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イーブンな異文たち - 写本の文化誌

『写本の文化誌 : ヨーロッパ中世の文化とメディア』を読んだ。サブタイトルが示すとおり、主な舞台はヨーロッパ。だから写経などは出てこない。少しだけ残念。もちろん聖書の写本の話は出てくる。そうそう『ナコト写本』[1]は出てこないので期待しないように(誰もしていない)。

タイトルを見た瞬間は「写本って基本は書き写すだけじゃないの?」と素朴な疑問に捕らわれたけれど、「1冊の本になるくらいだから、きっと何かあるに違いない」と考え直して読むことにした。読み終えたら、写本に対するイメージが様変わりしていた。

「一字一句同じ写本は存在しない」

読み始めると間もなく、こんな一文に出会う。手書きだと誤字・脱字が入り込むという単純な事実を強調しているのではない。ここから、同じ原作から数々の異文が制作された歴史を振り返っていくことになる。遡ること、羊皮紙や紙それからペンと染料を作る時点まで。そこから写本が生まれるまでを追っていくことになる。

結果としていくつもの異文が残されたのは、当時の権力者が自分の物語として一品注文していたから。製作者は注文主から伝えられる原典と嗜好に基づいて改作――解釈し、表現を洗練させ、挿話をときに入れ替え、ときに補い、ときに省略した (ついでにイースター・エッグ[2]を仕込むこともあった)。ざっくばらんに言えば、金持ちが好きなものを好きなようにリメイクさせた結果が写本ということになる。広義の「アダプテーション」に含まれるか。

そのため、唯一正解の物語なんてそもそも存在しない。原典が口頭で示されたりもしたそうだ。本の形だったとしても、遡れば詩人の言葉が書き残されたものだろう。もしかしたら、詩人が語るのに必要十分なプロット程度のものもあったかもしれない。

存在したのは、1人のためだけの物語たち。

同じ文章を再生産できる今でも、たくさんの読者がそれぞれの感想を抱いている。もちろんいろいろな解釈をする人がいる。ハデな不整合を引き起こしているように見える解釈も生まれる。自分も同じようなことをしているかもしれない。そんなとき、もし物語の方を書き換えられたら? あるいは、もしこうだったらよかったのに、と思ったときにそうできてしまったら? そんな空想をもてあそぶのも楽しい。

ちなみに、印刷技術が発明されて一字一句同じ文章を再生産できるようになっても、「同じ本」が作られるようになるまでには相当の月日が開いた。本の中身と装丁が別売りだったからだ。『本棚の歴史』によると、同じ装丁がつくようになったのは1830年頃とのこと。それが今では電子書籍を異なる端末で読めるわけで、先祖返りしたみたい。

[1] クトゥルフ神話に登場する架空の本。原典は人類誕生以前から存在したという。
[2] ゲームなどのソフトウェアに作者が遊び心で仕込んだ小ネタのこと。

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