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言葉の波止場 - 感情ことば選び辞典、ことばの結びつき辞典、しおりシール

このブログを書くのに、「ことば選び辞典」シリーズの『感情ことば選び辞典』と『ことばの結びつき辞典』を使い始めた。その感触と使いやすくするための一手間の話。

簡単に言うと、
  • どちらもコンパクトで使いやすい。
  • 欲を言えばもう少し薄い紙を使って、サイズを保ちつつ収録語数を増やして、なおかつ見開きで置けるようにして欲しかった。
  • 見開きで置けないのは、無印良品のしおりシールで解消できた。
ということをつらつらと。


『感情ことば選び』は、タイトルから想像できるとおり、感情を表す言葉の辞典。たとえば、「おもしろい」という見出しを引くとする。該当箇所を見ると「関心」や「興味」のような熟語とその意味が並んでいる。そのあとに、カタカナ表現とやわらかな表現の一覧もある。ただし、こちらは語句だけ。あと、見出し語によってはこのあと相互参照もついている。

10年くらいブログを書いているのでとうに貧しい語彙を使い果たしているだろうし、たとえ言葉が出てきても「以前にこの言葉を使ったときはもうちょっと違った気分だったような」と思うことがあるので、ここはひとつ辞典を引こうと思った次第。自分でも、ようやくか、と思う。オンラインの類語辞典に物足りなさを感じていたところに本屋でこれを見かけて、買って帰ってきた。

ところで、感情を表す言葉を眺めていると「感情の方が言葉に引きずられることもありそうだ」とか「ひとつの言葉にいろいろな感情を託していると言葉の輪郭が曖昧になりながら広がるのだろうか」とか、「その侵攻から逃れるために『とうとみ』や『わかりみ』のような新しい使い方が生み出されるのだろうか」とか、文脈とちっとも関係のない思考が浮かんでは消えていく。

今もこうして辞典そのものの話から逸れ続けているわけで。


無理矢理にでも話を戻すために2冊目へ。


『ことばの結びつき辞典』はコロケーション辞典。「的」は「得る」じゃなくて「射る」もの、みたいな定型句の確認に、と思って。あと、逆引き索引が巻末に付されているのも便利。「理に適う」だか「道理に適う」だったかみたいな疑問にも答えてくれる(どちらもあった)。

だいたい検索すると解説が見つかるし、それ以前に検索語としてサジェストされているのを見て思い出したりするのだけれど、解説は長過ぎることが多いしサジェストは誤用が含まれないとも限らないしで小さなストレスが積み重なるので紙の辞典に戻ってきた。

解説記事もサジェストもないときは、何パターンか検索語として入力して検索結果数を比べたりもしていたけれど、Googleが検索語を外すケースが出てきたのでそういう使い方がしにくくなったのも、遠因。あと、日本語コロケーションのオンライン辞典にいいの見つからないし。

気になり始めるとどうにも落ち着かなくなる性分なので、こういうのがあった方が精神衛生上好ましいことがわかった。


使いにくさもこのサイズと紙に起因しているように思う。薄くて紙がやや厚いので分厚い辞典と違って開いたまま置いておけない。というわけで、唐突に閃いて無印良品のしおりシールを導入。


こんな感じに表紙と背の隙間に貼って使っている(辞書を使い始めたという記事なのに写真で済ませる)。薄さに合わせてシール部分を少しカットしているけれど、今のところ剥がれる気配はない。あと、5色セット中にこの2冊のカバーに合う赤と緑が含まれているのも嬉しい。実用的には、栞として必要十分だし、2本1組なので相互参照の元と先の両方に挟めて便利。


収録語数については、大きな辞書を買うより使いつつメモなり付せんなりで膨らませていくつもり。コンパクトで手元に置いておいて手軽に引ける状態をキープしたいので。

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