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本だらけ本棚だらけ - 本棚の本

『本棚の本』(同タイトルの本がもう1冊ある。著者がAlex Johnsonの方)を読んだ。どちらかと言うと「眺めた」か。メインコンテンツは写真だから。でも、文章もキャプションまで一つ残らず目を通したから、「読んだ」もありか。

『本棚の歴史』が、本棚の過去を振り返っているのとは対照的に、こちらは未来を向いている。
電子書籍が普及したら、「収納する本が減って本棚がトロフィーのキャビネットのようになるにつれ、読書家たちは、単なる棚を超えたエキサイティングな蔵書収納法を求める始めるだろう。
※引用時注「求めるはじめるだろう」はタイポではなくて引用元の通り。
という推測はハズレはしなさそう。そういう人が現れるのを想像するのは難しくない。

ほんとうにさまざまな形の本棚が掲載されていて、目を楽しませてくれる。これまでほとんど背景として無意識に処理してきたし、選ぶときもサイズにばかり気を取られていたけれど、この本ではいろいろな表情を見せてくれる。J型に曲がっていて、最下段はマガジンラックとして使えるのなんか、形のおもしろさと機能を両立していて憧れてしまう。

ところで、本書には本棚だけじゃなく、本棚をテーマにしたアート作品なども掲載されている。以前に本棚を印刷したリメイクシートが気に食わないと書いたけれど、エスプレッソ・バーD’Espressoの横転した本棚をテーマにした内装はおもしろかった。壁だけでなく天井と床にまで本棚の写真を使っている。これには本物は使えない (厳密には何らかの手段で固定すれば可能だけれどやって欲しくない)。

あ、要らないことを思い出してしまった。負の感情が膨らむだけなのに、よせばいいのに、思い出してしまった。やりどころがないので書いておく。「おしゃれな背表紙印刷ブックカバーで見せる収納をしよう!」という記事を見つけてしまって、背表紙が見えて何がダメなのだ、と忌々しさを感じてしまう。『本棚の歴史』のおかげでかつて背表紙は隠すものだったと知ってはいるけれど、今は背表紙もちゃんとデザインされているのに。

うん? でも本が増えすぎて、来客を入れる部屋にまで溢れているけれど、どうにか目立たないようにしたいという思いからの工夫かも。それならしょうがない。好きだけれど、人には勧めづらい作品もあるだろうし。

お、対立(というか独り相撲)にケリが着いてスッキリした。書いてみるものだ。

そうそう、本棚の話だった。眺めていると、広い書斎と大きな本棚と沢山の本が欲しくなるね!(最後のはいつも欲しい)。

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