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ガクガク科学

『もうダマされないための「科学」講義』を読んだ。本書は小論集。先日読んだ『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(感想) の著者が、3章に執筆しているので読んでみた。各章のタイトルと著者は次の通り。

1章 科学と科学ではないもの (菊池誠)
2章 科学の拡大と科学哲学の使い道 (伊勢田哲治)
3章 報道はどのように科学をゆがめるのか (松永和紀)
4章 3・11以降の科学技術コミュニケーションの課題――日本版「信頼の危機」とその応答 (平川秀幸)
付録 放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち (片瀬久美子)

1章は総論的な内容。この章を読むだけで、概観は十分つかめると思う。それでいて抽象的なわけではない。日常的かつ実用的な内容が詰め込まれている。確かに、科学かニセ科学か分からないグレーゾーンはあるけれど、白黒ハッキリしているところをハッキリしていると言明するだけでも随分効果があると思う。それから、ニセ科学のような効果の期待できないものについて、リソースが割かれるのは社会的に大きな損失だというのは、その通り。『科学的とはどういう意味か』(感想) でもそう言っていたし、自分もそう思う。特に実効性のないパフォーマンスにどれだけのリソースが割かれているのか、と考えるとクラクラする。

2章は、科学的かどうかをその内容ではなくて、態度で判断するといいんじゃないか、という提言。現在の科学では真偽が分からないグレーゾーンは確かに存在するけれど、確からしさを高める方法があるのにそれをしようとしないのは、科学的とは言えないと主張している。しようとしないのは、偽だと分かってしまうからだろうな、と思う。逆に言えば、きちんと確からしさが認められれば、組み込んでいくのが科学。たとえば、『代替医療のトリック』で描かれているように、経験的に知られているだけの治療法でも、再現性があるのなら通常の医療に組み込まれていく。

3章は、『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』と重複しているところもあるけれど、おかげであまり紙幅を割いてないと箇所にも目を向けられた。両論併記に関する次の一文は、言われてみればその通りだけれど、言われるまで意識していなかった。今後、両論併記の記事を読む時に、思い出したい。
学術界では9対1、あるいは99対1くらいの割合で意見が分かれていても、両論併記されると5対5に見えてしまう。
4章は、科学に関するコミュニケーションが主題。正しいことを言うのと、伝わることを言うのは、別の話だ。伝わるだけじゃなくて、人に動いてもらおうと思ったら、もっとハードルは上がる。プレゼンテーションとか交渉とかファシリテーションとかコーチングとかマネジメントとかリーダーシップとか、そういうスキルだか才能だかが必要になると思う。

付録は実例集。「はじめに」で次のように書かれているけれど、つい癖でいつも通り手前から順番に読んでしまった。勿体ない。
まずは付録を読むことで問題の重要性を知り、本編でその対応策を考え、そして再び付録を読むことで、本書をより有効に活用できるのではないかと思います。
最後に本書に書かれていない視点について。

1章にこんな想定問答が紹介されている。
「素人には何が本物かニセモノかわからないので、科学者は何がニセモノなのか、ニセモノが流行る前にちゃんと言ってください」→何が流行するか誰にもわからないので無理です。まさかこんあものが流行するとは、というやつばかりです。
それはそうだ。真っ当に考えたら効果がないものが、「これさえあれば安心!」と流行ったりするのだから、予測できるわけがない。もっと酷いことに、前から言っていたのに、それすら「十分ではない」と糾弾されたケースが『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』で紹介されていた。

ここに垣間見えるのは、『思想地図β vol.2』(感想) で津田大介氏のルポルタージュに出てきた『「弱者は善良である」という前提』だと思う。「シロウト」という「弱者」による際限なく庇護を要求しているように見える。

こういう要求をする人は、この前提がある崩り限り自衛策をとるインセンティブが弱い。自衛してしまうと、「弱者」じゃなくなってしまい、「善良」という属性を失ってしまうからだ。

同時に自衛しなくても大丈夫な程度には、深刻ではないはずだ。そうであれば、先に「どうしたらいいか」と今後に目が行くのが自然だと思う。

こういうクレームみたいな主張に関するノウハウって、どこにあるんだろうか? 一種のクレーム対策としてとらえると接客業?

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