『なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記』を読んだ。
だけど、理由がないことなんていくらでもある。苦しいときに何か悪いことをしただろうか? と問うてみたり、苦しんでいる人を見て当然の罰に違いないと邪推してみたり、とかてんで的が外れている。
苦しい時にさらに悩む必要なんてないし、同じ罪を犯しても苦しみを得る人とそうでない人がいる。
頭で分かっていても、苦しいときほど頭がはたらかないし、そのあたりの点でまーままならんよなー。
でも、どうして、すべてのことに理由がなければならないという考えにこだわるのでしょうか?とかく人間は理由すなわち因果関係を見出しがちだ。『錯覚の科学』(感想) で「原因の錯覚」として紹介されているように、前後関係を因果関係だと短絡することがままある。
だけど、理由がないことなんていくらでもある。苦しいときに何か悪いことをしただろうか? と問うてみたり、苦しんでいる人を見て当然の罰に違いないと邪推してみたり、とかてんで的が外れている。
苦しい時にさらに悩む必要なんてないし、同じ罪を犯しても苦しみを得る人とそうでない人がいる。
頭で分かっていても、苦しいときほど頭がはたらかないし、そのあたりの点でまーままならんよなー。