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陥落の歓楽 - エンド・オブ・ホワイトハウス、エンド・オブ・キングダム

『エンド・オブ・ホワイトハウス』と、その続編『エンド・オブ・キングダム』を見た。原題はそれぞれ、"Olympus has down", "London has down"。Olympus/オリンパス=ホワイトハウスというのはピンと来ないから変え方に納得。二作目は『エンド・オブ・ロンドン』でもよくないかな。キングダムだと王国ということくらいしか伝わってこない。

アクション満載で、いい意味でポップコーン・ムービー。「エンド・オブ・~」なんてまた大袈裟な。どうせ煽り文句でしょうと思ったら、ちゃんと陥落させられたので逆に意外だった。主人公はシークレット・サービス。一作目はホワイトハウスに捕らえられた大統領の救出ミッション。二作目はロンドンからの脱出ミッション (やっぱり最後には捕まって救出することになるけれど)。

どちらかと言えば、二作目の方が好み。まずスケールが大きい。バッキンガム宮殿前で銃撃戦が繰り広げられたかと思えば、ロンドン橋が崩れ落ち (ローンドン橋落ちた♪ のメロディーが頭の中で再生される)、市民を屋内に誘導するために空襲警報が鳴り響く (コニー・ウィリスの『ブラックアウト』と『オール・クリア』を思い出す)。アクションのバリエーションも豊富になっている。市街地での銃撃戦にカーチェイス、それから潜伏場所への潜入。

あと、敵にきっちりトドメを刺していってくれるので後腐れがなくてよい。気絶させただけで銃も奪わずに敵を残していかれると、映画などではそういうものだと頭ではわかっていても、無性に気になる。そいつが思ったより早く意識を取り戻して背後から撃たれる可能性を考えたりしてしまう。そういうお約束をネタにしたコメディなんかあったりして。

設定や脚本へのツッコミどころは、エンターテインメント重視の作品だからと流せるのだけれど。フールプルーフが不十分だったり、脱出の最中に敵にから奪った通信機で宣戦布告し、あまつさえ大統領も一緒だと宣言してしまったり。大統領も「言ってやれ」とノリノリなのには、さすがに笑ってしまった。いやいや、所在をバラすなよ。

最後に余談かつ本作に限らない話。敵が旧ソ連と関係ないあたり最近の作品だよなあ、と感じる。次の敵は火星人かな? [1]

[1] 今日はエイプリルフールだと気がついたので、嘘予想。ちなみに元ネタは1938年に『宇宙戦争』のラジオ放送として、火星人の襲来を偽ニュースとして流したところ、問い合わせが殺到したこと。詳しくは「宇宙戦争」、パニックはなかった? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト参照。

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