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Expected - サイタ×サイタ

サイタ×サイタ (講談社ノベルス)Xシリーズ5作目『サイタ×サイタ』を読んだ。

真鍋と鷹知との間で交わされた、ミステリィの読み方についての会話が面白かった。メタだ。ミステリィの作中でミステリィの読み方について話しているのだから。

会話の中心だったのは「誰が犯人か考えながら読むこと」。自分は考えない。考えずに読んで素直に驚いた方が、面白い。考えて分かってしまったら、続きが答え合わせになっちゃうし、逆に分からなかったらストレスになるから、考えてもいいことなくない?

でも、暗黙のルール[1]が存在して登場人物が限られているから、たまにふと気がついてしまう。鷹知が「考えないというのは、あるときは、考えることよりも難しいんだよね」と言う通りだ。登場人物それぞれの考えを読みながら、自分だけは考えないのは難しい。それに、「選択肢が限られていて、答えが用意されている」というミステリィのシチュエーションは、とても考えてしまいやすい。

現実の問題は対照的だ。選択肢は把握しきれなくて、考える材料も不十分。でも、限られた時間で答えを出さないといけない。ページを捲る手を止めて、時間を稼ぐようなことはできない。そして、結果が良かったのか悪かったのかもよく分からないまま。

あるいは、問題から期待される答えがない。多彩な評価軸上での位置があるだけで。

さて、次で最終巻[2]。最後はどうするのかな。何かビックリする仕掛けがあるのかな。あると思わせてないというビックリのさせ方じゃないと嬉しいのだけれど。
[1] ノックスの十戒の「1. 犯人は物語の当初に登場していなければならない」とかヴァン・ダインの二十則の「10. 犯人は物語の中で重要な役を演ずる人物でなくてはならない。最後の章でひょっこり登場した人物に罪を着せるのは、その作者の無能を告白するようなものである」とか。
[2] X series - 浮遊工作室 (ミステリィ制作部)の作者解説によると「いちおう、次作でXシリーズは終了予定です」とのこと。

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