『インスタグラムと現代視覚文化論』で知った、『遠読』を読んでみた。
この本には、文学研究者フランコ・モレッティが90年代から2010年代にかけて発表してきた論文10本が収録されている。時系列順に並べられており、各々冒頭に著者による序文が付されている。
通底する問題意識と推移するアプローチが読み取れておもしろい。キーワードは〈遠読〉。この本のタイトルにもなっているこの言葉は、主流のアプローチ=一冊一冊を深く読み込む〈精読〉に対する、著者による造語。全ての本を精読することはできないのだから多数の本を俯瞰的に読むアプローチを指す。
本の内容ではなく、本と本との関係性に着目すると『読んでいない本について堂々と語る方法』のような話になるのだろう。しかしこの本に収められている論文は、1冊の本を俯瞰的に読んだり、ある時代の探偵小説群を俯瞰的に読んだりと内容に踏み込む。
「ネットワーク理論、プロット分析」では、ハムレットの登場人物をネットワークダイアグラムに表している。ノードが登場人物。エッジは両者の間に会話があったことを示す。これによりグループと橋渡し役が俯瞰できる[1]。また、ここでは関連研究として「「カルチュロミクス」の論文」の名前が挙がっているが、その内容は『カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する』として一般向けにもまとめられている (@r_maimaiさんありがとうございました)。こちらはNグラム――単語N個の並びの出現頻度の分析だった。
単語に着目しているという点では、「スタイル株式会社――七千タイトルの省察(1740年から1850年のイギリス小説)」の方が『カルチャロミクス』に近く見える。サブタイトルどおり、タイトルを対象として、単語や長さを分析している。この時代に小説とレビューの分業がすすみで、タイトルから説明の役目がなくなり、目を引くために短くなったという話がおもしろい。「ラノベ」や「なろう小説」のタイトルは長いという印象があるのだけれど、「実際に長くなったのか?」、だとすれば「その理由は?(レビューが読まれなくなった? 略称ありき?)」という疑問が浮かぶ。
「文学の屠場」では、内容に踏み込んで、〈シャーロック・ホームズ〉シリーズが今も読み継がれているのは、同時代の探偵小説と比べて何が勝っていたのか? という問いに取り組んでいる。「作中における手がかりの扱い」に着目して分析し、分類木の形で図示している。これは、問いとプロットに着目している点が『ベストセラーコード』を連想させる。
ここでおもしろかったのは、プロットと文体が分離可能で、同じプロットを異なる文体さらには記号に移せるという話。異なる記号というのは、小説以外の実写やアニメなどの映像も含む。これだけで「アダプテーション理論」という一分野を成している(『映画原作派のためのアダプテーション入門』で読みかじった)。
ところで、著者は小説市場にも関心を払っている。「スタイル株式会社」では小説とレビューの分業の他にも、刊行数が増えたほどには読者の数は増えていないという話も出てくる。定性的な分析が主とはなるが、プロットの流行りとその伝播についても考察している。
「拡散」は「創造」ではないというのはわかりやすいが(それでも盗用で注目や金が生まれてしまうのはさておき)、「保存」だという見方が新鮮だった。「冗長化」の一種なので言われてみれば当たり前なのだけれど、自分の中でまったく結びついていなかった。
そこで、今もって拡散を続けているものを考えると、それは虚偽なのかもしれない。『情報戦争を生き抜く』からの雑なまとめだけれど、フェイクニュースの方が拡散力が強く、拡散する人の多くは真に受けているか見出しだけを見て中身を読まずに拡散して満足している傾向が見受けられる。
「拡散」が「人類史における保存力」としてはたらくなら、残り続けるのはフェイクばかりということにならないか。多くの場合、有形無形の権力が大きな人が拡散の起爆剤になっていることを考えると、検閲なんかしなくても権力者の都合のよい情報ばかりが残るのではないか。
本書の内容からずっと離れた悲観的な考えが頭をよぎる。
この本には、文学研究者フランコ・モレッティが90年代から2010年代にかけて発表してきた論文10本が収録されている。時系列順に並べられており、各々冒頭に著者による序文が付されている。
通底する問題意識と推移するアプローチが読み取れておもしろい。キーワードは〈遠読〉。この本のタイトルにもなっているこの言葉は、主流のアプローチ=一冊一冊を深く読み込む〈精読〉に対する、著者による造語。全ての本を精読することはできないのだから多数の本を俯瞰的に読むアプローチを指す。
本の内容ではなく、本と本との関係性に着目すると『読んでいない本について堂々と語る方法』のような話になるのだろう。しかしこの本に収められている論文は、1冊の本を俯瞰的に読んだり、ある時代の探偵小説群を俯瞰的に読んだりと内容に踏み込む。
「ネットワーク理論、プロット分析」では、ハムレットの登場人物をネットワークダイアグラムに表している。ノードが登場人物。エッジは両者の間に会話があったことを示す。これによりグループと橋渡し役が俯瞰できる[1]。また、ここでは関連研究として「「カルチュロミクス」の論文」の名前が挙がっているが、その内容は『カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する』として一般向けにもまとめられている (@r_maimaiさんありがとうございました)。こちらはNグラム――単語N個の並びの出現頻度の分析だった。
単語に着目しているという点では、「スタイル株式会社――七千タイトルの省察(1740年から1850年のイギリス小説)」の方が『カルチャロミクス』に近く見える。サブタイトルどおり、タイトルを対象として、単語や長さを分析している。この時代に小説とレビューの分業がすすみで、タイトルから説明の役目がなくなり、目を引くために短くなったという話がおもしろい。「ラノベ」や「なろう小説」のタイトルは長いという印象があるのだけれど、「実際に長くなったのか?」、だとすれば「その理由は?(レビューが読まれなくなった? 略称ありき?)」という疑問が浮かぶ。
「文学の屠場」では、内容に踏み込んで、〈シャーロック・ホームズ〉シリーズが今も読み継がれているのは、同時代の探偵小説と比べて何が勝っていたのか? という問いに取り組んでいる。「作中における手がかりの扱い」に着目して分析し、分類木の形で図示している。これは、問いとプロットに着目している点が『ベストセラーコード』を連想させる。
ここでおもしろかったのは、プロットと文体が分離可能で、同じプロットを異なる文体さらには記号に移せるという話。異なる記号というのは、小説以外の実写やアニメなどの映像も含む。これだけで「アダプテーション理論」という一分野を成している(『映画原作派のためのアダプテーション入門』で読みかじった)。
ところで、著者は小説市場にも関心を払っている。「スタイル株式会社」では小説とレビューの分業の他にも、刊行数が増えたほどには読者の数は増えていないという話も出てくる。定性的な分析が主とはなるが、プロットの流行りとその伝播についても考察している。
拡散の理論は、いかに形式が動くかを説明するのは滅法得意だが、いかに形式が変わる かを説明できない。その理由は単純だ――拡散とは、形式の多様化を意味するのではなく、ただそのうちのひとつによる空間の占有の最大化を促すことで、結果的に数を削減してしまうことを意味するからだ。拡散とは、人類史における大きな保存力である――創造力ではなく。
「拡散」は「創造」ではないというのはわかりやすいが(それでも盗用で注目や金が生まれてしまうのはさておき)、「保存」だという見方が新鮮だった。「冗長化」の一種なので言われてみれば当たり前なのだけれど、自分の中でまったく結びついていなかった。
そこで、今もって拡散を続けているものを考えると、それは虚偽なのかもしれない。『情報戦争を生き抜く』からの雑なまとめだけれど、フェイクニュースの方が拡散力が強く、拡散する人の多くは真に受けているか見出しだけを見て中身を読まずに拡散して満足している傾向が見受けられる。
「拡散」が「人類史における保存力」としてはたらくなら、残り続けるのはフェイクばかりということにならないか。多くの場合、有形無形の権力が大きな人が拡散の起爆剤になっていることを考えると、検閲なんかしなくても権力者の都合のよい情報ばかりが残るのではないか。
本書の内容からずっと離れた悲観的な考えが頭をよぎる。
[1] The Mechanic Muse - What Is Distant Reading? - The New York Timesでネットワークダイアグラムを見られる。