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有料の匣 - 人工地獄 現代アートと観客の政治学

『人工地獄 現代アートと観客の政治学』を拾い読み。読破を試みたけれど、知らない名前やわからない用語が多過ぎたので途中でスキップ。

おどろおどろしいタイトルが目に留まって、怖いもの見たさで読んでみたら、思いがけず硬い本だった。現代アートのうち参加型アートの鑑賞や批評がテーマ。中心となる課題は、「参加型アートを語るための方法を見出すこと」。後半になると教育や政治の話題が前面に出てくる。

本文でも説明されているけれど、各章は3つに大別される。前半2章までが概論や歴史で、3〜6章が比較的新しい作品を取り上げてのケーススタディ、7章以降は総括的な内容が書かれている。

スキップしたのは3〜6章。でもそれなりには楽しめた。演じられるアート(参加型アートやインスタレーションなど)の生まれが、制作後に展示されるアート(絵や彫刻など)と対置されていて、そもそも源流から異なっていて直接の祖先は演劇という話なんか好奇心をくすぐってくる。

中心課題もブレイク/ドリルダウンされると、現代アートに限らず広く応用できる課題になっていた。参加者しか語れないのか? 直接、鑑賞した人までか? 間接的にはどのように鑑賞し得るか? つまりどうアーカイヴされるのか? といった疑問に分解されていく。これは翻せば、参加者は鑑賞者なのか? という問題でもある。

自分の狭い見聞では、「ブラックボックス展」が警察まで必要となる問題となったのが記憶に新しい。基準を明らかにしないまま参加者を選別し、内容を口外しないよう誓約させ、料金を取り、説明も不十分なままただの真っ暗闇に放り込んで、結果として性犯罪が起きた(ここで書ける範囲は「被害が警察に訴えられ、被害者連絡会が結成され、主催者と会場提供者が訴訟された」までか。語りにくさが甚だしい。

語ることについてだけでなく、本書で扱う問題がことごとく出ている。犯罪の温床を作ったという倫理の問題にも、口コミで集客・集金を企図したという資本主義化(参加型アートは、モノの作品展示が商品陳列化していることへの反発から、アンチ資本主義的な生い立ちがある)の問題にも紙幅が割かれている。本書では、難民を参加させ命に関わりかねない状況を意図的に作り出したケースや、アンチ資本主義的な意図を込めてお金を払って同意のうえでパフォーマンスとしてただ立っていてもらうという倒錯したケースが紹介されている。

じゃあ倫理的に真っ白で利益第一ではないものこそアートだと言っているのか、というとそんなわけもなく、それでは何の動揺も起こせないし(特に貧しい人が多い国では)立ち行かない。

あともう一つ倫理的問題の別の側面として、真実味や偶発性を増すためにアマチュアに参加させつつ、状況をコントロール(とくに演出)することのバランスの問題もある。

終盤には、教育・政治・エンターテイメント(リアリティー番組)にまで話が広がるのだけれど、もう完全に消化不良以前、噛み砕けもしないので、このあたりで。

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