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学舎ナビ

『情報デザインの教室 仕事を変える、社会を変える、これからのデザインアプローチと手法』を読んだ。

「教室」という言葉が、内容をよく表している。とても教科書的に構成されている。

まず歴史を含む概論があり、情報デザインのプロセスに沿って詳細な内容があり、最後に事例で締めくくっている。きっと一通り抑えるべきポイントを抑えているんだろうな、という安心感を覚えた。

その代償なのか、縦糸となるストーリィがない。情報デザインについて本書で最初に知ったとしたら、面白い!とは思わなかったと思う。

そういう意味ではまさに「教室」で、学ぶ意思がある人向けの本だと思う。軽い気持ちで読み始めたけれど、腰を据えて読んだ方が身になったんじゃないだろうか。

でも、ざつと眺めて「こんな手法もあるんだ」と把握するだけでも相応に役に立ちそう。

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