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誰を誰が見張るのか - 1984年

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)『1984年』を読んだ。名作古典とかクラシックと呼ばれる類のSF小説。本書に出てくる「ビッグブラザー」という名前は、全体主義化や監視社会化を警告する話でしょっちゅう言及される。

その辺りの関連性について、自分もいろいろと考えた。というか考えさせられた。今読んでも色褪せていないというか、技術の進歩でより現実味が増してきた。でも、ビッグブラザーのような権力や思想警察という組織それからテレスクリーンという監視装置がなくても、全体主義的で相互監視されるコミュニティはどんどん生まれているよなぁ、と思う。

平たくいうと、ネットDE真実、バカッターとクソリプ、それからネットワーク外部性の話。

人は確証バイアスがあるから、見たい情報ばかり見る。事実かデマかはあまり問われない。そして、需要があれば供給される(そして広告収入を得る)。『統計でウソをつく法』が示すように客観的な根拠がありそうなデマを作るのは難しくない。そりゃ、ネットDE真実が見つかるわけだ。だから、ビッグブラザーが常に正しいように情報操作しなくたって、人は自分の真実を脅かさない情報ばかり集めて、同じ真実を信じる人ばかりで集まっていく。

人には自己顕示欲があるし注意力は有限だから、わざわざ監視したりしなくても自分でボロを出してしまうと思う。明らかに違法だったり社会規範を無視した行為を自慢するバカッターは、その極端な例。バカッターに限らず、不特定多数に情報を開示している以上、自分の知らない文脈では問題視される可能性がある。そして、その可能性は自分が漠然と想像しているよりずっと高いと思う(具体的でないリスクを過小評価しがちなバイアスがある)。その一定数以上の目に触れると文脈や酷い時には誤解・曲解さらには元の内容とは無関係のクソリプが飛んでくるらしい。思想警察なんてわざわざ作らなくても、勝手にその役を買ってくれている人がいるわけだ。言葉狩りなんかもこの種の手合いだろう。

じゃあ、SNSとか使わない方がいいんじゃないかとも思うけれど、それはそれで不便だ。SNSはサービスの質とは別にユーザーが多いこと自体が大きなメリットをもたらしている(ネットワーク外部性がある)ので、肥大化傾向が避けられない。最初は相互利益をもたらしあえる小数で始まっても、規模が大きくなってくるとメリットだけを享受しようとする層が入ってくるだろうし、さらに育てばみんな使っているからという理由で入ってくるだろう人も出てくるだろう。

それに何より、こういう有形無形の圧力への自衛策として何も言わないというのは、言論統制されているのと同じようなものではないか、とそう考えてしまう。

このあたり『帝国』で描かれている〈マルチチュード〉が違う世界を描いているんだろうな、と間接情報から類推するしている(けれど、厚さに負けていまだに読めていない)。

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