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&シガレッツ - コーヒーの科学

コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか (ブルーバックス)『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』を読んだ。予想を遙かに上回る濃さだった。コーヒーの様々な面――植物としての特徴、普及の歴史、焙煎方法・抽出方法の変遷、分析的アプローチで迫るおいしさ、健康への影響――に光が当たっている。

どの話にも好奇心を掻き立てられたけれど、覚えておこうと思ったのはやっぱり淹れ方に関する話。

お湯の注ぎ方で味が変わるのは経験則として知っていたけれど、その理論モデルが紹介されていたのが目から鱗だった。それから、茶こしやふるいにかけて、微粉を取り除くのは試してみようと思っている。どうやると美味しく淹れられるか、よく言われていることは調べてはいたけれど、理論的背景があるとないとでは納得感が違う。

なお、「草稿を大幅にカット」してこれらしい。草稿読んでみたいなぁ……。

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『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

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