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目に見えないもの - リトルプリンス 星の王子さまと私

『リトルプリンス 星の王子さまと私』(原題 "The Little Prince")を見た。

童話『星の王子さま』は、作中作として登場する。ストップモーションアニメで表現されているのがよい。愛着が湧く。残念だったのは、全編が映像化されているわけではないところ。それなら『星の王子さま』の映像化作品を見ろという話か。

本筋はCGアニメーション。名門高校に通わせるために母親とともに引っ越してきた女の子が、隣に住んでいる変わったおじいさんとなかよくなる話。終盤にちょっとした冒険が入ってくるのは、映像映えさせるためかな。『星の王子さま』の雰囲気を維持して欲しかったようにも思うけれど、それならそのまま映像化すればいいという話になってしまうか。

『星の王子さま』にそれなりの思い入れがあるので、素直に見られない。複雑な心持ち

基本的には女の子を応援するような気持ちでみていたのだけれど、最後には、自分はどんな大人になりたかったんだっけ? とちょっと感傷的にもなったり。あらためて『星の王子さま』読もうかな。

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