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livingstone - 第19回文化庁メディア芸術祭

先日『第19回文化庁メディア芸術祭』を観てきた。

遠未来にメッセージを残すために石にメッセージを刻むアートCommunication with the Future – The Petroglyphomatを見て、QRコードで故人を偲ぶ墓石を思い出して、非アートの方がロックだなと思う。石だけれど。

上記Wiredの記事からもリンクされている日本のハイテク墓参り:骨壷呼び出しシステムとネット参拝の通り、日本でもQRコードやRFIDを使った墓石があるようだ。ググるとWebお墓参りサービスも見つかる。

これらのサービスの継続性にははなはだ疑問だが、笑えない冗談でない。将来的にデータにアクセスできなくなる可能性は深刻な問題になる。『角川インターネット講座1 インターネットの基礎』では〈ビット腐れ (bir rot)〉と呼ばれていた。身近な例でいうと、思い出の写真や曲のデータを再生できなくなるリスクがあるということ。原因はいくつも考えられる。パッと思いつくだけでも、
  • 保存しているメディアの劣化 (CD-RやSDカード類の寿命は存外短い)。デジタルデータ自体は
  • 保存しているメディアが生きていたとしても、再生機器/アプリケーションの入手不可(今からレコードやMDの再生環境をそろえるの大変だよね?)
  • メディア管理を抽象化するクラウドストレージサービス (Google PhotoやiCloud、One Driveなど) の終了。企業の存続年数を考えると、子々孫々まで伝えるには心許なくない?
が挙がる。そう言えば、大賞を勝ち取った50 . Shades of Greyも同じ問題を扱っている。

でも、そんな先のことなんか普段は考えないよねぇ (行動経済学では双曲割引としてモデリングされている)。そう考えると普段は落ち着いて考えると不合理な選択をしていることが、ストンと腑に落ちる。石だけに(言いたかっただけ)

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