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頂上の表情


先日、こんなことをつぶやいた。
「あれは金メダリストのウサイン・ボルトを目標にするくらい間違っていると思いますね(笑)。」が面白かった。
Twitter / @SO_C
「草食男子」世代を攻略するマーケティングとは~対談・深澤真紀 - ヒット研究所 - 日経トレンディネットを読んで思ったことを、何の気なしにつぶやいたのだけれど、「(笑)」につられて笑っている場合じゃないと思い始めた。

上のつぶやきだけだと文脈が分からないので、前後も含めて改めて引用する。乱暴にまとめると、トップを目指さなければならないと思い込まされているということだと思う。
さらに、吉永小百合さん、八千草薫さんなどのような人を目標にする。あれは金メダリストのウサイン・ボルトを目標にするくらい間違っていると思いますね(笑)。市民ランナーはボルトを目標にしないけど、女というランナーはボルトを目標にしてしまう。
これは、女性に限った話じゃない。『津田大介の「メディアの現場」vol.11』の『今週のニュースピックアップ Expanded 《part.2》』で、インタビューを受けている山本さんは、日本の農業についてこんな風に言っている。
みんな一番上のブランドものだけを捉えて「農業はこういうふうにやっていけば大丈夫」と言う。それは「みんながグッチ、プラダになればいい」論ですよ。できるわけがない。
こんな風に、「みんな一番上のようにやれ」と言われるのは、農家だけではない。サラリーマンもそうだ。Amazon.co.jpにも、「本 > ビジネス・経済 > ビジネス実用 > リーダーシップ」なんてカテゴリがあって、現時点で2000冊以上が登録されている。

「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」とか、「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは言うけれど、自分は、「船頭多くして船山に上る」と思っているので、リーダーは少ない方がいい、と言うか一人で良いと思う。

あるいは、いなくてもいいかもしれない。鳥の群れはあんなに綺麗に飛んでいるけれど、リーダーはいない。たった三つのルールで、その動きをシミュレーションできる ("Boids"というらしい)。
  • 他の鳥とぶつからないようにする
  • 他の鳥とおおよそ同じ方向・同じ速さで飛ぶようにする
  • 他の鳥が集まっているところ (群れの中心) に集まろうとする。
それ以上に、一番上が存在するとか、努力すればそうなれるというのは、幻想だと思う。そして、なれたとしても、それが当人にとって良いことなのかも、別問題。

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