スキップしてメイン コンテンツに移動

マストバイはどれ? - ベストセラーコード

『ベストセラーコード 「売れる文章」を見きわめる驚異のアルゴリズム』を読んだ。

本書は「この本は売れるか?」を予測する統計モデルについて書かれた本。その統計モデルに基づいて、ベストセラーが備える特徴が分析されている。念のため言っておくと、「こう書けば売れる」というノウハウが書かれたハウツー本ではない。

その統計モデルは、そっくりそのまま日本で流通している本にも当てはまるわけではなさそう。分析対象がアメリカで流通している本で、売れた本としてニューヨークタイムズでベストセラー入りした本を使っている。たとえば、ベストセラー入りしやすいページ数は、日本では違う結果が出そう。アメリカでベストセラー入りしやすい本は300ページ前後だと言っているけれど、言葉や組版の違いで1ページあたりの情報量が違う[1]

でも、言語に非依存で、普遍的に当てはまる特徴も多いように思う。ページ数のような物理的な制約はともかく、人間が受け止めやすい情報量には大差はないだろう。トピックの数が多過ぎず、メイントピックに紙幅の1/3充てられているだとか、そのトピックは多くの読者にとって身近なものであるだとかは、古今東西を問わないんじゃないだろうか。どんなトピックが身近かは、市場によって変わるにしろ。なかでもが好奇心がそそられたのは、ベストセラーに見られるプロットのパターン。大別するとたった7つに収まるらしい。世界各地で独立に語り継がれたであろう神話に類型があるという説とも符合する(誰か検証していたりするんだろうか)。

こうしてベストセラー入りした本とそれらが備えている特徴を眺めていると、ベストセラーの中にも自分が好きな本と読みそうにない本が入り交じっていることに気がつく。例えば、〈ミレニアム〉シリーズは寝る間も惜しんで読み進めるくらいだったけれど、ジョン・グリシャムの著作にはどうも食指が動かない(よく目立つ場所に置いてあるので名前だけは知っているけれど)。読んだらハマッタリするんだろうか。

各章の末尾でその章で論じられたベストセラーの特徴を備える本がランキング形式で挙げられているので、読書ガイドとして読んでも有用。パーソナライズこそされていないものの、自分が好きなベストセラーと同じ特徴を持つベストセラーがリコメンデーションされたリストとして使うことができる。自分が、未読で邦訳があって一番気になったのが『ザ・サークル』。早速Amazon.co.jpでチェックしたら、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」として本書がまっさきにリコメンドされていて、PCの前で一人笑いしてしまった。同じように考える人がいるんだな、と宛先のない親近感が湧いてくる。

[1] 表音文字であるアルファベットで書かれる英語に対して、表意文字である漢字を含む漢字仮名交じり文書かれる日本語の方が、同じ文字数に多くの情報を含められるはず。ただ、どこで読んだか思い出せない。

このブログの人気の投稿

北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

戦う泡沫 - 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #06, #07

『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06, #07を読んだ。 『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06と#07を読んだ。#06でフェオドールの物語がひとまずは決着して、#07から第二部開始といったところ。 これまでの彼の戦いが通過点のように見えてしまったのがちょっと悲しい。もしも#07がシリーズ3作目の#01になっていたら、もう少し違って見えたかもしれない。物語の外にある枠組みが与える影響は、決して小さくない。 一方で純粋に物語に抱く感情なんてあるんだろうか? とも思う。浮かび上がる感情には周辺情報が引き起こす雑念が内包されていて、やがて損なわれてしまうことになっているのかもしれない。黄金妖精 (レプラカーン) の人格が前世のそれに侵食されていくように。

リアル・シリアル・ソシアル - アイム・ノット・シリアルキラー

『アイム・ノット・シリアルキラー』(原題 "I Am Not a Serial Killer")を見た。 いい意味で期待を裏切ってくれて、悪くなかった。最初はちょっと反応に困るったけれど、それも含めて嫌いじゃない。傑作・良作の類いではないだろうけれど、主人公ジョンに味がある。 この期待の裏切り方に腹を立てる人もいるだろう。でも、万人受けするつもりがない作品が出てくるのって、豊かでいいよね(受け付けないときは本当に受け付けないけれど)。何が出てくるかわからない楽しみがある。