタル計算機 確かに〈魔法〉を使えるようになるには、このどちらかだと思う。つまり、人間が魔法の世界に入っていくか、人間の世界を魔法の世界にするか、だ。前者は、人間の意識(アナログな物質が計算する情報)がデジタル処理(アップロード)されて魔法の世界(プログラマブルな仮想世界)に移動(あるいは複製)されるイメージ。後者はよく分かってないんだけれど、何だかワクワクさせてくれる。 コンピュテーショナルフィールドで物体と情報を一元的にを記述できて、情報をデジタル処理してアナログな物質が変えられるようになるとしたら、それって『ウィザーズ・ブレイン』とか『されど罪人は竜と踊る』、『レターズ/ヴァニシング』の世界だ!! と思ってしまって。 という夢のある話だけじゃなくて、身近なところでは次の指摘が最近の自分が悩んでいることのヒントになりそう。 古典的にはゲームやイベントなど人の動きに関わるような分野でノウハウとして溜まっているようなものが、今世紀もっと一般的なデザインへと流れ込んでくるのではないかと考えられます。 エンドユーザやオペレータの動きまで含めたシステム全体としてのデザインってこの辺りにつながりそうだなぁ、とか。各ユーザの使うUIの洗練とか、ネットワークを介したユーザどうしのコミュニケーションとか、ゲームの得意分野だろうなぁ、とか。そう言えばゲーミフィケーションって耳にしなくなったなぁ、と。

交渉こうしよう - ハーバード流交渉術

『ハーバード流交渉術』を読んだ。最近、交渉めいたやりとりをよくするのだけれど苦手意識が強いので、多少なりとも払拭できればと思って。 ポイントは、コミュニケーションの際にないまぜになりがちな下記を切り離して、後者にフォーカスすること。 人間関係の問題と実質的な問題を切り離す。 立場と利害を切り離す。 意地の張り合いと、合意へ向けての共同探求を切り離す。 こうして見ると、立場と人間関係を慮って内輪でようやく同意できた一案を対外的にも通そうとするのは、とても筋が悪いのだろうな、と思わされる。 一方で、交渉は相手あってのものだからこんな風にうまくいくわけないんじゃない? とも思う。この手のよくある疑問に、著者は最後の3章で答えている。 その答えが今の自分の答えになっているかどうかは分からないけれど、ちょっとずつ試してみたりしてみるかー。一人であれこれ考え込んでも埒が明かないことだし。

誰がためにHow Many - ブギーポップ・アンチテーゼ オルタナティヴ・エゴの乱逆

「『ブギーポップ・アンチテーゼ オルタナティヴ・エゴの乱逆』を読んだよ」 「浮かない顔ですね」 「詰まらなくはないんだけれど、惰性で読んでいる気がしてきちゃって」 「同じ作者さんの『無傷姫事件』はとてもよかったって言っていたじゃないですか」 「だからこそかもしれない。〈事件〉シリーズや〈螺旋のエンペロイダー〉シリーズを読むために読んでいる気になる」 「それだと作業感が出てきちゃいますね」 「登場人物が多かったりなんだりで、シリーズとしてのつながりを追い切れなくなっちゃっているしなぁ……」 「でも、そういうリンクがシリーズものの魅力じゃありません?」 「そちらが重心みたいになってくるとちょっとなぁ」 「そちらを重点を置いて読んでいるだけじゃ」 「言われてみればそうかもしれないなあ。次はちょっと視点を変えて読んでみようかなぁ」

誰を誰が見張るのか - 1984年

『1984年』を読んだ。名作古典とかクラシックと呼ばれる類のSF小説。本書に出てくる「ビッグブラザー」という名前は、全体主義化や監視社会化を警告する話でしょっちゅう言及される。 その辺りの関連性について、自分もいろいろと考えた。というか考えさせられた。今読んでも色褪せていないというか、技術の進歩でより現実味が増してきた。でも、ビッグブラザーのような権力や思想警察という組織それからテレスクリーンという監視装置がなくても、全体主義的で相互監視されるコミュニティはどんどん生まれているよなぁ、と思う。 平たくいうと、ネットDE真実、バカッターとクソリプ、それからネットワーク外部性の話。 人は確証バイアスがあるから、見たい情報ばかり見る。事実かデマかはあまり問われない。そして、需要があれば供給される(そして広告収入を得る)。『統計でウソをつく法』が示すように客観的な根拠がありそうなデマを作るのは難しくない。そりゃ、ネットDE真実が見つかるわけだ。だから、ビッグブラザーが常に正しいように情報操作しなくたって、人は自分の真実を脅かさない情報ばかり集めて、同じ真実を信じる人ばかりで集まっていく。 人には自己顕示欲があるし注意力は有限だから、わざわざ監視したりしなくても自分でボロを出してしまうと思う。明らかに違法だったり社会規範を無視した行為を自慢するバカッターは、その極端な例。バカッターに限らず、不特定多数に情報を開示している以上、自分の知らない文脈では問題視される可能性がある。そして、その可能性は自分が漠然と想像しているよりずっと高いと思う(具体的でないリスクを過小評価しがちなバイアスがある)。その一定数以上の目に触れると文脈や酷い時には誤解・曲解さらには元の内容とは無関係のクソリプが飛んでくるらしい。思想警察なんてわざわざ作らなくても、勝手にその役を買ってくれている人がいるわけだ。言葉狩りなんかもこの種の手合いだろう。 じゃあ、SNSとか使わない方がいいんじゃないかとも思うけれど、それはそれで不便だ。SNSはサービスの質とは別にユーザーが多いこと自体が大きなメリットをもたらしている(ネットワーク外部性がある)ので、肥大化傾向が避けられない。最初は相互利益をもたらしあえる小数で始まっても、規模が大きくなってくるとメリットだけを享受しようとする層が入ってくるだろ

ヨーソロー/養蜂老 - ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件 (映画)

『ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件 (原題 " Mr. Holmes")』を観てきた。 原作小説 より好みだった。同じパーツを使っていて、同じテーマを描いているけれど、物語の筋が明確になっている。何より、希望が感じられる(山椒の副作用かもしれない)。原作を好む人からみたら、味気なくなったのかもしれないけれど。 最後の事件を追う60代のホームズは期待通りの颯爽とした紳士だったし、養蜂を営む90代のホームズもリアルな老いを見せつけつつも閃きを見せてくれた。イアン・マッケランさすがの貫禄。特に90代のホームズが活躍するシーンは、原作小説ではロジャーに起こった事を解き明かすシーンくらいだったのが、中盤での真田との食事シーンや終盤でのロジャーの母親の外出先を推理して見せるシーンが追加されていた。 他にもアンの描かれ方とか真田への手紙のこととか最後の事件へのワトソンの関わり方だとか、大小様々な脚色が施されていて、物語の密度を高めている。原作を読んだ時のこのまま映画化したら眠くなるんじゃないかという心配は杞憂だった。 そして何よりラスト。予定調和だろうとご都合主義だろうと、こちらの方がよかった。やっぱり物語はハッピーエンドで終わって欲しい。これでホームズの最期はずっと穏やかなものになるんじゃないだろうか。 ここまで感想を書いてようやく気がついた。これ、雑にまとめるとホームズの終活だ(台無し感)。

老いる要る滅入る - ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件 (小説)

『ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件』を読んだ。映画を観る前に原作を読んでおこうと思って。 原典どおり、引退して養蜂を営むホームズが登場する。しかし、隠遁生活を送る年老いたホームズの姿は、原典から受けるイメージからはかけ離れてしまっている。代名詞の一つである記憶力さえ衰えている。 老いてなお健在のホームズが颯爽と活躍する姿を多少なりとも期待していたので、「老い」という現実が突きつけられたのには、驚かされた。もっと言えば、動揺した。子供だった時分から今に至るまでずっとヒーローであるホームズの、こんな姿は見たくなかった。 それでも、しばらく読み進めるうちに、少しずつ受け入れられるようになっていった。ホームズが老いたら、確かにこうなるのかもしれない。先日読んだ、 脳の認知能力は種類によってピークに達する年代が異なるという記事 を思い出す。 このホームズを、イアン・マッケランがどう演じるのか、映画が楽しみ。反対に不安なのが脚本。と言うのも、本書はミステリィっぽさより文学っぽさが前に出ている。ホームズの述懐形式で語られていて、明らかにされないままの事実も多い。このまま映画になっていると、眠たくなってしまいそう。さて、どうなることやら。

MAD 4DX - Mad Max: Fury Road

「『マッドマックス 怒りのデス・ロード (原題 "Mad Max: Fury Road")』を4DXで観てきたぜ!! ついに4DXデビュー、V8! V8!」 「珍しいですね」 「何が?」 「双司君が同じ作品を2回、それも映画館で観るなんて」 「言われてみれば、映画館で2回は生まれて初めてかも!! 忘れていなけれりゃ」 「それくらい気に入った作品を忘れるなんてことはないと思いません?」 「それもそうだ!! 落ち着け、素数を素因数分解するんだ」 「できません」 「2回目だというのに、それくらいテンションが途切れない」 「どれくらいなのかピンと来ないのですが」 「4DXとの相性もバッチリ。ウィンブルシート (揺れるシート) がいまいちだったから食わず嫌いで敬遠していたのだけれど、4DXは楽しかった」 「4DXだと揺れるだけじゃなくて、いろいろと演出がありますよね」 「車やバイクのシーンで、エンジンの震動や風圧が感じられるのが最高だった。反対に不要に感じたのはスモーク。地味なわりにスクリーンの前に漂い続けるから、有り体に言って邪魔になっていた。でもトータルでは4DXで観てよかったよ」 「この作品はカーアクション多いですもんね」 「この作品は合っていたからよかったけれど、一時期3D映画が氾濫したみたいに4DXが氾濫しないといいのだけれど」 「対応スクリーンが少ないし設備投資もかさみそうですから、心配しているようなことにはならないんじゃないですか?」

who cre8s - ヘイトフル・エイト

クエンティン・タランティーノ監督の映画『ヘイトフル・エイト (原題 "The Hateful Eight")』を観てきた。カタカナだとうっかり『ハートフル・エイト』ってタイポして、内容とのギャップに間違えた自分で恐れおののく。ハートフルなわけあるか。 序盤の展開はちょっとまどろこっしい。長い会話シーンはこの監督の作品の特徴ではあるのだけれど、「密室ミステリー」と謳われていたら会話が始まるのは密室内で思うよね? そう思っていたら、そこに辿り着くまでが長かった。 でも、舞台となるミニーの店に着いてからは緊張感が途切れないし、殺人が起こってからは加速度的におもしろくなって、ラストにはカタルシスがある。そこまで見た上で改めて見返すと、序盤の会話にも違った景色が見えてくるのだろうなぁ、と想像できる。 ただ、3時間以上という長さが見返すのを躊躇わせてくれる。でも、ラストまでの告白を踏まえて最初からみたら想像が膨らむだろうなぁ、でもやっぱり長いよなぁ(優柔不断)。 ところで、ミニーの店をはじめ印象的な世界を作っている美術監督は種田陽平。エンドロールで見かけて記憶にひっかかったから調べて見たら、 『借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展』 の種田陽平だ。この展示でクエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』の美術監督だと知っていたはずなのに、こうして調べなおすまですっかり忘れていた。ひどい記憶力。

走る、飛ぶ、乗る、滑る、登る - X-ミッション

『X-ミッション (原題 "Point Break")』を観た。『ハートブルー (原題 "Point Break")』のリメイク作品らしい。リメイク元は未見。予告編の気合いの入ったアクションが気になって、観てみた次第。 期待通りアクションは堪能できた。長時間の尺が割り当てられていたし、バラエティにも富んでいた。バイクもスカイダイビングもサーフィンもスノーボードもロッククライミングもあるよ!! しかもCGを使っていないらしい。カット割りが細かめなのはそのためかを差し引いても恐れ入る。 脚本はカオス。アクションの尺を伸ばすための方便なんだろう。だとしても強硬だったから、次のアクションシーンまだかなぁと思って観ていた (幸いすぐアクションシーンになる)。レビューを検索して読む限りではリメイク元はまともらしいから、アクションマシマシにする過程で歪みができたのだろうか、と想像する次第。 リメイクせずに最初からアクションを魅せるための脚本を描いた方がよかったんじゃないか、と思わないでもない。そうしたらスッキリ観られたのに。

しぶとし都市 - 次の大量絶滅を人類はどう超えるか

『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』を読んだ。先日読んだ『この世界が消えたあとの科学文明の作り方』が大量絶滅後も生存するための戦術を描いていたのに対して、本書は種としての人間が生存していくための戦略を描いている。 その違いは「都市」の扱いに見て取れる。『この世界が消えたあとの科学文明の作り方』では持続可能な生活を営めないので都市を離れようと言っていた一方で、この『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』では持続可能な都市の在り方について語っている。たとえばカビや細菌を使った生体材料の話なんかが取り上げられている。 本書が揺さぶってくるのは「都市」の在り方だけではない。「人間」の在り方にまで迫ってくる。生物としての人類へのエンジニアリングや、人間を人間たらしめているであろう意識のアップロードさえにも言及される。 ここまで来るとSFの世界だけれど、出発点となりそうな技術の開発は進んでいる。人類はどこまで生存できるのだろうか。 子供時代の学校壊れないかなぁみたいな軽いノリで世界滅びないかなぁと思って読み始めたので、なんだか申し訳ない心持ち。 ここでは簡単にまとめたけれど、いろいろと読みながらツイートしたので 『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』の感想ログ - Togetterまとめ にピックアップしておいた。

prepper's high - この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた

『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』を読んだ。 本性には、世界が滅亡した後、生き延びて科学文明を再構築するために必要な知識について書かれている。世界滅亡のシナリオは、人口は激減したけれど各種の資源は使える事態を想定している。つまり「19XX年、世界は核の炎に包まれた!」というヒャッハーな世紀末は想定していない。 思いの他に原始的といわないまでも近代化以前の人力や牛馬の力に頼った――だからこそ現在では失われがちな――知識に紙幅が割かれている。映画『バトルシップ』でとうの昔に引退した戦艦ミズーリを、老兵が動かすシーンを連想した。電力網が失われても生き延びようと思うと、今この時も享受しているインターネットはもちろん、電力を消費する道具が軒並み使えなくなる事態が想定されるからだ。 印象的だったのは、都市を出た方が生存確率が上がると言っているところ。滅亡直後であればしばらくは残された物資に頼って生きていけるかもしれないけれど、それが尽きると生産手段がないため持続可能性に欠けるというようなことが書かれていた。都市に人が集まる一方で都市それ事態には人を生かす機能を欠いているということだ。この問題って日本でより顕著なんじゃないだろうか。確か、東京の都市圏の人口密度は世界有数だったはず。 本書では触れられていなかったけれど、都市を出るのはいいけれど出た先のコミュニティとの軋轢とか社会的な問題が面倒そうだなぁ。「面倒」で片付けていいのかという疑問も湧くけれど、生存本能が強くない自覚があり、生きるのが大変になったらへこたれてしまいそう。生きていく自信が皆無(というネガティブな自信に満ちあふれている)。

教えてcuriosity - 決してマネしないでください 1~3

マンガ『決してマネしないでください』の1~3巻を読んだ。 科学だけでなく、科学者についての雑学がもりだくさん。歴史に名が残されている科学者は、それはもう頭がいいのだけれど、だからといって人もいいとは限らない。時代もあるけれど、どうしようもない人もいることがわかる。 一方で、登場人物は憎めない人ばかり。やっていることはマネしたら危ないけれど、好奇心の強さは見倣いたい。

二冊目のド嬢 - バーナード嬢曰く。 1, 2

マンガ『バーナード嬢、曰く 1』と『2』を読んだ。 主人公さわ子(ド嬢)は、活字中毒ではないけれど、読書家に憧れている。だから読書をしないで読書家ぶろうとする努力に余念がない。愛読書は『使ってみたい世界の名言集』(架空の本)。言及されていないけれど、『読んでいない本について堂々と語る方法』に食いつきそう。 自分は、活字中毒の気があるけれど、読書家に憧れていない(読書家だと自認するつもりもない)。読まずにはいられないことが多いから、読書は咎められない悪癖だと思っている(「読書とは咎められない悪癖である」は名言だと思うのだけれど、どこで知ったか思い出せない)。 対極的なのに、ド嬢のセリフが分かってしまう。それがおかしくてたまらない。自分にも手にはとったものの、読み切らないままにしている本が何冊もある。それらの本に対する思いを、ド嬢は見事に代弁してくれている。 ピンチョンなんかまさにそう。って、『ドグラ・マグラ』は読んだのか‼︎ 負けた……。 落ち着け、自分。 そう、義務感に駆られて読む本って、素直に楽しめないよね? 内から読みたいという気持ちが湧き起こったときに読まなきゃね‼︎ ド嬢の友達しおりも「本は読みたいと思ったときに読まなくてはならない」って言っていることだし。 話は変わるけれど、このしおりが微笑ましい。本が好きなので最初は読書家ぶろうとしているド嬢に苛立ちを覚えているのだけれど、どんどん仲良くなっていく。 本について衒いなく話せる友は貴重。

スーさん (スガ○ヤではない) - メアリー・スー from 激突のヘクセンナハト

『激突のヘクセンナハト』からメアリー・スー。首回りの黒いの、流体でいいのかな。雰囲気で描いてしまったけれど。

稀少な宝石商の気性 - 宝石商リチャード氏の謎鑑定

『宝石商リチャード氏の謎鑑定』を読んだ。著者のデビュー作『螺旋時空のラビリンス』が面白かったので、本作もKindle版が出たのを機会に。 『螺旋時空のラビリンス』とは打って変わってライトなノリの短篇連作。雑に紹介すると宝石商版『ビブリア古書堂の事件手帳』。つまり、宝石ウンチク満載の人が日常ミステリー。と思ったけれど、少なくとも自分にとっては、宝石は日常じゃなかった。 ともあれ、気苦労が絶えないであろうリチャード氏に乾杯。見目は人並み外れて麗しいけれど、語り手正義よりよほど常識人に見えて不思議だ。探偵役っていうと偏屈な非常識人(あるいはその才能ゆえに常識を無視している人)が多いのに。

True or Farce - アンデッドガール・マーダーファルス 1

『アンデッドガール・マーダーファルス 1』を読んだ。 オールスターっぷりが小説『死者の帝国』や映画『リーグ・オブ・レジェンド』を、ファンタジー+ミステリィという組み合わせが〈事件シリーズ〉を想起させる。 大好物だ。もっとやれ!! と言うか、最後に彼 が出てきていたので、彼も登場してもっとやってくれるはず。期待させてくれる。 この巻に限っていうなら、第二章「人造人間」が好みだった。種明かしは予想できてしまったけれど、この予定調和が心地よい。何より人造人間の名前がニヤリとさせてくれる。

still thinking - 哲学な日々

哲学者のエッセイ集『哲学な日々~考えさせない時代に抗して~』を読んだ。 「43 考えさせない時代」と「44 考える技術」が印象的だった。どちらも「考える」ことがテーマ。掘り下げて書いたのが、 『はじめて考えるときのように』 にあたるのだろうか。 考える材料としては、これくらいの分量(各エッセイは見開き2ページ)が、自分に向いているのかもしれない。丸々1冊だと読んで理解しようと焦ってしまい、あまり考えずに読んでいるような気がする。おまけに、そのあとキチンと噛み砕かないままにしていることがままある。 一度くらいじっくりと時間をかけて「タチバナ氏と今井知正先生のことで立ち話」に書かれているくらいのペースで読んでみると、いい訓練になるかもしれない。一人ではできそうにないけれど……。 「今井先生のゼミって、延々と続くでしょう」 「三時間は続きます」 「その間ひたすら形而上学を読み進めるわけだ」 「でも、一回のゼミで進むのは数行で、五、六行も進むと、今日はよく進んだなあ、と」 「それを十年。なんだか、うっとりするなあ」

Load from 泥 - 皆勤の徒

SF小説『皆勤の徒』を読んだ。 自分が人類の一員だと確認できた。つまり、円城塔が「人類にはまだ早い系作家」と評するこの作者による本作は、自分には早過ぎた。 早過ぎると感じた最大の理由は、独特過ぎる語彙。読みだけは馴染み深いのに漢字表記や意味がこの世界固有のものに置き換えられているのが混乱を呼び寄せる。 さらに、それらに対する解説もない。読み進めていくうちに朧気ながら想像できるようになっていくけれど、次から次へと出てきて量に圧倒されてしまった。 たまらず先に巻末の解説を読む始末。認知負荷が重過ぎて、そうしないと読了まで耐えられそうになかった。 そうまでして読んだのは、描かれているのが、精緻なうえに他では得難い世界だから。読めば読むだけ、想像力が刺激される。分からないなりに、分かろうと解釈させられる。 できればもう少し人類に歩みよった形のものが欲しい気もする。でも、そんなことしたら味気なくなってしまうか? あんまり考えるとズブズブと沈み込んでしまいそうなので、このあたりで止めにしよう。 設定資料集『隔世遺傳』 も買ったので、そのうちあわせて読み返そう。

安楽シャーロック - シャーロック/忌まわしき花嫁

221B by Jagrap is licensed under a CC BY-NC 2.0 . 『シャーロック/忌まわしき花嫁』を観てきた。 シーズン3とシーズン4のつなぎとなる作品。でも、原作と同じヴィクトリア朝時代が舞台。それでもちゃんと一連の流れの一部。こうつなげたか、と感心した。 つなぎ方がちょっとズルい気もする。安楽椅子探偵が裸足で逃げ出してしまいそう。 このやり方なら、いつどことでもつなげられる。あるいは、やり過ぎなくらいやってくれたらそれはそれで楽しいか。

偏執edition - 天久鷹央の推理カルテIII

『天久鷹央の推理カルテIII―密室のパラノイア―』を読んだ。 ざっくりいうと、天久先生と小鳥遊先生と関係に雨が降って地が固まった。天久先生は、他人との遣り取りに免疫がついただろうか。彼女は(天才医師を相手におこがましい話だ)かわらしく見えるけれど、小鳥遊先生を媒介に周囲とやっていけるようになる前は、相当に生き辛かっただろうなぁ。 そうそう 『神酒クリニックで乾杯を』 に出ていた桜井刑事がこちらにも登場していた。そのうちクロスオーバーするのか、それともこういう薄い接点だけに留まるのか。 次は長篇『スフィアの死天使―天久鷹央の事件カルテ―』。ナンバリングを止めたのか思ったけれど、さらにその次の短篇集『天久鷹央の推理カルテIV―悲恋のシンドローム―』が出ている。タイトルや長篇/短篇集の形式の差異を鑑みるに、短篇集は「推理カルテ」で長篇は「事件カルテ」で、それぞれナンバリングされていくのかな。

一夏の - 夏を殺す少女

『夏を殺す少女』を読んだ。良作ミステリィだった。 二人の主役を配した構成がうまくて、ついついページをめくってしまう。最初は刑事ヴァルターと弁護士エヴェリーンがそれぞれの事件を追っているのだけれど、読み進めるとそれらが徐々につながりを見せてくる。そして最後には期待通り交差してくれる。しばしば見かける構成だけれど、やはり引き込まれる。 主役だけでなくサブキャラクタも含めてみんな魅力的だったこともあり、楽しませてもらえた。ヴァルターにもエヴァリーンにももう少し慎重になって欲しい気もするけれども。

さらば火星よ - オデッセイ

Mars Gets PhotoBombed! - Full Lunar Eclipse - Explore #1 4/16/14 by Linda Tanner is licensed under a CC BY-NC-ND 2.0 . 映画『オデッセイ (原題 "The Martian")』を観てきた。先日読んだSF小説 『火星の人』 が原作。 原作で見られた科学ウンチクが端折られていたのを残念に思う。一方で、貴重な尺を費やしてまで解説されていたとしら、退屈だったろうなとも思う。面倒臭いな、自分。 反対に映画化されてよかったことも。居住設備ハブや探査車ローバー、火星上昇機MAVが具体的なイメージとして見られたのはうれしい。漠然としたイメージが具体的になった。船長が持ち込んだディスコが聴けたのもいい演出だった。歌詞がいちいちシチュエーションを反映しているのがおかしい。原子力電池の発熱で暖を取っているところに"Hot Stuff"が流れてきたのには笑ってしまった。 どちらが好きかと言われれば、原作小説の方が好きだけれど、映画ならではの魅せ方があった。映画という映像メディアより小説という文字メディアを好んでいて小説贔屓になりがちだけれど、この映画化は幸福な出会いだ。原作にはなかったエピソードもらしかった。 というわけで作品に対しては文句はないのだけれど、邦題および日本の予告編に対して不満が……。 まず、邦題の魅力が薄い。本作に限って言えば、『火星の人』のままだと「火星人?」と疑問符とともに安っぽいイメージが浮かびそうな気もするから、変えたい気持ちも分からないでもないが、『オデッセイ』にしたところで何が伝わるのだろうか。せいぜい車が思い浮かぶくらいでは……。 それから予告編が詐欺。編集の域を逸脱している。まるでワトニーに妻子がいるかのように誤解させている ( 予告編 の1:22~1:23での繋ぎ)。日本で多くの動員が見込めそう(と少なくとも編集する側は思っている)シーンをピックアップするだけならともかく、これはやり過ぎだろう。 実際のところ、動員を増やすのはどっちなんだろうね。A/Bテストをできないのかな。たとえば、予告編を2種類用意してどちらの予告編が掲載されている紹介記事からのチケット購入

livingstone - 第19回文化庁メディア芸術祭

先日『第19回文化庁メディア芸術祭』を観てきた。 遠未来にメッセージを残すために石にメッセージを刻むアート Communication with the Future – The Petroglyphomat を見て、 QRコードで故人を偲ぶ墓石 を思い出して、非アートの方がロックだなと思う。石だけれど。 上記Wiredの記事からもリンクされている 日本のハイテク墓参り:骨壷呼び出しシステムとネット参拝 の通り、日本でもQRコードやRFIDを使った墓石があるようだ。ググるとWebお墓参りサービスも見つかる。 これらのサービスの継続性にははなはだ疑問だが、笑えない冗談でない。将来的にデータにアクセスできなくなる可能性は深刻な問題になる。『角川インターネット講座1 インターネットの基礎』では〈ビット腐れ (bir rot)〉と呼ばれていた。身近な例でいうと、思い出の写真や曲のデータを再生できなくなるリスクがあるということ。原因はいくつも考えられる。パッと思いつくだけでも、 保存しているメディアの劣化 (CD-RやSDカード類の寿命は存外短い)。デジタルデータ自体は 保存しているメディアが生きていたとしても、再生機器/アプリケーションの入手不可(今からレコードやMDの再生環境をそろえるの大変だよね?) メディア管理を抽象化するクラウドストレージサービス (Google PhotoやiCloud、One Driveなど) の終了。企業の存続年数を考えると、子々孫々まで伝えるには心許なくない? が挙がる。そう言えば、大賞を勝ち取った 50 . Shades of Grey も同じ問題を扱っている。 でも、そんな先のことなんか普段は考えないよねぇ (行動経済学では双曲割引としてモデリングされている)。そう考えると普段は落ち着いて考えると不合理な選択をしていることが、ストンと腑に落ちる。石だけに(言いたかっただけ)

遺言のジャーゴン - 掟上今日子の遺言書

『掟上今日子の遺言書』を読んだ。『掟上今日子の挑戦状』の次に出た巻。〈忘却探偵〉シリーズもこれで4冊目。 毎回、語り手が変わるのかと思っていたけれど、ここに来て1冊目と同じ隠館が語り手として戻ってきた。だからといって、今日子さんが彼のことを覚えているわけではないのだけれど。 ネタバレになるから詳しくは書かないけれど、今回の犯人の動機は分からないでもない。事件を起こしたいと思うほど強烈なシンパシーを覚えるわけではないけれど、自分も近い方向の性格のように思う。「~されたいと思わない」は「~されたい」よりは「~されたくない」に近いという程度ではあるけれど。 そして、今回も今日子さんの正体には近づけない。次巻『掟上今日子の退職願』に引っ張っているように見えるラストだけれど、〈物語〉シリーズの読者には周知のとおり作者の前科が余談を許さない。