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気丈なお嬢さん - スチーム・ガール

『スチーム・ガール』を読んだ。

裏表紙のあらすじにはスチームパンクSFとある。その通りではある。19世紀後半のアメリカを下敷きにしているけれど、普及している動力源は電気ではなく蒸気。

でも、それだけに留まらない。スチームパンクSFと聞いてガジェットに期待して読み始めたのだけれど、それに応えてくれるだけでなく、いろいろな要素が詰め込まれていた。主人公であり語り手でもあるカレンの視点から、多様な人々が描かれる。

それは、作者がインタビューで語った2つのゴールの1つでもある。
また作者は、本書の執筆にはふたつのゴールがあったと語っています (http://www.sfsignal.com/archives/2015/01/)[1]。ひとつは楽しい冒険物語、もうひとつは当時の西部の、多様な社会のなかで阻害された人びとを描くこと。
引用元: 『スチーム・ガール』「訳者あとがき」

これを踏まえて、裏表紙のあらすじを読むと、前者を強調し過ぎているように感じられる。バトルヒロインものかと誤解するくらいだった。後者の側面に触れられていない。自分はそちらの方を強く感じたくらい。広く手に取ってもらおうと、あえてのこと? 実際自分も、読み始めた最たる理由が「スチームパンクSF」の語だったわけだし。

その側面の最たる例が、ヒロイン・プリヤ[2]の存在。というわけで、本作は百合小説でもある。描かれているのは、同性愛だけではない。縫い子 (隠語)、解放奴隷、黒人、アメリカ先住民、中国系、インド系――何人もの「阻害された人びと」が登場する。

堅苦しいことを書いたけれど、カレン一人称の砕けた文体で書かれているから重苦しさは感じないし、中~後半からアクション成分が一気に濃くなって冒険物語として楽しくなってくる。下の写真は、1880年のシアトル。「あとがき」で名前が挙げられている都市の1つ。本作の舞台はラピッド・シティという架空の町だけれど、どんな雰囲気だったのだろうと気になって写真を探してみた。


[1] 引用者注: 正確なリンク先はおそらく[GUEST INTERVIEW] Fran Wilde Interviews Elizabeth Bear about her New Steampunk Novel KAREN MEMORY | SF Signal
[2] プリヤダルシニーの愛称。『プリズマ☆イリヤ』を思い出してしまって、イメージの補正に難儀した。

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