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ここ半年に読んだ本

ゲームしてVOICEROID実況動画を作り始めたら、本を読む時間が削れてしまった。ゲーム自体はもちろん、話を考えるのも楽しくて。

それでもちまちま読んでいるので、簡単に思い返してみる。まずは小説。


XI(下)で完結した〈境界線上のホライゾン〉シリーズの続編。
カクヨムで連載中だけれど、自分は紙でまとまって読む方が合う。
十本槍の違った姿が見られて、朱に交われば赤くなるというか、血は水よりも濃いというか。血じゃなくて毛か。

こちらは新シリーズ。これもカクヨムで連載中だけれど(以下略)。
主人公らしからぬ感じの主人公の一人称が、このままで大丈夫か? と目が離せない。

話としては4の続き。今回も熱い。

SF短篇集。意外と叙情的だった。表題作がいちばん好み。

SF百合ホラーの続き。日常から地滑りで世界がおかしくなる怖さよ。とくに宿のエピソードが如実に想像できてしまって、つい思い出してしまう。

大進化どうぶつデスゲームの続き。

話題になった中国SF。ばっちりエンターテインメントしてた。続刊の邦訳が待ち遠しい。

書架の探偵
SF。図書館で著者がクローンとして存在する世界の物語。メタレベルでもおもしろい重層的な造り。

WWシリーズ2,3冊目。SFミステリ。ミステリ? アンチミステリィかも。本筋よりもグアトの思考・発想に触れられるのがありがたい。

中国ミステリ。ある種の危うさがたまらない。

グッド・オーメンズ
英国ジョーク。

こっから文庫とか一般書籍。


Elite Dangerousの影響で宇宙についての本を読んでみた。変化の過程の話まで想像するのがなかなか大変。他の生命が、過去存在したことなく、未来永劫現れない、なんてことはないのだろうな、と漠然と思い耽る。
哲学の本『世界は存在しない』みたいなタイトルだけど、こちらは物理の本。時間と空間が基準で速さは距離(空間)と時間の比だというのが日常的な感覚だけど、量子力学的には基準は光の速さ。電子の存在が確率密度関数だったことがわかったように、時間も(少なくとも日常的に感じられるそれとしては)存在しないのでは? みたいな話。時間を感覚できるのはなぜか? みたいな話にも触れる。ここ半年と言わず、今まで読んだポピュラーサイエンス本の中でベスト級。

Sniper Eliteの影響で。


とこんなところ。

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