スキップしてメイン コンテンツに移動

なにが存在するのか - なぜ世界は存在しないのか

『なぜ世界は存在しないのか』を読んだ。

刺激的だった。いろいろと思考を促される。タイトルだけでなく本文もしばしば挑発的で、別の意味でも刺激的。こちらの刺激は避けたいので斜め読み。ちなみにタイトルは原題 "Warum Es Die Welt Nicht Gibt" (独) の直訳 (Google翻訳調べ)。邦訳の際にこうなったわけではないみたい。

タイトルに付された疑問に対する答えは、おそらく本書のメインテーマではない。それは「〈世界〉が存在しないなら、何がどう存在しているのか?」についてだと思う。


でも引っかかりをなくすため、まず世界が存在しない理由を粗い理解なりに粗く説明する。一言で表すと、背景がないと何も認識できないから。
何かを設計するときには、常にもうひとまわり大きなコンテキストの中で考えること。椅子ならば部屋の中にあることを考える。部屋なら家の中、家なら環境の中、環境なら都市計画の中。
エリエル・サーリネン
という建築家の言葉を連想する。背景をどんどん広げていくと、やがて〈世界〉に辿り着く。〈世界〉には背景がない。だから認識できず存在もしない、という話らしい。

ここで存在しないとしている〈世界〉は「唯一絶対の真の世界」みたいなニュアンス。宗教はそんな〈世界〉とは縁遠いよ、とか、科学の非対象もちゃんと存在しているよ、みたいな話がされる(もっと強い言葉が使われているけれど。特に科学への当たりが強いのは、ニセ科学の広がりに危機を覚えているからか?)。

それで結論としては、
  • もの・こと(本文中ではさらに一般化して〈現象〉)はちゃんと存在している。認識されなければ存在しないなんてことはない。
  • ただし、その存在の現れ方は文脈(〈意味の場〉)によって、さまざまである。
であり、タイトルや言葉の端々から受ける印象とは裏腹に、いたって穏当で寛容な着地で締め括られる。


空想上の生き物も〈存在〉するという話に抵抗を覚えないではなかったけれど、たとえば河童なんか「河童の川流れ」のように比喩として通用するくらいの共通認識が日本語話者にはあるので、それを〈存在〉というならそれでもいいかと思うくらい。こう思い直すと『河童に選挙権を!』に通じるものがある。

ここまでの説明だと、〈意味の場〉を広げ続けると〈世界〉になるのでは? と思わそうなので、もう少し補足。〈意味の場〉は関連したりしなかったりしながら、無限に存在するとのこと。日常的な言葉では、認識できないけれど世界は存在するでいいんじゃないか、という気もする。「小世界は存在する」みたいな表現あったし。本書が定義する〈存在〉には〈意味の場〉が必要だからダメだけれど。

思うに、存在するもの・ことすべての、すべての〈意味の場〉における現れ方を1人の人間が認識することはできないだろうし、それどころか2つの〈意味の場〉を同時に認識することさえ覚束ないだろう。ウサギとアヒルを同時には認識できない。しかし、移動することはできる。『勉強の哲学』でいう〈ノリ〉みたいなイメージだろうか。

最近の読書にからめると、『本棚の歴史』を読んで、本棚を改めて認識したのがおもしろい体験だった。本に意識を取られていて、本棚が意識にあがることなんてメッタになかったのに、『本棚の本』を眺め始める始末。


物足りないのは、複数の意味の場の比較の話。いくつかの例示を除き、触れられていない。もう少し掘り下げて欲しかった。これではなんとなく『正義のアイデア』の考え方とかアローの定理はじめ集団的意思決定の話ををヒントに実用的な考えを進められそうそうな予感はするのだけれど。そんな極端なものどうしを比べる必要はないとか、最優を決める必要はないとか。

実際、宇宙のどこに本棚を置けば最善かみたいなナンセンスな悩みを抱えていたり、自転車置き場の色の議論を白熱させていたりするわけで。


以下、自分の読書履歴内での関連付けメモ。

「VI 芸術の意味」で、マレーヴィチという画家の『黒の正方形』という作品が言及される。『図像の哲学』でも取り上げられていた。『図像の哲学』の著者は「ガダマーの薫陶を受けた」と紹介されているのだけれど、本書もそのガダマーの言葉も肯定的に引用している。


読み終えてからMirror House Annex: think philosophically - いま世界の哲学者が考えていることで本のさわりだけ紹介されているに気がついた。ここではポストモダンの特徴でのひとつ〈言語構築主義〉(言語によって世界が構築されるとする考え方)の象徴として紹介されているデリダの言葉が、「「ポストモダン」以降の時代を特徴付ける」〈新しい実在論〉を基本思想とする本書では、こんな風に紹介されている。
どんな状況に依存せずにサイのことを考えるなどということは、わたしたちにはできません。まさにこのことを、フランスの哲学者ジャック・デリダは、多くの人に誤解されている(おそらく意図的に誤解の余地を残してある)次のようなスローガンでい表していました。「テクストの外部など存在しない」と。(中略)もちろんデリダが言いたいのは、本当のところサイトはテクストであるなどということではなくて、ただ、サイであれ、ほかの何であれ、コンテクストのそとに存在するのではないということでしょう。

このブログの人気の投稿

北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

Memory Free - 楽園追放 2.0 楽園残響 -Goodspeed You-

『楽園追放 2.0 楽園残響 -Goodspeed You-』を読んだ。映画 『楽園追放 -Expelled from Paradise-』 の後日譚にあたる。 前日譚にあたる『楽園追放 mission.0』も読んでおいた方がいい。結末に言及されているので、こちらを先に読んでしまって後悔している。ちなみに、帯には「すべての外伝の総決算」という惹句が踊っているけれど、本作の他の外伝はこれだけ [1] 。 舞台は本編と同じでディーヴァと地球だけれど、遥か遠く外宇宙に飛び立ってしまったフロンティアセッターも〈複製体〉という形で登場する。フロンティアセッター好きなのでたまらない。もし、フロンティアセッターが登場していなかったら、本作を読まなかったんじゃないだろうか [2] 。 フロンティアセッターのだけでなくアンジェラの複製体も登場するのだけれど、物語を牽引するのはそのどちらでもない。3人の学生ユーリ、ライカ、ヒルヴァーだ。彼らの視点で描かれる、普通の (メモリ割り当てが限られている) ディーヴァ市民の不自由さは、本編をよく補完してくれている [3] 。また、この不自由さはアンジェラの上昇志向にもつながっていて、キャラクタの掘り下げにも一役買っていると思う。アンジェラについては前日譚である『mission.0』の方が詳しいだろうけれど。 この3人の学生と、フロンティアセッターとの会話を読んでいると、フロンティアセッターがフロンティアセッターしていて思わず笑みがこぼれてしまう。そうして、エンディングに辿りついたとき、その笑みが顔全体に広がるのを抑えるのに難儀した。 おめでとう、フロンティアセッター。 最後に蛇足。関連ツイートを 『楽園残響 -Goodspeed You-』読書中の自分のツイート - Togetterまとめ にまとめた。 [1] 『楽園追放 rewired サイバーパンクSF傑作選』は『楽園追放』と直接の関係はない。映画の脚本担当・虚淵玄さんが影響を受けたSF作品を集めた短編集。 [2] フロンティアセッターは登場しないと思って『mission.0』を読んでいない。 [3] 本編では、保安局高官の理不尽さを通して不自由さこそ描かれてはいたものの、日常的な不自由は描かれていなかったように思う。アンジェラも凍結される前は豊富なメ

報復前進

『完全なる報復 (原題: Law Abiding Citizen)』 を観た。 本作では、家族を押し入り強盗に殺された男クライドが、その優れた知能と技術でもって犯人に報復する。 ここまでで半分も来ていない。本番はここから。 クライドの報復はまだまだ続く。 一見不可能な状態からでも確実に報復を続けるクライドが、冷静なのか暴走しているのか分からず、 緊張感をもって観ていられた。 欲を言えば、結末にもう一捻りあると嬉しかった。 ちょっとあっさりし過ぎだと感じてしまった。