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prepper's high - この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた

この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』を読んだ。

本性には、世界が滅亡した後、生き延びて科学文明を再構築するために必要な知識について書かれている。世界滅亡のシナリオは、人口は激減したけれど各種の資源は使える事態を想定している。つまり「19XX年、世界は核の炎に包まれた!」というヒャッハーな世紀末は想定していない。

思いの他に原始的といわないまでも近代化以前の人力や牛馬の力に頼った――だからこそ現在では失われがちな――知識に紙幅が割かれている。映画『バトルシップ』でとうの昔に引退した戦艦ミズーリを、老兵が動かすシーンを連想した。電力網が失われても生き延びようと思うと、今この時も享受しているインターネットはもちろん、電力を消費する道具が軒並み使えなくなる事態が想定されるからだ。

印象的だったのは、都市を出た方が生存確率が上がると言っているところ。滅亡直後であればしばらくは残された物資に頼って生きていけるかもしれないけれど、それが尽きると生産手段がないため持続可能性に欠けるというようなことが書かれていた。都市に人が集まる一方で都市それ事態には人を生かす機能を欠いているということだ。この問題って日本でより顕著なんじゃないだろうか。確か、東京の都市圏の人口密度は世界有数だったはず。

本書では触れられていなかったけれど、都市を出るのはいいけれど出た先のコミュニティとの軋轢とか社会的な問題が面倒そうだなぁ。「面倒」で片付けていいのかという疑問も湧くけれど、生存本能が強くない自覚があり、生きるのが大変になったらへこたれてしまいそう。生きていく自信が皆無(というネガティブな自信に満ちあふれている)。

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