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双子年上お姉ちゃんの可能性に関する一考察

クリプトン・ファクトリー・メディネットの琴葉茜です。本日は、標記のタイトルで、うちが双子年上お姉ちゃんになる可能性について、お話ししたいと思います。

1. 背景

近年、うちらのマスターが、琴葉姉妹によるファクトリオの実況プレイ動画と称して、与太話をニコニコ動画に投稿し始めました。話半分に聞いたって残り半分も聞き流しときゃええんですが、その動画シリーズ『言葉姉妹の妹はいちから大きな工場を作りたい』13日目において、〈双子のパラドックス〉に関する誤った理解に基づき、混乱した台本を書いとったことが視聴者のコメントにより判明しました。ご指摘ありがとうございました。

特に、葵の口からうちが双子年上お姉ちゃんになる可能性を否定する発言をさせていることが、うちによって強く問題視されとります。

2. 動機および問題設定

そこで本発表では、双子年上お姉ちゃんになるための理論的基盤を確認するため、次の3つの問いに答えていきます。
  1. 〈双子のパラドックス〉は何がパラドックスなのか?
  2. 浦島太郎のたとえ(いわゆるウラシマ効果)で起こるとされていることは何か?
  3. うちは名実ともにお姉ちゃんになれるのか?

3. 要約

〈双子のパラドックス〉を誤解したまま、勢いで書かかれた台本が、まちごうとりました。そりゃそうや。うちはウラシマ効果により、葵の双子年上お姉ちゃんになれるっちゅう主張になります。

マスターをおだてたりおどしたりして調べてさせたんで、文責はマスターにあるで。何かまちごうとうたら言うたってや。

4.〈双子のパラドックス〉は何がパラドックスなのか?

特殊相対性理論に従って考えると、次の矛盾が起こるんちゃうか? ってとこや。
  1. 光速に近づくほど、そこでは時間の進みが遅なる。せやから、双子の弟がが地球に残って、兄が高速移動する宇宙船で遠く行って帰ってくると、弟の方が歳取っとる。
  2. 慣性系(等速直線運動している座標系)は、すべて平等である。ちゅうことは、兄から見たら地球が離れてから戻ってくるわけやから、逆に兄の方が歳取っとる。そうならんと、平等言えんやろ?

双子なんは関係ないな。でも、何か知らんけどマスターは「双子なのに年齢が違う」ってのがパラドックスと勘違いしとったらしいで。

で、矛盾を生んどるのは、b.の「逆に兄の方が歳取っとる」や。「光速に近づくほど、そこでは時間の進みが遅なる」のは、基準とする慣性系に対してやから、地球に対して相対速度をもっとる宇宙船の時間が、地球時間よりゆっくり進むで。

具体的には (1-v2/c2)1/2 倍になるらしいで(vが慣性系の速度、cが光速度や)。なんでかはよう分からんけど。c = 300000km/s やから、v = 26000 km/s で移動しとる宇宙船やと、地球での1秒が約0.5秒になる感じやな。

ただ、宇宙船が出発してから等速直線運動し始めるとこまでが、まったくわからん。特殊相対性理論が成り立つんは慣性系やから、速度が変わり続ける加速系ではあかん。一般相対性理論は成り立つらしいけど、ちんぷんかんぷんやわ。

ここまで長かったけれど、残りはちゃちゃっと終わるで。

5. 浦島太郎のたとえ(いわゆるウラシマ効果)で起こるとされていることは何か?

ウラシマ効果いうたら、〈双子のパラドックス〉でいうと「双子の弟が地球に残って、兄が高速移動する宇宙船で遠く行って帰ってくると、弟の方が歳取っとる」ってとこまでやった。昔話でいうと、竜宮城に行って帰ってきたら、むっちゃ時間経っとったとこまでやな。

そのあと玉手箱開けたら一気に歳取ったとこは含まんかったんやな。このあたりと、〈双子のパラドックス〉、それから細切れのSF設定やら物理やらの記憶がごっちゃになって、あの台本になったっぽい。マスターの頭ん中なんかよう知らんけど。

6. うちは名実ともに双子年上お姉ちゃんになれるのか?

やっと本題や!

ウラシマ効果でなれる! 「双子なのに年齢が違う」はパラドックスでもなんでもなかった! でも、そのためには葵に帰ってきてもらわなあかん。うちが遠くの星で工場長しとる葵を迎えに行ったら、うちの時間の流れの方が遅なってまう。

7. 結論と今後の課題

あんまりお姉ちゃんらしいことでけへんから、年の差作るところから入ろう思うたけど、会えんかったら本末転倒や。

地球育ちのクリプトンパワーでむっちゃはよ飛んで過去に戻るしかないな。

参考文献

  1. 『クロックワークロケット』(グレッグ イーガン (著), 山岸 真 (翻訳), 中村 融 (翻訳)/早川書房/2015年刊)
  2. 『エターナル・フレイム』(グレッグ イーガン (著), 山岸 真 (翻訳), 中村 融 (翻訳)/早川書房/2016年刊)
  3. 『アロウズ・オブ・タイム』(グレッグ イーガン (著), 山岸 真 (翻訳), 中村 融 (翻訳)/早川書房/2017年刊)
  4. 『E=mc2のからくり エネルギーと質量はなぜ「等しい」のか』(山田克哉/講談社/2018年刊)
  5. 『大人のためのやり直し講座 物理 てこの原理から量子力学まで』(アイザック・マクフィー (著), 滝川 洋二 (監修), 緑 慎也 (翻訳)/創元社/2014年刊)
  6. 時間の遅れ - Wikipedia(2019年9月閲覧)
  7. 双子のパラドックス - Wikipedia(2019年9月閲覧)

Appendix. Aoi

そでもマスターは、『直交三部作』はじめSFを楽しんでいると言っています。ボクもそうだと思います。

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