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いないいない - アナイアレイション -全滅領域-

『アナイアレイション -全滅領域-』(原題 "Annihilation") を見た。『エクス・マキナ』でデビューしたアレックス・ガーランド監督の最新作。日本では劇場公開されず、Netflix限定配信。

緊張と不安を強いてくるSFホラーだった。際立っているのが、異世界の不気味さ。醍醐味ではあるけれど、あとをひくので相応に疲弊する。同時に蠱惑的でもあった。特に不思議な植物に覆われた廃墟には惹かれてしまう。

異世界の不気味なクリーチャーは、原作『全滅領域』を含む〈ニュー・ウィアード〉というSFのサブジャンルの特徴らしい。
こうした奇妙な動植物は、「ニュー・ウィアード(New Weird)」と呼ばれる新しい文学のジャンルに登場するものだ。
引用元: 映画『アナイアレイション』は、「異世界」を恐怖に満ちた世界観で描き出した:『WIRED』US版レヴュー|WIRED.jp
「ウィアード」と言えば、クトゥルフ神話を生んだH. P. ラヴクラフトが寄稿した雑誌『ウィアード・テイルズ』を思い出す。本作の怖さはクトゥルフ神話関連作品に似た感触だけれど、これが由来だろうか。

「新しい文学のジャンル」とあるけれど、調べてみたら10年以上前から成立していた。『SFマガジン』の2005年5月号に「特集:ニュー・ウィアード・エイジ--英国SFの新潮流」が組まれている。その頃にはSFを読み始めていたと思うのだけれど、意外と出会わないものだ。原作『全滅領域』の名前も前から知っていたのに。

自分は原作未読だけれど既読の人によると、大きく変更されているらしい。ブログやTwitterを検索したら何人かの方がそう言っているのがみつかった。原作は三部作なのに、続きそうにない終わり方をしたのも納得。「映画を先に見ちゃったから、原作を読むモチベーションが下がっちゃって」という言い訳ができなくなったよ!

話を映画に戻すと、異世界に入るまでをもう少し丁寧に描いて欲しかった。それまでで無策無謀に映るシーンがいくつか。たとえば、異界への境界を越える前なんか、そんなにあっさり侵入できるものか? と疑問が拭えなかった。入ってからは平常心を失って危険を呼び込む選択をしてしまうこともあるだろうと納得できるのだけれど。

納得いく解釈が見つからない疑問がもうひとつ。こちらは、意図的に一意に定まらないようにしている可能性もありそうだからほどほどにした方がよいと思いつつ、頭にこびりついて離れない。「これはどの時点の 視点で語られた物語なのか?」

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