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ここ半年に読んだ本

ゲームしてVOICEROID実況動画を作り始めたら、本を読む時間が削れてしまった。ゲーム自体はもちろん、話を考えるのも楽しくて。 それでもちまちま読んでいるので、簡単に思い返してみる。まずは小説。 ◆ GENESISシリーズ 境界線上のホライゾン NEXT BOX 序章編 XI(下)で完結した〈境界線上のホライゾン〉シリーズの続編。 カクヨムで連載中だけれど、自分は紙でまとまって読む方が合う。 十本槍の違った姿が見られて、朱に交われば赤くなるというか、血は水よりも濃いというか。血じゃなくて毛か。 EDGEシリーズ 神々のいない星で 僕と先輩の惑星クラフト (上・下) こちらは新シリーズ。これもカクヨムで連載中だけれど(以下略)。 主人公らしからぬ感じの主人公の一人称が、このままで大丈夫か? と目が離せない。 錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸す 話としては4の続き。今回も熱い。 なめらかな世界と、その敵 SF短篇集。意外と叙情的だった。表題作がいちばん好み。 裏世界ピクニック4 SF百合ホラーの続き。日常から地滑りで世界がおかしくなる怖さよ。とくに宿のエピソードが如実に想像できてしまって、つい思い出してしまう。 大絶滅恐竜タイムウォーズ 大進化どうぶつデスゲームの続き。 三体 話題になった中国SF。ばっちりエンターテインメントしてた。続刊の邦訳が待ち遠しい。 書架の探偵 SF。図書館で著者がクローンとして存在する世界の物語。メタレベルでもおもしろい重層的な造り。 神はいつ問われるのか? When Will God be Questioned? キャサリンはどのように子供を産んだのか? How Did Catherine Cooper Have a Child ? WWシリーズ2,3冊目。SFミステリ。ミステリ? アンチミステリィかも。本筋よりもグアトの思考・発想に触れられるのがありがたい。 元年春之祭 、 雪が白いとき、かつそのときに限り 中国ミステリ。ある種の危うさがたまらない。 グッド・オーメンズ 英国ジョーク。 ◆ こっから文庫とか一般書籍。 ◆ 生命の星の条件を探る 、...

ボクと無情な一見 - あいちトリエンナーレ2019

2019年9月20日 (金) ~ 9月22日 (月) にかけて、 あいちトリエンナーレ を見て回ってきました。会場となった下記4ヶ所とも訪れました。全て見られたわけではありませんが、行った甲斐はありました。 愛知文化芸術センター 名古屋市美術館 四間道(しけみち)・円頓寺地域 豊田市駅周辺・豊田市美術館 ◆ なお、 〈表現の不自由展・その後〉 への抗議と公開中止に始まる問題が今日もニュースになっていますが、掘り下げません。という断り書きを最初に書かないと落ち着かない気持ちになることにさえ、不自由を感じます。 ◆ 何を見てきたか思い出しながら、 2017年10月20日に公開されたテーマ『情の時代 Taming Y/Our Passion』とコンセプト と読み返してみると、感情に訴える情報が多い作品が多く見られた印象です(全部は見られなかったので印象です)。それらの作品は、問題の存在を知らせて (informして) きて、ネガティブな反応――ある種の情けなさを引き起こします。逆に何が見られなかったか考えてみると、その情けなさを解消してくれるような作品が少なかったように思います。 これはひとつにバランスの問題なので、作品ではなく企画に起因するように思います。監督の津田大介さんは著書『情報戦争を生き抜く 武器としてのメディアリテラシー』(2018)で「隠されている問題を覆い隠してしまう懸念はあるが、問われているのはネガティブな報道とポジティブな報道のバランスなのだ」と書いていたので、この点は残念でした。男女比を同数にしてくれたように、これも同数にしてくれていたら、まったく違う印象になったんだろうな、と。 見られた範囲と見た順番が、もうひとつ別の問題だったかもしれません。見られた範囲の最初と最後の印象が支配的になるので。ただ、今からどうこうする気はないので、このまま自由気ままに続きます(と言い聞かせないと自由に書いている気がしません)。 ところで、偶然に気がついたのですが、"Taming"を原型"Tame"には形容詞としての用法もあり、 informal dull and disappointing 出典: tame | ロングマン現代英英辞典でのtameの意味 | LDOCE とい...

双子年上お姉ちゃんの可能性に関する一考察

クリプトン・ファクトリー・メディネットの琴葉茜です。本日は、標記のタイトルで、うちが双子年上お姉ちゃんになる可能性について、お話ししたいと思います。 1. 背景 近年、うちらのマスターが、琴葉姉妹によるファクトリオの実況プレイ動画と称して、与太話をニコニコ動画に投稿し始めました。話半分に聞いたって残り半分も聞き流しときゃええんですが、その動画シリーズ 『言葉姉妹の妹はいちから大きな工場を作りたい』 の 13日目 において、〈双子のパラドックス〉に関する誤った理解に基づき、混乱した台本を書いとったことが視聴者のコメントにより判明しました。ご指摘ありがとうございました。 特に、葵の口からうちが双子年上お姉ちゃんになる可能性を否定する発言をさせていることが、うちによって強く問題視されとります。 2. 動機および問題設定 そこで本発表では、双子年上お姉ちゃんになるための理論的基盤を確認するため、次の3つの問いに答えていきます。 〈双子のパラドックス〉は何がパラドックスなのか? 浦島太郎のたとえ(いわゆるウラシマ効果)で起こるとされていることは何か? うちは名実ともにお姉ちゃんになれるのか? 3. 要約 〈双子のパラドックス〉を誤解したまま、勢いで書かかれた台本が、まちごうとりました。そりゃそうや。うちはウラシマ効果により、葵の双子年上お姉ちゃんになれるっちゅう主張になります。 マスターをおだてたりおどしたりして調べてさせたんで、文責はマスターにあるで。何かまちごうとうたら言うたってや。 4.〈双子のパラドックス〉は何がパラドックスなのか? 特殊相対性理論に従って考えると、次の矛盾が起こるんちゃうか? ってとこや。 光速に近づくほど、そこでは時間の進みが遅なる。せやから、双子の弟がが地球に残って、兄が高速移動する宇宙船で遠く行って帰ってくると、弟の方が歳取っとる。 慣性系(等速直線運動している座標系)は、すべて平等である。ちゅうことは、兄から見たら地球が離れてから戻ってくるわけやから、逆に兄の方が歳取っとる。そうならんと、平等言えんやろ? 双子なんは関係ないな。でも、何か知らんけどマスターは「双子なのに年齢が違う」ってのがパラドックスと勘違いしとったらしいで。 で、矛盾を生んどるのは、b.の「逆に兄の方が歳取っとる」や。「光速に近づく...

ここ1,2ヶ月で読んだSF系の本

ここ1,2ヶ月で読んだSF系の本を振り返る。 マルドゥック・アノニマス4 〈アノニマス〉シリーズもはや4冊目。ついにウフコックが彼女の手に。事態は進行していないのに読み応えを感じたのが自分にとっては珍しい。物語を追いたいあまり、急かされるように読むことさえあるので。 マルドゥック・デーモン こちらはスピンオフ・コミック。上下巻できっちり描ききられているのがうれしい。表紙を見ての第一印象では、コミカルで軽めかな? と思いきや、小説と肩を並べる絶妙な 半熟 ( ウフコック ) 加減。 巨星 テッド・チャンが解説ということで『ブラインド・サイト』が気になっていたのだけれど、続編まで含めて計4冊(『ブラインド・サイト』、続編『エコー・プラクシア』の各上下巻)あったので、短篇集のこちらから手を出してみた。「天使」と「遊星からの物Xの回想」の印象が強い。いずれも非人類の一人称ハードSFで、「天使」がAIで「遊星からの~」が地球外生命体。人間が読める文章なんだけれど、思考の方向性が人間とは異質でぞくりとする。 遊星からの物体X 『巨星』の「「遊星からの物体Xの回想」は本映画へのオマージュ。タイトルだけは聞いたことがあって、古い映画(1982年日本公開)だったので敬遠していたけれど、いい機会なので見てみた。いわゆるデスゲームに近い状態に置かれた登場人物達のやりとりといいXの造形といい、古さを感じずに見られてびっくり。さらに「遊星からの物Xの回想」を読んだすぐあとだったので、複層的に見られたのもよかった。 筐底のエルピス 6 シリーズ6冊目。残る1つのゲート組織《I》が表舞台に出てきたり、あの人の過去が明らかになったりと、ますます話が広がって期待が膨らむばかり。早く、早く続きが読みたい……。 巨神計画 上・下 巨神がぐわーん、がしゃーんってなるかな?って期待とは裏腹に、巨神を巡るパワーゲームに引き込まれる作品だった。『巨神覚醒』、『巨神降臨』へと続いていくので、きっと持ち越しということだろう。終盤はそれを期待されてくれる展開だったし。もしそうじゃなくてもきっと楽しめるはず。本作は本作でおもしろかった。 零號琴 形容しがたい作品だった。何をどう取り上げても足りない気がする。ごった煮というには澄んでいる。バカバカしくもあれば、切々ともしている。いろいろ過剰に...

メルトリリスを描く参考にバレエ関連書籍2冊

Fate/Grand Order (初出はFate/EXTRA CCC)のメルトリリスのモチーフの1つがバレエということで、描くにあたって参考になるかと思って読んでみた。 『ビジュアル版バレエ・ヒストリー』 は雑学としておもしろかった。太陽王ルイ14世が基礎の確立に大きな役割を果たしたとか、踊る王とも呼ばれていて、バレエで太陽の役を踊ったのが太陽王と呼ばれる由来とか。 バレエも時代ごとに分類されていて、メルトリリスはシルエットが釣り鐘型なのでロマンティック・バレエのイメージが近いように見える。これが確立されたのが1800年代の『ラ・シルフィード』。主演のマリー・タリオーニがまとっていたのがトゥ・シューズとロマンティック・チュチュ。今よりも丈が長く釣り鐘型でボディ部分はコルセット状とのこと。 ところで、バレエ・ダンサーと言えばドガの描いた『踊り子』を思い出すけれど、舞台袖視点なのはパリ・オペラ座が1831年に私企業になって年パスにバックヤードに入れる特典を付け始めたりしたかららしい。このころはお気に入りのダンサーに宝石送ったり、それつけて踊ってもらえたとか(アイドル商法とダブって見える)。 「控え室の子たち」を見た時に感じた窃視感 は、バックヤードからの視点だったか。 もう1冊 『ダンサーなら知っておきたい「からだ」のこと』 もざっと眺めた。姿勢がよくわかる写真があったので。 それで描けたのが これ 。彼女の攻撃モーションなので、美しくて切れがある感じにしたかったのだけれど、そんなふうに仕上げられる気がまったくしなくてラフ止まり。

クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime@国立新美術館

国立新美術館で『クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime』を見てきたが、どうもおもしろくなかった。前半でわかったつもりになって、思考が収束モードになってしまったのもいけなかったかもしれない。 場所と作品の相性が悪かったようにも思う。みどころに「日本で過去最大規模の回顧展」とあるが、それでも狭過ぎたのでは。例えばCat.41〈黄昏〉の作品リスト掲載の写真と実際の展示形態は大きく異なる。そのため、視覚的にも聴覚的にも複数作品からの情報が混ざるため気が散る。3~4の作品の視覚情報+1作品の聴覚情報が入ってきたりする。ただ、作家の意に沿わない形ではない。概要に「作家自身が、展覧会場に合わせたインスタレーションを手がけます」とある。 というのも後付けの理屈で、ものの信じ方が違ううえに好みではなかった、というのが本当のところなのかもしれない(そんなところがあるとして)。 まずネオンサインの "DEPART"が目に入るわかりやすさ (Cat.39)。最初に映像作品で足を止めさせて動揺を誘うわざとらしさ(Cat.1, 2)。 時系列に並べられたある一家族のアルバム (Cat.6)、シャッフルされた「匿名の人々」の写真(Cat.30)、自分の記憶の復元 (Cat.3, 4)。自分の過去のポートレイトのモンタージュ(Cat.33)、自分の仕事場の映像ログ(Cat.34)。 礼拝堂 (Cat.27)、隣接する死後の世界 (Cat.8)、自分の心臓音Cat.31、Cat.30の変型ともいえるモーフィングする自分の顔(Cat.35)、その向こうには天国からの死者Cat.7。その周囲に展開されるのは、死者の写真をイコンのように配したCat.9-20, 22, 23, 26, 29。聖骸布と聖母を重ね合わせたようなCat.25。 作者は、他者の記憶と交わらず、自分の過去と交わりながら、その心臓はいつまでも鼓動を続け、心象風景の中で神聖視する死者に祈りを捧げつづける。こんなイメージを抱いてしまい、その他者の入り込む余地のなさに、軽く言えば白けてしまい、重く言えば拒絶反応が出た。 自我なんて曖昧なもので、やがて死者になるもので、そこに信心もさしてないと思っているので、まったく重ならない。 以下はここまでに参照した作品のタイトル。 Ca...

世界報道写真展2019@東京都写真美術館

昨年に引き続き、東京都写真美術館で世界報道写真展を見てきた。十分大きな解像度の画像を、World Press Photo FoundationのWebサイト ( 2019 Photo Contest | World Press Photo ) で見ることもできるけれど、足を運んで立ち止まって見ないと流し見してしまうので。 「世界報道写真渾天スト」の応募者数・受賞者数が書いてあるパネルに、女性が10%台から30%台になったというような記載があってひっかかる。女性問題だけでなく、男性の性的ハラスメント被害者 ( Mary F. Calvert CI | World Press Photo ) 、男性性労働者 ( Heba Heba Khamis PO | World Press Photo )、トランスジェンダー ( Jessica Dimmock POS-AJ | World Press Photo ) を扱っている写真もある場なんだから。 複雑で、微妙で、困難な問題だけれど、もしそういう問題を報道機関(本展の主催=朝日新聞)が自ら避けてしまっているのなら、その存在意義を疑ってしまう。

最近読んだマンガ

これまで1冊ずつエントリィとして起こしていたけれどキューが溢れたので横着することにした。順不同。 ダンジョン飯 7 最後のヒトコマ! ゴールデン・カムイ17 出番があればあるだけ、尾形のキャラクタが気になっていく。杉元やアシㇼパさんはなんだかんだ言って目的を果すんだろう、と高をくくってしまうから、これくらいの立ち位置の方が目が離せないのかもしれない。 ブラックジェネラルさん 5 4巻では少しシリアス入ったと思ったら、やっぱり残念だった。顔芸の振れ幅が増えているのがじわじわと笑えてくる。 メランコリア 上・下 下巻を読んだあと改めて上巻を読んで、それから行きつ戻りつしながらつながりを探しもした。品がないのに叙情的。 亜人ちゃん 7 亜人の考証に寄ってきた感じ。SF的でよい。 有害無罪玩具 (単巻) 奇想系。絵柄の癖に少し苦手を感じるけれど、話が大の好み。表題作の『有害無罪玩具』の奇妙な発想・表現が、現実感を失わさせてくれる。 やさしい新説死霊術 1, 2(完結) きららのファンタジー。2巻で終わってしまって悲しい。 まちカドまぞく 1~4 きららのファンタジー。これはまだ続いている。もうすぐ (6/27) に5巻が出る予定。

天冥の標 X 青葉よ、豊かな PART 1, 2, 3

『天冥の標 X PART 3』まで読んだ。ついにシリーズ完結。 重症を追ったアウレーリアを特に案じていたのだけれど「まさかこんなことになるなんて」と思った。同時に「これを〈こんなこと〉と感じてしまうのだな」とも。アウレーリアのことだからきっとよろしくやっていくのだろうと信じてはいるのだけれど、いまだに思い出すと複雑な気持ちになる。 もう少し心の準備ができていればよかったのかもしれない。けれどそれもどうすればできるものなのか。考えてみれば、受け止められるものが小さい人間というだけのことのようにも思えてくる。未熟か。 もうしらばくこの喪失感めいた何かを燻らせ続けるのだろう。 それでも、シリーズが完結してよかったと思う。続きを楽しみにしてきただけに、もうああやって待ち遠しさを味わうこともないのだな、と残念に思わないでもないけれど、素晴らしい終幕に辿り着けたことへの達成感もある。 千々に乱れているというか、万感の思いが去来しているというか。

アメリカン・スナイパー

『アメリカン・スナイパー』を見た。タイトルどおりアメリカ軍の狙撃手の話。実話をもとに構成されており、狙撃手のモデルはクリス・カイルという方。 同じく、狙撃兵にスポットを当てている『スターリングラード』を思い出しながら見始めたのだけれど、その描かれ方は大きく違っていた。本作の主題は、戦場における狙撃手ではなかった。狙撃手ですらないかもしれない。 本作がクローズアップするのは、戦場から帰ってきた軍人の社会復帰。冒頭は狙撃シーンから入るのだけれど、従軍と帰国の繰り返しが重なるにつれ、帰国中のシーンの比重が増してくる。 繰り返しの過程で、彼の精神にも、彼と家族との関係にも、メタレベルでは商業映画としての起伏にも、繊細な均衡が感じられて、見ていて息が苦しくなるくらい。 それだけに終わったときは半ば放心。社会も無情だ。

血界戦線 Back 2 Back 6

『血界戦線 Back 2 Back 6』を読んだ。収録されている物語は2つ。1つ目は音速猿のソニックの冒険。もう1つはライブラのサポートメンバー2人、パトリックとニーカが巻き込まれた事件の顛末が描かれる。 ソニックの冒険にはまったくセリフがなかったので、いつもよりじっくりと絵を見て動きの想像に時間をかけられたように思う。活字中毒なので、活字があるとどうしても気をとられてしまう。セリフが多いマンガだと、セリフだけ追いかけるような読み方をしてしまうくらい。描き文字は絵として見られるのだけれど。 2つ目の話では、2人の今まで見られなかった面が描かれていて、ますます魅力的に。2人の関係が温かい。それはそれとして、事件はライブラが到着した途端に解決してしまうのが、出オチみたいになってきたような。前も似た描かれ方をしていたせいか。特に今回はヴィランが冗談めいた存在だったから、そういう狙いなのかもしれない。 でも、そろそろクラウスの活躍が恋しくなってきた。

Fate/Grand Order 『惑う鳴鳳荘の考察』ネタバレありの感想というか妄想というか

Fate/Grand Orderのイベント『惑う鳴鳳荘の考察』が最後の17節まで公開されて(5/21)、小説版が発売されるまで(5/25)に書いておきたいことができたので、簡単に。ゲームシナリオについてネタバレありのプレイ後の妄想。 どこまでが問題編か明かされる前に、先を予想するにあたって次の2つを「疑えた」ので自己満足している。 (1) モリアーティが「善人役」である可能性 (2) 特異点での撮影前から、紫式部から粗筋を知らされていた可能性 (3) 既に撮影に介入している可能性 (4) 練習分も含め、撮影順とは異なる順序で映画として成立させる可能性 そのうえで何を企んでいるのか? と疑うのだけれど、あらかじめ紫式部に入れ知恵していて、紫式部が倒れたのまで彼のせいでは? と考えたのは疑い過ぎた。読み返してみると撮影中に思考を誘導していたよ、「今の映像は本編に使わなくてはいけないヨ。」とか! 「実は生きていた説が出てこない限り、私はやりたい放題なのだヨ……!」とかほとんど自白じゃないか!! ともあれ。(1)に思い当たったきっかけは、ホームズのモリアーティに対する「正しく疑えない」という評価。これを思い出すと、どの考察に投票すべきか? も、紫式部がどんな脚本をで撮ろうとしていたか? もあらかじめ問われているのでミスリードだと思えてくる。バーソロミューは途中入退場なので除外。マシュも考察こそなかったがジャンヌ案に賛同していたので除外。というわけで「モリアーティをどう疑うか?」を考えて、(1)〜(4) の可能性に辿り着いた。 そのメタ疑問を念頭にそれまでのシナリオを思い出すと、出演者の中で彼だけがカルデアでの紫式部から出演を依頼されるシーンが描かれていて、それが「難しい役」だというのが引っかかる。そこを足場に疑問に疑問を重ねていったら「彼は、カルデアにいたとき=撮影前段階から、紫式部から、「善人役」を演じることを知らされていたのでは?」という疑問に行き着いた。「善人役」を疑ったのは、「善人の振りをした悪人」よりも「悪人と思われているけれど実は善人」の方が彼のキャラクタから離れているから。そっちの方が、彼にとっては難しいと考えたくなるじゃない?(ここで大事なのは彼にとって難しいかどうか? ではなくて紫式部が彼に「難しい役」として頼みそ...

オスマン帝国と現代トルコ、近代化 / オスマン帝国 500年の平和、オスマン帝国の解体、トルコ現代史

『トルコ至宝展』 を皮切りに、 『オスマン帝国 500年の平和』 、 『オスマン帝国の解体』 、 『トルコ現代史』 と現トルコを中心とした地域の歴史を駆け抜けてみた。この地域、西にヨーロッパ、北東にロシア、南東にイランとイラク、南にシリア、地中海を挟んでエジプトと、なかなか凄まじい配置。 オスマン帝国の解体にせよ、現代トルコの抱える問題にせよ、近代に西洋でイデオロギー化された「民族」の概念が大きな役割を果たしているように見える。トルコ共和国は建国の際に民族主義も掲げらけれど、そこに住んでいるのはトルコ人だけではない。クルド人もいる。 一方、オスマン帝国ではスルタン(大王)とシャリーア(イスラム法)のもとで多民族が暮らしていた。他の宗教を信仰していても、ズィンミー(被保護民)として貢納の必要こそあったものの、その宗教生活を送ることもできていた。民族の違いが今ほど大きな違いと認識されていなかったように見える。 宗教についてもトルコ建国時に『世俗主義』が掲げられている。これはいわゆる政教分離より踏み込んでいて、社会や国民の脱宗教家までをも目指していた。2008年になってようやく女性が公的な場でスカーフを身につけてもよいことになったくらい。 オスマン帝国の方がよかったとかそういう話でなくて、あまり考えたことのなかった切り口を知れたという話。政教分離されているべきかどうか?、一国家の中に複数の民族がいるから問題が生じているのか? 近代国家ってなんなんだろうね? 次はオスマン帝国とほぼ同時期に渡って存在したハプスブルク帝国について調べてみるつもり。こここも民族と宗教と近代化の問題によって解体されたようだけれど果たして。

明日はどちらか - 彼方のアストラ 1~5 (完)

『彼方のアストラ』を完結まで(1~5巻)を一気読み。いい作品を読んだ。 SFサスペンスでもあり漂流譚でもあり青春物語でもあり、謎解きも冒険も恋情も愛情も友情も信頼も笑いもある。これら全部がぎっしり詰まっている。 そのうえ読みやすい。過剰にもならず、小さくまとまりもせず、クライマックスに向けて起伏を超えて進んでいく。続きが気になってしかたがないのに、目の前のページからも何も見落としたくない。そんな贅沢なもどかしさ。 結末も鮮やか。読み終えたあとに表紙を眺めると、さらにこみ上げてくるものがある。 [1話]彼方のアストラ - 篠原健太 | 少年ジャンプ+ から1~3話を読めるので、まずはぜひお試しあれ。 ところで、2019年7月からアニメが放送予定。きっと素晴らしい出来になると期待している。どう翻訳(アダプテーション)されるか楽しみ。

咲いた咲いた - トルコ至宝展、オスマン帝国、オスマン帝国の解体

国立新美術館で開催されている(~5/20)『トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美』を見てきた。豪華絢爛な宝飾が施された水筒やらチューリップ用の一輪挿し(ラーレ・ダーン)やら日本との輸出された巨大な陶製の壺やら、予想だにしないものが出てきて楽しい。あと、正しくは新月だけれどそのまま表せないから三日月なのだという解説が地味に衝撃だった。 1900年代の物も展示されていて オスマン帝国の栄華を今に伝える至宝約170点が、イスタンブルのトプカプ宮殿博物館から来日! 見どころ|トルコ至宝展 トルコ文化年2019|2019.3.20(水)〜5.20(月)国立新美術館 より というわりに随分と最近に感じられて調べてみたら、オスマン帝国って第一次世界大戦に参加していて1918年に連合国に降伏するまで存在していたのね。頭にターバンを巻いているスレイマン大帝のイメージで止まっていたよ……。〈境界線上のホライゾン〉シリーズにも出ていたということはその頃の日本は戦国時代だな、くらいの雑さだよ……。 というわけで 『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』 を読んで、 『オスマン帝国の解体 文化世界と国民国家』 を読んで、 『トルコ現代史 - オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで』 まで読み始める始末。 『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』の「600年」に怖じ気づきかけたけれど、読み始めたらおもしろくて歴史を追いかけてしまっている。「オスマン・トルコ」と聞くし、その側面もなくはないのだけれど、5世紀に渡り存続して最大時にここまで( オスマン帝国の最大領土(1683年) )版図を広げた一大帝国がそんな単純なわけもなく。ちなみに「チューリップ時代」と呼ばれるのは、ごくごく一時期に過ぎない。アフメト3世が大王(スルタン)に在位していた1716〜1730のほんの十数年(数十年ではなくて)。 『オスマン帝国』ではイスラム法(シャリーア)の下でときどきに応じていかにプラクティカルな治政が行われていたか概観できるし、『オスマン帝国の解体』では西洋と戦うために西洋化する過程で近代国家の枠組みはじめ西洋思想も入ってきて、それがオスマン帝国の解体に与えた影響がわかる(気がする)。 トプカプ宮殿のハレム(ギャルゲーの形容によく使われるハーレムはここから)って、最近Fate/G...

壊れゆく書の行方 - 書物の破壊の世界史

『書物の破壊の世界史』を読んだ。古今東西、天災/人災、意図的/偶発的、これまでに数え切れないほど繰り返されてきて、今もってなお反復され続けている書物の破壊についての本。 日本でも、 閣僚日程、11府省残さず 17年度から2年分「即日廃棄」も という記事が東京新聞に掲載されている。ほんの1週間前の2019年4月25日朝刊に。いわゆるモリカケ問題のあと、2017年12月に政府が 行政文書の管理に関するガイドライン を改訂したけれど、重要そうな情報が引き続き破棄されているように見える。 この事実を明らかにしたNPO法人「情報公開クリアリングハウス」が出しているニュースを遡ると、 1年未満保存の行政文書の廃棄凍結についての質問に「回答を控える」 大量廃棄再びか? に行き着く。これが2017年10月20日つまりガイドライン改定前。 ガイドラインの「第4 整理 3 保存期間」を読み解いてみる。この手の文書は改版を重ねるものだし参照関係が多いから、構成管理システムに入れてリンク貼って欲しい。2019年の改訂内容がよくわからない。そもそも前の版がちょっと探したくらいじゃ見つからない。保存対象とその期間を定めている(4)~(6)をかいつまんでみると、こうなる。 (4) 歴史公文書等に該当する行政文書は1年以上。 (5) 歴史子文書等に該当しなくても、意思決定過程や事務及び事業の実績の合理的な跡付けや検証に必要となる行政文書も原則1年以上。 (6) (4), (5) に当てはまらない文書は1年未満とできる。該当文書の例は次の7つ。 ① 別途、正本・原本が管理されている行政文書の写し ② 定型的・日常的な業務連絡、日程表等 ③ 出版物や公表物を編集した文書 ④ ○○省の所掌事務に関する事実関係の問合せへの応答 ⑤ 明白な誤り等の客観的な正確性の観点から利用に適さなくなった文書 ⑥ 意思決定の途中段階で作成したもので、当該意思決定に与える影響がないものと して、長期間の保存を要しないと判断される文書 ⑦ 保存期間表において、保存期間を 1 年未満と設定することが適当なものとし て、 業務単位で具体的に定められた文書 即日廃棄はやり過ぎだと断じたいけれど、『書物の破壊の世界史』を読んでいると維持・保管・公開の困難さも感じられる。というか残っている方がまれと...

遅ればせながら - キャプテン・マーベル

キャプテン・マーベルを見てきた。よくまとめられたな、これ。そう思わせる情報量だった。 MCU全体の中では、S.H.I.E.L.D結成前を描く前日譚に位置する。そのため眼帯をする前のフューリーや若きコールソンも登場する。アベンジャーズ3部作に対してインフィニティー・ウォーのポストクレジット映像を受けてエンド・ゲームで登場する必然性=フューリーとの縁を描く挿話にあたる。 MCUにおける女性ヒーローの代表格なので、社会的には女性のエンパワーメントの課題を描いてもいるし、マーベルコミック隆盛の立役者であり、マーベル者の顔であり、MCU通じてのカメオでもある、スタン・リーの遺作もである。本作での彼の映像の扱いがまた泣かせてくれる。 これだけつらつらと挙げたうえで、鑑賞後まっさきに思い浮かんだのが「ミズ・マーベル強い!」なのだけれど。 だってほらこのあとエンドゲームに出るわけでしょ? あのサノスを相手どるわけでしょ? インフィニティ・ウォーでのラストで突き落とされた絶望から再起するための一筋の光として見てしまうわけで。 というわけで、明日はエンドゲームを見てきます。見ないという選択肢には目もくれていないのだけれど、期待だけでなく不安も小さくなくて、持て余す日々に蹴りをつけたいと思い始めるくらいに待ち過ぎた。

ずっとおもしろい - 錆喰いビスコ 1, 2, 3

『錆喰いビスコ』の既刊3冊を読み終えた。愉快痛快熱い熱いアクションエンタメ。1巻からスケールを加速度的に上昇させながらも、しんみりするところではしんみりさせてくれる。特にミロの振る舞いに滂沱してしまった。というかボタボタ垂れるほど泣いてしまった。 そのままの勢いで3巻まで貫き通してくれるので、これから読むという人は安心してビスコに振り回されて欲しい。矢のように時間が過ぎていく。2巻以降はさすがに心の準備ができるようになったらしく、さっき書いたほど泣きはしなかったけれど、とんでもないところにまで連れていかれてしまった。 ビスコとミロ。2人の少年らはもちろん、彼らの周りの人々もとても魅力的。ビスコの育ての親であり師匠でもあるジャビとその相棒(ビスコの相棒でもある)アクタガワのコンビがたまらなく好き。飄々とした老爺がときにその身で身軽に、ときに巨大ガニの背に立ちながら、弓を引き矢を射るわけで、かっこよくないわけがない。 巻を追うにつれアクタガワがどんどんかわいく見えてくる、史上最高にカニが素敵な小説でもあるのでカニ好きにもおすすめ。

字と地 - 文字渦

字と地を巡る壮大な法螺話だった。 ふりがなで目一杯に遊んだ「誤字」と、{空白、一、口、門、日、問、閂、間}でXOR演算をする「天書」がお気に入り。註遊びがなかったのは『烏有此譚』で済んでいるからか。 特にふりがなに関しては、再び可能性を開いてくれたと思う。最近よく目にするのだとFateシリーズの宝具名。日本語で意味を表して読みが技の名前というのは、少年漫画では珍しくない。 技の名前に限らず、「本気と書いてマジと読む」とか「宇宙」を「そら」と読ませるとか、本文とふりがなの差を、そうすることでしか現れ得なかった意味として読み解こうとすることができたりして想像が膨らむ。 あるいは、仲間内だけで通じる言い回しをさせつつ、それを読者にも通じるようにするのにふりがなが使われているのを見たことがある。この場合だと仲間に入れてもらえたような親近感が出てくる。 今でこそ文字・読み・意味が三項組で扱われているけれど、昔は同じ読みなら異なる漢字を当てたりおおらかというかいい加減だったし、同フォントでも等幅でもなく感情が書き方と一体になっていたり(フォントでもサイズが変えられたりすることあるけれど)、したのだよなあ。 もちろん、今のように辞書=メタデータが整備されている方が、時間の変化に耐えられるだろう。でも、趣味の領域ではもっと儚い、小説的でタイポグラフィー的で書的なものがあってもよいか。もっと自由でよいか。なんて思う。 あるいはそれは中〜長篇の手書きの詩なのかもしれないのだけれど。

面と箱 - ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代

国立西洋美術館に行って『ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代』を見てきた。 会場となる建物を設計したのもル・コルビュジエなので、作品の中に作品が展示されている入れ子構造がおもしろい。解説からではなかなかイメージできない、そこに立ったときのことの印象を得られるのも大きい。特徴については美術館が公開している 美術館の建物 が入手容易でわかりやすいと思う。 『コルビュジエさんのつくりたかった美術館』 も平易な絵本。しかし意外と濃くて、もしコルビュジエが今の国立西洋美術館を見たらどう思うことだろう? という批判的な視点もあったりする。 展示品の多くを占めていたのは、建物ではなく絵画に関する作品だった。サブタイトルの「ピュリスム」という言葉も、彼が画家オザンファンと興した芸術運動の呼び名。キュビスムを超えることが意図されていて、キュビスムでは感覚的に配置されている複数の視点からの像が、ピュリスムでは幾何学的に構成されている。コンセプトを共有しているだけに、差異が目立っていたように思う。ル・コルビュジエが俯瞰なのに対してオザンファンが水平だったのが、対照実験のようだった。 最後に展示されていたサヴォワ邸の模型を見て、前半に展示されていた「最初の絵」――『暖炉』の上の立方体を思い出させる。丘とサヴォワ邸のようでもあり、サヴォワ邸の屋上庭園と出入口部分ようでもある。 前後の作品や設計思想をもう少し知りたかったので 『再発見 ル・コルビュジエの絵画と建築』 も読んでみた。31歳のときに片目の視力を失っていたことと、建築は中を歩き回って様々な視点から味わうものだと言っていたことの関係が示唆されたところで、天井の低さを思い出す。自分は少し圧迫感を感じたのだけれど、片目だと遠近感が失われるので感じなかったかもしれない。 行ったのは、かれこれ一月ほども前( 3/23 )だけれど、5/19まで開催されているので興味があるのならぜひ。