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鯉コレ - こいのぼりなう!

『ビュールレ・コレクション』を見に行ったら、『こいのぼりなう!』というインスタレーションをやっていたので覗いてみた。

無料だからともののついでに入ってみるもので、心地よい空間が広がっていた。大部屋の中空を、抽象化されたこいのぼりが弧を描いて泳いでいる。床には例の「人をダメにするクッション」が飛び石のように並べられているから、深く腰掛けて(あるいは思い切って寝そべって)こいのぼりをゆったりと仰ぎ見られる。

頭上をかすめていくよう。

下の方を泳いでいるこいのぼりの中をのぞくこともできる。ヤッホーと言いたくなる (言わないけれど。土管じゃないから響かないし)。同じアングルで何枚か撮っている中に、たまたま通りがかった人の頭がぴったり収まっているのがあって、おもしろかったのだけれど自重(撮影・SNSへの投稿推奨の空間とは言え)。

複数の光源が落とす影もおもしろい。

こいのぼりを導き光の中に消えゆく御遣いと、それを見送る門番 (ではない)。

見るだけではなく最奥のパーティションの向こうでは、色とりどりのこいのぼりに使われている素材を触ることができる。素材と手触りの関係には軽いこだわりがあるのでうれしい。こだわりといっても百均やホームセンタで見かける、レンガや本棚の写真がプリントされたツルツルのリメイクシートが気に入らないというだけなんだけれど。見た目だけで羊頭狗肉にさえ至っていないのも気に入らないし、立体感を出すために印刷された影が動かないのも気に入らない。CGテクスチャだって光源に基づいて影が処理されているというのに。そういう理由なので、触らない場所に影が落ちないタイプが使われているのは、ほとんど気にしない程度のこだわり。

被害妄想めいているけれど「視覚、聴覚、味覚、嗅覚はそれぞれ絵、音楽、料理、香水と単独でコンテンツが存在するけれど、触覚ってなんかあったっけ。触覚って軽んじられてない?」と考えていたら、触覚は単体で知覚困難だと思い当たったり、『特別展「人体」』で見たペンフィールドのホムンクルスを思い出して触覚が敏感なところを思い出してみたり、そう言えば寝具は目を閉じて使うから触覚が重要だと気がついたり、寝具だけでなくチェアー・ソファーも見映えの良さだけでなく座り心地が重視されるなときて、あ! この展示のクッションのカバーもいろいろな布だったらおもしろかったかも(あちこち移動したくなって何が主役がブレちゃうか)。

とようやく話が辛うじて戻ってきたと言えなくもないのでこのあたりで。

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