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咲いた咲いた - トルコ至宝展、オスマン帝国、オスマン帝国の解体

国立新美術館で開催されている(~5/20)『トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美』を見てきた。豪華絢爛な宝飾が施された水筒やらチューリップ用の一輪挿し(ラーレ・ダーン)やら日本との輸出された巨大な陶製の壺やら、予想だにしないものが出てきて楽しい。あと、正しくは新月だけれどそのまま表せないから三日月なのだという解説が地味に衝撃だった。

1900年代の物も展示されていて
オスマン帝国の栄華を今に伝える至宝約170点が、イスタンブルのトプカプ宮殿博物館から来日!
見どころ|トルコ至宝展 トルコ文化年2019|2019.3.20(水)〜5.20(月)国立新美術館より
というわりに随分と最近に感じられて調べてみたら、オスマン帝国って第一次世界大戦に参加していて1918年に連合国に降伏するまで存在していたのね。頭にターバンを巻いているスレイマン大帝のイメージで止まっていたよ……。〈境界線上のホライゾン〉シリーズにも出ていたということはその頃の日本は戦国時代だな、くらいの雑さだよ……。

というわけで『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』を読んで、『オスマン帝国の解体 文化世界と国民国家』を読んで、『トルコ現代史 - オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで』まで読み始める始末。

『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史』の「600年」に怖じ気づきかけたけれど、読み始めたらおもしろくて歴史を追いかけてしまっている。「オスマン・トルコ」と聞くし、その側面もなくはないのだけれど、5世紀に渡り存続して最大時にここまで(オスマン帝国の最大領土(1683年))版図を広げた一大帝国がそんな単純なわけもなく。ちなみに「チューリップ時代」と呼ばれるのは、ごくごく一時期に過ぎない。アフメト3世が大王(スルタン)に在位していた1716〜1730のほんの十数年(数十年ではなくて)。

『オスマン帝国』ではイスラム法(シャリーア)の下でときどきに応じていかにプラクティカルな治政が行われていたか概観できるし、『オスマン帝国の解体』では西洋と戦うために西洋化する過程で近代国家の枠組みはじめ西洋思想も入ってきて、それがオスマン帝国の解体に与えた影響がわかる(気がする)。

トプカプ宮殿のハレム(ギャルゲーの形容によく使われるハーレムはここから)って、最近Fate/Grand Orderで扱われた江戸城の大奥みたいだなあ、とか他にもいろいろと調べてみたいことが出てきたしばらく楽しく過ごせそう。

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