『ブギーポップ・チェンジリング 溶暗のデカダント・ブラック』を読んだ。
支配しているように見える側が、実は支配されているように見える側に支配されているという趣旨の文があって、『殺竜事件』でも同じような事が述べられていたのを思い出した。
支配するためには対象を理解しなければならない。逆に支配される側は支配する側を理解しなくてよい。もっと言えば、する必要がない。あるいは、できないのかもしれない。そんな話だったと記憶している。確かにそういう状態なら、より心を砕いているのは支配者の方になる。支配者は孤独だ。
ただ、支配者の目的が、後先を考える必要が無い目的なら、例えば支配対象を巻き添えにした自滅なら、騙し討ちでも何でも一時でも支配権を握れば達成できてしまいそう。何だか恐い想像だけれど。
支配しているように見える側が、実は支配されているように見える側に支配されているという趣旨の文があって、『殺竜事件』でも同じような事が述べられていたのを思い出した。
支配するためには対象を理解しなければならない。逆に支配される側は支配する側を理解しなくてよい。もっと言えば、する必要がない。あるいは、できないのかもしれない。そんな話だったと記憶している。確かにそういう状態なら、より心を砕いているのは支配者の方になる。支配者は孤独だ。
ただ、支配者の目的が、後先を考える必要が無い目的なら、例えば支配対象を巻き添えにした自滅なら、騙し討ちでも何でも一時でも支配権を握れば達成できてしまいそう。何だか恐い想像だけれど。