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星間・生還 - インターステラー

『インターステラー (原題 "Interstellar")』を見てきた。新生バットマンシリーズ[1]『インセプション』を監督したクリストファー・ノーランの監督作品。

タイトルが「星と星の間の」という意味だし予告編を見るに宇宙に出て行く様子だったので、スペースオペラSFかと思っていたら!? (何SFだったか言うとネタバレになるので割愛)。

グレッグ・イーガンの短篇集『プランク・ダイブ』の表題作とか『スティール・ボール・ラン』のボール・ブレイカーの描写を連想した。それから特にアメリアの言動から『プラネテス』も。宇宙を舞台とした映画ということで『ゼロ・グラビティ』も思い出すけれど、『ゼロ・グラビティ』が現在の技術レベルをベースにしているのに対して、本作はかなり先に行っている。悪く言えば現実味がなく、よく言えば外連味が効いている。特に終盤の展開は理論的な緻密さよりも情緒的な印象を優先しているように感じた。

でも、理論物理学者が監修しているとのことなので、自分の聞きかじって知っている程度の現実味なんてたかが知れているんだろうな、とも思う。自分がポピュラーサイエンス本で知った範囲ですら素朴で直感的なメンタルモデルとは大きく乖離しているし、得てして「事実は小説よりも奇なり」なわけだし。

SFだけじゃなくて、親子の関係を描いたヒューマン・ドラマも描かれている。自分はSFの方が好きだからそちらに目が行く(例えばTARSが愛らしくてたまらない)けれど、どこにフォーカスするかで随分と見え方が変わってきそうな気配がある。終盤の展開を思い出すと、SFよりもヒューマン・ドラマが主軸かもしれない。にしては、SF要素がハード寄り過ぎな気がしないでもないけれど、そういう互いに相容れなさそう要素が1本の映画としてまとまっているのだから、ビックリする。

それにしてもTARSが可愛い。作中の技術レベルに比べると、こいつだけやけにフューチャーレトロな外観なので違和感すらある。誰の趣味だ。

[1] 『バットマン・ビギンズ』、『ダークナイト』『ダークナイト・ライジング』の三部作

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