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壊れゆく書の行方 - 書物の破壊の世界史

『書物の破壊の世界史』を読んだ。古今東西、天災/人災、意図的/偶発的、これまでに数え切れないほど繰り返されてきて、今もってなお反復され続けている書物の破壊についての本。

日本でも、閣僚日程、11府省残さず 17年度から2年分「即日廃棄」も という記事が東京新聞に掲載されている。ほんの1週間前の2019年4月25日朝刊に。いわゆるモリカケ問題のあと、2017年12月に政府が行政文書の管理に関するガイドラインを改訂したけれど、重要そうな情報が引き続き破棄されているように見える。

この事実を明らかにしたNPO法人「情報公開クリアリングハウス」が出しているニュースを遡ると、1年未満保存の行政文書の廃棄凍結についての質問に「回答を控える」 大量廃棄再びか?に行き着く。これが2017年10月20日つまりガイドライン改定前。

ガイドラインの「第4 整理 3 保存期間」を読み解いてみる。この手の文書は改版を重ねるものだし参照関係が多いから、構成管理システムに入れてリンク貼って欲しい。2019年の改訂内容がよくわからない。そもそも前の版がちょっと探したくらいじゃ見つからない。保存対象とその期間を定めている(4)~(6)をかいつまんでみると、こうなる。
(4) 歴史公文書等に該当する行政文書は1年以上。
(5) 歴史子文書等に該当しなくても、意思決定過程や事務及び事業の実績の合理的な跡付けや検証に必要となる行政文書も原則1年以上。
(6) (4), (5) に当てはまらない文書は1年未満とできる。該当文書の例は次の7つ。
① 別途、正本・原本が管理されている行政文書の写し
② 定型的・日常的な業務連絡、日程表等
③ 出版物や公表物を編集した文書
④ ○○省の所掌事務に関する事実関係の問合せへの応答
⑤ 明白な誤り等の客観的な正確性の観点から利用に適さなくなった文書
⑥ 意思決定の途中段階で作成したもので、当該意思決定に与える影響がないものと して、長期間の保存を要しないと判断される文書
⑦ 保存期間表において、保存期間を 1 年未満と設定することが適当なものとし て、 業務単位で具体的に定められた文書

即日廃棄はやり過ぎだと断じたいけれど、『書物の破壊の世界史』を読んでいると維持・保管・公開の困難さも感じられる。というか残っている方がまれとせ言える。使い終わった文書のアーカイブは、日常業務に比べれば明確に不要不急だ。しかも必要とするのは行政サイドではなくて国民サイド(行政する人も国民だけれど慣例的に)。しかも、行政が適切に行われていない場合に検知するためのリスクヘッジであり、このために税金が上がっても日常的に提供される行政サービスはよくならない。

まったくのノーアイディアなのだけれど、うまく回る仕組みを育てていけないものかなぁ。

こういう問題が取り沙汰されるようになっただけ、悪くはなっていないのかもしれないけれど。改定前のガイドラインは(6)にノータッチだったので。

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