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オスマン帝国と現代トルコ、近代化 / オスマン帝国 500年の平和、オスマン帝国の解体、トルコ現代史

『トルコ至宝展』を皮切りに、『オスマン帝国 500年の平和』『オスマン帝国の解体』『トルコ現代史』と現トルコを中心とした地域の歴史を駆け抜けてみた。この地域、西にヨーロッパ、北東にロシア、南東にイランとイラク、南にシリア、地中海を挟んでエジプトと、なかなか凄まじい配置。

オスマン帝国の解体にせよ、現代トルコの抱える問題にせよ、近代に西洋でイデオロギー化された「民族」の概念が大きな役割を果たしているように見える。トルコ共和国は建国の際に民族主義も掲げらけれど、そこに住んでいるのはトルコ人だけではない。クルド人もいる。

一方、オスマン帝国ではスルタン(大王)とシャリーア(イスラム法)のもとで多民族が暮らしていた。他の宗教を信仰していても、ズィンミー(被保護民)として貢納の必要こそあったものの、その宗教生活を送ることもできていた。民族の違いが今ほど大きな違いと認識されていなかったように見える。

宗教についてもトルコ建国時に『世俗主義』が掲げられている。これはいわゆる政教分離より踏み込んでいて、社会や国民の脱宗教家までをも目指していた。2008年になってようやく女性が公的な場でスカーフを身につけてもよいことになったくらい。

オスマン帝国の方がよかったとかそういう話でなくて、あまり考えたことのなかった切り口を知れたという話。政教分離されているべきかどうか?、一国家の中に複数の民族がいるから問題が生じているのか? 近代国家ってなんなんだろうね?

次はオスマン帝国とほぼ同時期に渡って存在したハプスブルク帝国について調べてみるつもり。こここも民族と宗教と近代化の問題によって解体されたようだけれど果たして。

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