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where are arts? - 現代美術に魅せられて―原俊夫による原美術館コレクション展

前期から展示が入れ替えられた『現代美術に魅せられて―原俊夫による原美術館コレクション展』を見てきた。

正直な感想としては、お得な前後期通し券とか前期の半券を見せたら割引になるとかあったらよかったな、という感じ。建物自体を含めて入れ替わっていないものも少なくないので、入れ替わったものを見に行くと割高感が。

個々の作品を見ていくと、カンバスに黒一色の油絵の具で無数の突起を作っていた作品がおもしろかった。真っ黒な生クリームの角がたくさん生えているところをイメージすると近いと思う。横から眺めると際立つので、「内海聖史- mimic paintings -」(最後の写真)みたいに立体的に配置してもおもしろそう。

この方向性を突き詰めていくと油絵を塗り重ねて立体を造形する人が出てきそうだが、3Dプリンタが一般販売されている今では新鮮味は薄いか。

ところで、前期からあるトイレ跡を利用した作品を見て「デュシャン」とつぶやく人を見かけた。デュシャンの「泉」ならアートっぽくないもの=便器をアートっぽく展示したもので、こちらはアートっぽくない場所=トイレにアートを持ち込んでいるので、移動方向が逆だよなあ。組み合わせは近いけれど。

コンテキスト(場所とか時間とか)とコンテンツの関係っておもしろくて、ときどきニュースになっているのを見かけるとつい読んでしまう。誰かが美術館でメガネを置き忘れたらしげしげと鑑賞する人が出てきたとか、路上でヴァイオリニストが名演を披露しても誰もが素通りするとか。偶発した状況にしろ実験として作り出した状況にしろ、人が注意を向ける先はコンテキストに強く依存していることがわかる。

コンテキストをスイッチするとあっさりわかったりして、「言われてみれば」と思うこともある。わからないときは本当にわからないけれど。あるいは、誤りを認めようとせず自分が最初にとった行動に理由付けしだす人もいるだろう。

だから「私は見ればわかる。ダマされたことはない」などという人は、堂々と嘘を言える人か自信過剰かダマされたことにこれまで気付いたことがない人だろうな、と推測する。人は自説に合うものばかり気がつくものだし。ただダマされるような状況に遭遇したことがない、と考えに最後に及ぶ自分がいかにも世知辛い。

良し悪しはともかく、人はそういう傾向を持っているという話であり、この手の話は認知心理学の読み物が詳しい。アンカリング、一貫性バイアス、確証バイアス。ここまでで関連していそうなキーワードはこのあたりか。

作品はどういう状況なら作品として機能するのか? という問題でもある。アトリエで完成したばかりという状況はどうだろうか。第三者は作業風景の一部としか認識できないかもしれない。では、製作者の没後に展示された未完の作品は?

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