字と地を巡る壮大な法螺話だった。
ふりがなで目一杯に遊んだ「誤字」と、{空白、一、口、門、日、問、閂、間}でXOR演算をする「天書」がお気に入り。註遊びがなかったのは『烏有此譚』で済んでいるからか。
特にふりがなに関しては、再び可能性を開いてくれたと思う。最近よく目にするのだとFateシリーズの宝具名。日本語で意味を表して読みが技の名前というのは、少年漫画では珍しくない。
技の名前に限らず、「本気と書いてマジと読む」とか「宇宙」を「そら」と読ませるとか、本文とふりがなの差を、そうすることでしか現れ得なかった意味として読み解こうとすることができたりして想像が膨らむ。
あるいは、仲間内だけで通じる言い回しをさせつつ、それを読者にも通じるようにするのにふりがなが使われているのを見たことがある。この場合だと仲間に入れてもらえたような親近感が出てくる。
今でこそ文字・読み・意味が三項組で扱われているけれど、昔は同じ読みなら異なる漢字を当てたりおおらかというかいい加減だったし、同フォントでも等幅でもなく感情が書き方と一体になっていたり(フォントでもサイズが変えられたりすることあるけれど)、したのだよなあ。
もちろん、今のように辞書=メタデータが整備されている方が、時間の変化に耐えられるだろう。でも、趣味の領域ではもっと儚い、小説的でタイポグラフィー的で書的なものがあってもよいか。もっと自由でよいか。なんて思う。
あるいはそれは中〜長篇の手書きの詩なのかもしれないのだけれど。
ふりがなで目一杯に遊んだ「誤字」と、{空白、一、口、門、日、問、閂、間}でXOR演算をする「天書」がお気に入り。註遊びがなかったのは『烏有此譚』で済んでいるからか。
特にふりがなに関しては、再び可能性を開いてくれたと思う。最近よく目にするのだとFateシリーズの宝具名。日本語で意味を表して読みが技の名前というのは、少年漫画では珍しくない。
技の名前に限らず、「本気と書いてマジと読む」とか「宇宙」を「そら」と読ませるとか、本文とふりがなの差を、そうすることでしか現れ得なかった意味として読み解こうとすることができたりして想像が膨らむ。
あるいは、仲間内だけで通じる言い回しをさせつつ、それを読者にも通じるようにするのにふりがなが使われているのを見たことがある。この場合だと仲間に入れてもらえたような親近感が出てくる。
今でこそ文字・読み・意味が三項組で扱われているけれど、昔は同じ読みなら異なる漢字を当てたりおおらかというかいい加減だったし、同フォントでも等幅でもなく感情が書き方と一体になっていたり(フォントでもサイズが変えられたりすることあるけれど)、したのだよなあ。
もちろん、今のように辞書=メタデータが整備されている方が、時間の変化に耐えられるだろう。でも、趣味の領域ではもっと儚い、小説的でタイポグラフィー的で書的なものがあってもよいか。もっと自由でよいか。なんて思う。
あるいはそれは中〜長篇の手書きの詩なのかもしれないのだけれど。